第17話「ファタール」

「——私が、ラプラス=ファタール……?」


 あげはは、本当に全くもってそんなはずがないと——驚愕とも絶望とも取れない表情を見せた。


「そんなはず……そんなはず、ないじゃないですか。私、嘘なんてついてないです……先輩、なんでそんなこと——言うんですか……?」


 彼女の涙ぐむ姿を見て、俺が心を痛めないはずがなく、こんなことを言いたいはずもなく、つまり何が言いたいかと言えばそれは単純明快シンプルロジック——。ただそれだけである。


「俺がこんなこと言いたいと思うか? 違うって——そう言ってくれるだけで良いんだ。さっきの術式だって、たぶん近くに潜んでるんだろ、そのラプラス=ファタールとかいうアヤカシがさ」


「先輩——でも、私、その」


 ——わかっている。

 


 でも——信じたくない。信じたくなどなかった。だから——


「あげは——頼む、違うって、そう言ってくれ。頼むから……」


 あげはは明らかにあからさまにどうしようもなく変質しつつある。

 原因は不明。だが、本来彼女が持ち得ないであろう術式を起動させた。


 それはどうしようもなく事実であり、彼女がラプラス=ファタールとイコールとなりかねない事態であった。


 俺だってそんな眉唾もののアヤカシなど信じたくはない。鼻で笑いたい。だと言うのに——


 


 なんなんだ? ラプラス=ファタールとは、一体なんだというのだ? アヤカシなのか? 仮想アヤカシとはなんだ? どうしてこの世界でアヤカシが無から発生する? わからない、何もかも——不明確で不鮮明で、理解を、理解を——拒みたい。そんな気分だった。


「先輩、私、私——今どうなってるんですか? 私、あんな術式知らない……私今まで、あんなの一度だって使ったこと、ない、ないんです。なのに、なのに何で——」


 その狼狽も本当だろう。きっと彼女自身もこの状況を理解できていない。俺もだが——当事者であるあげはでさえも、この事態を把握できていない。となれば——


 ——魔力圧が、再び俺たちにのしかかり始める——


 ——現状を把握しているであろう存在はここにただ一人しかいないであろう。



「——話は済んだか。

 悪いが、事態は一刻を争う。そのアヤカシには死んでもらわなければならない」


 体躯——二メートルに近く、筋肉——鍛え抜かれ、彫像の如し。


 その相貌——どこか憂いを帯びた、悲壮の青年。


 名を——【終劇者エンドローラー鮮凪あざなぎアギト。

 現代日本において最強のアヤカシハンターである。


「——鮮凪アギトさん、どうして、どうして彼女は死ななければならないんですか。理由はわからずとも、確かに彼女は変質しつつあります。けど、それでも——」


「——ラプラス=ファタールは危険だ。オレに与えられた才能は空間認識ただ一つ。それを以て——ラプラス=ファタールを、


 ——因果率への脅威? 何を、一体……それはどういう意味だ……?


 屋内ほど影響が強く出ないだけだろうが——魔力圧への耐性がある程度ついてきたとは言え——それでもなお、俺の思考回路は万全とは言えない。その状態でどうにか発言の意味を理解しようとするが——答えなど一向に出ず——


「——目を逸らすな、根源坂開登。

 先刻の術式を見れば、お前ならば察しがつくんじゃないか?」


「——————! そ、れは……」


 鮮凪アギトの視線は、鋭利な槍のように俺を貫く。悪意もなく敵意もなく、ただただ純粋に、俺の実力を見定めた上で、最適解の言葉を紡いできている。それゆえに——心に突き刺さって抜けない。


 ——先刻の術式。つまり数字の羅列が校内に発生したあの

 アレはおそらく——だ。

 あらゆる可能性を収束させ、一定の結果を確定させる運命操作能力。

 確かに、これが確立すれば。術式使用者が望む筋道ただ一つに固定される——そういうことなのだろう。


「——どうやら理解したようだな。

 ラプラス=ファタールは、だ。術式を看破した俺が、そして、実際に術式を見たお前が証人だ。

 それが完全顕現すれば、世界の運命はラプラス=ファタールに完全支配されてしまう。

 ……その少女は、噂を介してラプラス=ファタールに魅入られ——そして【器】に選ばれてしまったのだろう。

 その点についての……つまり無より生まれた噂——それがアヤカシへと変じた原因は未だ不明だが——」


 鮮凪アギトは、憐憫の眼差しであげはを見据え、


「——黒紫あげはは、


 あげはに、死の宣告をした。


「……私が、ラプラス=ファタールに、魅入られて——」


「待て、落ち着けあげ——……!?」


 ——既に、あげはの胸に浸蝕結界ダンジョンの入り口たる【時空亀裂スカー・タキオン】が発生していた。


「——ぇ、嘘。何で」


「——それが答えだ。【確率魔性】ラプラス=ファタールは、【噂】を介して


「——! あげはの、体内で————」


「弱体化していたとは聞いていたが……それは別に、人を襲わなかったからだけではない。

 


 ——崩れ落ちる。俺の中の、俺の心の何かが、音もなく崩れていく。


 ————これが、絶望。

 ————これが、詰み。

 

 ……詰みにして、気づけなかった俺の罪。


「——いずれ、いや、もう幾ばくもなく、黒紫あげははラプラス=ファタールへと変質する。

 その前に——俺が、この手で殺すと、そう言っている」


 ——どうすれば良かった? 俺は——あぁ、俺は——


「——言っておくが、根源坂開登。お前にできることなど何もなかった。お前が彼女と出会ったのは今朝のこと。ゆえに——できることなど何もなかったんだ」


「——————————ぁ」


 ようやく出た言葉——いや、言葉ですらないうめき声。俺はもう、何もできなかった。心が、心が今にも折れ——————


 ——瞬間。俺の脳裏に浮かんだのは、その


「うわあああああああああああああああ!!!!!!!!」


 もはやなりふり構わず叫びながら、泣き叫びながら、俺は——あげはの元へ歩き始めた鮮凪アギトへと走り出し、


「——禁断具現フォビドゥン・パージ

 【悪霧都ナイトメアミスト】ォォーーーーー!!」


 全力で食らいついていた。


 書き換わる景色。校庭が、霧満ちる摩天楼へと姿を変える。

 鮮凪アギトの放出する膨大な魔力圧は、その実その一層一層は緩慢であったため、俺の結界によって生成された魔力吸収効果を持つ霧によって次々と俺の力へと変換されていく。


 結果論ではあるが、俺は鮮凪アギトへの打開策を打ち出していた。


「——愚かな」


「言ってろ……! それでも俺は——俺は……!!」


 魔剣【夜霧刀ナイトミスト】および、霧から生成して空中浮遊させている魔剣魔槍の類全ての照準を鮮凪アギトへと向ける。


 ——俺だって何をしているのかわからない。

 だが、だがそれでも——


 


「結果がどうあれ——あげはが殺されるのを黙って見てられるわけないだろぉがァァーーーーー!!」


 ——全ての魔剣魔槍を射出し、その波状攻撃の最後に、ナイトミストを構えた俺が詰める。

 微塵の迷いもなく、俺は——世界を救おうと行動する鮮凪アギトを殺そうとしている。


 先刻の運命操作術式の片鱗を見た上で——俺は世界よりも黒紫あげはを取っていた。


 その——全てを擲った総攻撃は、


「——【破界拳ワールドブレイカー】——」


 鮮凪アギトが地面に撃ち込んだ拳ただ一つで——




 ——思えば。あの魔力圧とて、鮮凪アギトにとっては呼吸にも等しい行為であったのだ。


 結界を崩壊させる一撃——それを撃ち込むその時まで——彼には微塵も戦意など存在しなかったのだ。


 ズタズタになっているのだろう。

 ——何が? 身体が? まぁそうだろうな。耳もさっきから耳鳴りが激しくてほとんど聴こえないし、目もぼやけて何もハッキリと見えない。

 意識もゴチャゴチャで意味も朦朧。


 あはは、地面に倒れているだろうに、宙に浮いている気分だぁ。


「——愚かな、とは、『お前まで死ぬことはない』という意味だったんだがな」


 そんな言葉が聞こえてきて、多少は意識が戻る。——そうだ、まだ。まだ死ねない。俺はまだ——


 だと言うのに、心は動こうとしているのに、俺の身体は動かない。動かないのだ。


 ああ——逃げてくれ、逃げてくれあげは。

 俺は——俺はもう、君さえ無事ならそれで————


「——アギトさんと言いましたね」


 ————あげは? あげはの声が、何かの決意に満ちたあげはの声が、聞こえてくる。その声には悲壮感もなければ、恐怖もなく、どこか堂々としていた。


 あげは。一体何を——


「——死に方ぐらい、私に選ばせてください。

 私の終わりは、貴方ではありませんよ、アギトさん」


 ——あげは? あげは、何を——なに、を、


 ——だめだ、意識が、もう、擦り切れて、


「——私の終わり初めては、先輩に貰ってもらいますから」


 擦り切れかけて——あげはのキスで、蘇った。

 文字どおり——死の淵から、蘇ったのだ。


「——あげ、は」


 視覚も聴覚も戻っていく——回復していく。

 そのぼやけた視界が、克明に黒紫あげはの姿を捉えていく。


 彼女は既に、吸血鬼として灰化しかけていた。

 ラプラス=ファタールではなく、本来の彼女として、死にかけていた。


「——この身体も、この心も、この魔力も、全部全部、先輩にお渡しします。

 私が変質したのはラプラス=ファタールなんかじゃありません。

 血ではなく、死を吸い取る——死という結末を吸う鬼の姫——。


 ——吸血鬼ではなく、【吸結姫】です。


 誰が何と言おうとも——私は私。他の何者でもなく——黒紫あげはとして死ぬのです」


「————ぁ、あげは、あげは……!」


「——先輩。私のために死なないでください。先輩優しいから、きっとこの先も私のせいで泣いちゃうかもしれませんけど、でも——それでも生きてください。幸せになってください。

 ——じゃないと、死に切れませんから」


 そう言って笑顔を見せるあげは——その身体が崩壊していく。俺が叫んだところでもう——ラプラス=ファタールの結界ごと、黒紫あげはが、消えていく——


「——約束ですよ。

 幸せになってくださいね、先輩——」


 消えていく。霧のように、あげはは、消えていった。


「あげは……あげはァァーーーーー……ッ!!!!!!!!」


 俺はみっともなく泣き叫ぶ。どうしようもなく、ただただ悲しみに暮れて、俺は慟哭する。

 ——けど、けれど、今は——今だけは許してほしい。

 これから先、もう一度歩き出せるようになれるように、立ち上がるために、今は、今だけは——



「——そうか。こういう結末もあるか。

 ……オレはもう、お前に手を出すことはない。ハンターを続けるのなら、それも止めない。

 ——いや違うな、今かけるべき言葉はこれじゃない。

 根源坂開登、そして——黒紫あげは。お前たちは、オレの示した終わりを超えた。つまりは——


 ——



 ——そうして。夜の校庭には俺だけが残り、エリカさんがやって来るまでずっと俺は泣き続けていた。


 ——これが事の顛末。


 俺の失恋——その一部始終。


 俺の心には——彼女の笑顔が焼きついたままだった。


 俺の前に、彼女そっくりの少女が現れるのは、まだ少し——具体的に言えば半年ほど先の話であった。




第二章『追憶のアゲハ』、了。


第三章『ノスタルジア縫合/ノスフェラトゥ創造』に続く。

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