第四章『サカサヒガン』

第28話「アウトロへ至るイントロ」

 ——イントロ、あるいはプロローグ。

 ——俺は、幼少期のことを夢に見ている。


 見渡す限りの霧景色ではあるものの、うっすらと周囲の影は見えるため、今が日中であろうことは推測できる。


 背後からは熱気。

 振り返る必要はない。もう燃える車そこから逃げた後だから。


 俺は、一緒に脱出に成功した銀髪の少女の手を取って、霧に包まれた山道を歩く。


 当時の俺に、川に沿って歩くなどという知恵はなく、ただただ当てずっぽうに坂を下っていくだけではあったが——そもそも日中でさえこれだけ視界が塞がれている以上、川など見えるはずもなく、結果的にではあるが、俺は最善手を取っていたことになる。


 ……とはいえ、勘だけで霧に覆われた山道を進んでいてはどうにもならず、おそらくは分岐していた道さえ間違えて——そもそも霧でよく見えなかったが——いつの間にやら夜になっていた。夜霧——ナイトミストである。


 まだ小学生に上がる寸前といった年頃の俺たちだったため、体力的にも精神的にも限界が近く、朦朧とする意識の中、彼女は足を踏み外し————落下した。


 ——俺は滑り降りる。それでも、斜面から転げ落ちないように。ゆえに駆け降りるのではなく滑り降りる。咄嗟の判断で無事に斜面を降り切った俺は彼女の無事を祈りながら周囲を見回す。


 ——いた。斜面のすぐ、沢——霧まみれで白い沢——そこに彼女は倒れている。

 見るからにぐったりしており、幼心でも状況が切迫したものであることだけは理解できたため、おぼつかない足取りでどうにか走り寄り抱き抱えようとして——



 ——血。

 手にはべったりと、赤い液体が貼り付いている。

 彼女の後頭部から溢れ出る——血。


 止まらない、止血の方法もわからない——いやそもそも、


 その時の俺にできることなど何もなく、選択の余地などまるでなく。


 そして——彼女、白咲彼岸は




 ——第四章『サカサヒガン』




 ——現代。アヤカシハンター、その協会本部にて。俺は、根源坂開登は斬月レイジ……さんを問い詰めていた。


「いやだから、ネ? 僕も穂村まりんちゃんのことはよく知らないんだよぉ」


 両手を前で振りながら「本当に知らないんだってぇ」と続ける斬月さん。


「フリードも似たようなことを言ってましたけど、じゃあマジに鮮凪アギトしか細かい事情を知らないって——そう言いたいんですか?」


「だからそう言ってるじゃないかぁ。

 ネ? 信じてほしいなぁ、なんて」


 ——と言いながら、胸ポケットから何やらメモを取り出す斬月さん。

 何だ? と思いながら展開されていくのを見ていると、そこには文字が書かれており——



『会話はマキマに聞かれている』



「ふざけてる場合か!?!?!?」


 いきなりチェンソーマンの劇中シーンを再現するんじゃないよ!!


「——おっと失礼、これは部署の歓迎会用ネタだった。……こっちだよ、こっち」


 そう言いながら斬月さんは裏にあったもう一枚のメモを見せてきた。



『図書館』



 ——図書館。あまりにも大雑把だ。ざっくりしすぎている。


 そもそも図書館はここ協会本部にもあるし、町にも、そして町中の学校にもある。学校のものは図書室と呼称されがちではあるが、図書館表記のところもあり、俺の通う戯画高校も図書館表記だ。ゆえに、全然絞り込めない。

 単純に考えればここの図書館のようにも思えるが——


「それさァ。アギトくん曰く、んだって。まぁ、彼との接点——そういう話なんじゃないかなぁ」


 接点——鮮凪アギトとの、接点。

 そんなもの、あの日しかない。

 あの日——あの時間——図書館——。

 その内、現状で重ねられる条件をピックアップする、するしかない————


「——ありがとうございます、斬月さん。何とかなりそうです」


「そう? なら良かったよ。穂村ちゃん見つかると良いね。

 でも、お礼は僕よりアギトくんへ言った方が良いだろうね。色々思うことはあるだろうし、なんなら今遠征中だけど」


「——、そうですね。善処します。

 ……えぇと、それはそれとして、今は緑川さんと一緒にヨーロッパのアヤカシを倒しに行ってるんでしたっけ」


「あぁそれはもう終わって、今は桜島らしいよ」


「何で毎回本郷猛と同じなの!?!?!?」


 なんかそういう風に案件を引き受けてんの!? 意外と狙ってやってんの??


 結局のところ、一番謎なのは鮮凪アギトなのかもしれない——俺はそう思った。


 ◇


 ——とはいえ、とはいえである。協会本部からの帰り道、電車から降りて戯画町の市街地にて。俺は、彼女——穂村まりんのことを思い返していた。


 昨日のアーバンロア戦で明かされた真実、穂村まりんの正体——彼女が、ラプラス=ファタールではなくラプラス≠ファタールであること。


 ……別にショックというわけでもないし、その真実を知った上で、意外と冷静でもある。

 俺の想い人である黒紫あげはは半年前に死んだのだから、穂村まりんがどれだけ瓜二つであろうとも、彼女が黒紫あげはであるはずなどなかった。

 だから——むしろ、


 死んでしまったあげはが、無理やり起こされて酷使されている——そんな状態ではなくて本当に良かったと、そうとさえ俺は思っているのだ。


 だから——そう、だから。

 例え一度は仇だと思ったとしても、ああやってしばらく共に日々を過ごした以上——穂村まりんが


 俺は彼女を——穂村まりんを恨むことなど、仇敵であると、宿敵であると、そのようなことを言い放つことなど、できなかった。


「——だから戻ってこいよ、穂村。

 俺がお前の気持ちに応えられるかはわからないけど、それでも


 ついつい言葉に出してしまうも、気を取り直して街を歩く。……気持ちの整理も必要だ。俺が穂村まりんに抱いているのは慕情ではない。だけど、それでも、いや、だからこそ言わないといけないことがあるのだから。


「——あ、根源坂くん」


 声の方へと顔を向けると、そこには銀髪の幼馴染であるところの——白咲彼岸が立っていた。

 彼女が俺に向ける表情は、どうしてか少しだけ心細そうに見えて——


 ——あの日の光景が、今朝も夢で見た霧の夜が、フラッシュバックする——


「……どうしたの根源坂くん。いつになくボーッとして」


「——ん、あ、いや。なんでもない。

 それより白咲こそなんか元気なさげだけど、なんかあったか?」


 俺の問いに彼女は瞬きと目逸らしを同時に行いつつ、「なんでもないわ」と答えた。


「ほんとか?」


「本当よ。ほんとに、なんでもないから。

 ——それより根源坂くん。あの子は、まりんちゃんはどうしたの? てっきり一緒だと思ったんだけど」


 わりと本気で不思議そうな表情をして、白咲は俺にそう言ったのだが、俺は答えに窮する。

 白咲はアヤカシを知らない。ゆえに、ほとんど人間であるとはいえ、一応はアヤカシであるところの穂村まりんについてどう答えるべきなのか、俺は考えあぐねることとなった。


「——まぁなんていうか、しばらく会わないと思う。あっちにも予定あるしさ」


「——え?」


「あいつにも用事あるだろ? だから、まあそういう感じだよ」


 などと、ものすごいボンヤリした言い回しで俺は乗り切ることにしたのだが——


「——そう、そうなんだ。へぇ」


 なぜか、白咲は少しだけ顔を綻ばせながら、そっぽを向いてしまった。……どうした?


「——白咲?」


「——いえ、なんでもない、なんでもないわ根源坂くん。

 でもそういうことなら実はちょっと、私としてはどうでも良いんだけれど、なぜだか間違えて2人分の映画チケットを買っちゃったのよ。

 ああ勘違いしないで根源坂くん。これがデートだったとしたら、全くお互いの顔が見えないデートが初デートってことになってしまうんだけれど、それはあくまでもデートだったならの話であってこれはたまたま余らせてしまったチケットを一緒に使ってしまいましょうという提案でしかないの。だから貴方も特に気にすることなく、臆することなくこのチケットを受け取りなさい」


 ——などと、突如捲し立てられた挙句映画の鑑賞チケットを一枚渡される俺。

 これをデートと呼ばずしてなんと呼ぶんですか?


「なぁこれデー」


「デートじゃない!」


「——トじゃない、はい」


 どう考えてもデートだったが、まぁそういうことにしておくことにした。


 ——今日は土曜日。例の『図書館』は日程的に一致するので、時間を合わせることも考えると、こう言ってはなんだが、映画館デートは良い時間潰しにもなった。

 白咲からの提案を無碍にするのも忍びない。ここは——


 ——その時、俺のスマートフォンが鳴り響く。画面を見ると、緑川さんからの電話だった。


「——はい、根源坂です」


『——【芸都げいとトンネル】、知ってんだろ?』


 ——少し上擦った、おそらく若干焦った口調で緑川さんが言ったそのトンネルを、俺は知っている。


 この国——日本。その首都である芸都には、そのような名前のトンネルは存在せず、それは、そのトンネルにかつて存在していたとある極級アヤカシが呼んでいた名称であり——


 ——つまり、【芸都トンネル】とは、そのアヤカシの浸蝕結界であった。


 そのアヤカシはもう存在せず、にもかかわらず、結界の異常なまでの膨大さによって——崩落しかかっているとはいえ、主人なき現在でさえ、


「——で、ゲンスケさん。

 トンネルがどうかしたんですか?」


 眼前に白咲がいるため、可能な限り一般的な名称だけを用いて話そうと努める。が。


『——そこにまだ、


「サカサヒガンが……!?」


 思わず口にしてしまったその言葉。

 それは、できれば白咲には聞いてほしくない名前だった。


「——え、サカサヒガン?」


「——なんでもない。白咲すまん、映画は明日にしてくれ!」


 そう告げて俺は、電話を続けながら駆け出す。


「ちょっと待って根源坂くん!」


 白咲がまだ何かを言おうとしていたが、それを聞いている余裕もなく、俺は、【芸都トンネル】跡地へと向かうべく走り出したのだった。

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