第15話「AGITO」
——根源坂開登の推測どおり、斬月レイジは本気ではなかった。
それは根源坂開登との戦闘に関してもそうであったし、黒紫あげは討伐に関してもそうであったし、加えて言えば——友人であるところの
結果的に、総合的に、交錯した複数の要素全てにおいて斬月レイジが本気になっていなかったため——それらが複合的に連鎖したことで、根源坂開登は勝利し、黒紫あげはは命を拾い、そして——
——鮮凪アギトが自ら出向くことを決意するに至った。
『——というわけだ。
レイジさん。あんたが躊躇するならば、オレが出る』
電話越しに鮮凪アギトの決定を聞いた斬月レイジは嘆息するも、これは覆らないことであり、自分にとっては理解が及ばない次元でアギトが何かを察知していることを理解して、ただただその決定を飲むことを選んだ。
「——はぁ。わかったよアギトくん。
だけど僕まだ腑に落ちないなぁ。そんなにも恐ろしいヤツなのかい、そのラプラス=ファタールってのはさ」
『——ああ。
アレは世界のルールそのものを支配しかねない。ゆえに、オレが未然に防ぐ』
「……よくわからないけど、まあアギトくんの物言いがよくわからないのは前からそうだしなぁ。
良いよ。どうせ僕は今、ほぼ動けないようなもんだし。止めようもないから静観してるよ〜〜」
『助かる』
それだけ言って、鮮凪アギトは通話を切った。
年の差こそあれ、斬月レイジは鮮凪アギトのことを対等に見ており、かれこれ十年ほどの付き合いになる今、もはやこのぐらいのことでは驚かないぞと言わんばかりに「やれやれ」と呟いた。
「——しかしまぁ、アギトくんがここまで積極的に動く決断をするとはねぇ。
エリカちゃんに話してやろっと」
斬月レイジはそう言って、また別の人物に電話をかけ始めたのであった。
幕間、終わり。
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◇
——俺こと根源坂開登の人生において、ここまでただ一人のことを愛したことは今までになかっただろう。
誰かを守りたい、助けたい、仲良くなりたい。
そう思ったことは今までに何度もあったが、黒紫あげはに向けたほどの熱意は、今までの俺には存在しなかったものであると——そう思えた。
どうしてか、なぜだか、断言はできないが——少なくとも自覚している中では、これほどの想いは初めてであると、俺は感じていた。
きっとこれまでに感じたそれらの感情は、その時の俺が幼すぎたことで、判然のつかないものとして——心の中に残留しているのだろう。
兎にも角にも、俺はあげはと、人払いの結界を展開した空き教室で、完全下校時間19時を過ぎてもなお、他の教室から持ってきたアナログゲームを遊んだり本を読んだりなんでもない会話をしたりして楽しんでいた。
この時間がずっと続けば良いのに——柄にもなく、俺はそう思っていた。
「あ。先輩また上の空でしたよ。なぁーにを考えていたんですかぁ?」
悪戯っぽい笑みを浮かべながらあげはが俺に抱きついてくる。やや上気した彼女は、今朝あった時よりやんちゃだった。きっとこっちが本来の彼女なのだろう。ほとんど直感で、俺はそう思った。
「あげはのこと考えてただけだよ。こんな子と一緒にいられて、幸せ者だなぁ俺は。ってさ」
「キャーもう浮かれちゃって! なんかこっちまで恥ずかしくなってきましたよぉ!」
と言いながら俺へのハグを強めるあげは。そろそろ締め技の域に到達しつつあるのはたぶん気づいていない。あげははわりと天然なのだ。
「——にしても、すごい濃い一日だったな。
俺さ、あげはと初めて会ったのが今朝だったなんてとても信じられねぇよ」
本当に、本当に長い一日だった。朝から晩まであげはと過ごして、ずっとこうして二人で笑って。幸福すぎて夢のようで。気を抜くと涙が出てきそうで——
——その前に、あげはが涙を流していた。
「お、おいあげは。なんか辛いこと思い出したのか?」
あげはは首を横に振る。「そんなんじゃないです」と言って、微笑みを見せる。
「私、本当にこういう生き方に憧れていたんです。……キッカケなんてもう朧げなんですけど、私がアヤカシとして発生して数年ぐらい経って——要は物心ついたってやつですね。そんな頃、本来ならアヤカシとして人を襲い始めていたであろう頃、私はそんな中で、人を好きになりたい、って。そう思ったんです」
「あげは————」
「私でもなんでそう思ったのかハッキリ覚えていません。けど、きっとアヤカシとしての私はそこで死んだんでしょう。そこで、出来損ないのアヤカシになった私は——人間に憧れるようになったんです。それだけは……それだけは、確かです」
誰も来ない、二人だけの教室で。あげはが語り始めたのは、彼女のルーツに等しい話。アヤカシとしての、吸血鬼としての黒紫あげはが死に——人である、俺の想い人である黒紫あげはが生まれた話。
俺は静かに耳を傾けて、彼女の話を胸に抱く。彼女への愛おしさが、ただただ募っていくのを感じていた。
「だから私、人のことをもっと知りたいなって。そう思ったんです。それでこっそり夜とかに街中をぶらついたり、色んなお話を、——あまり気は乗りませんでしたが、他のアヤカシから聞いたり——とにかく色んな方法で、私はあなたたちのことを知ろうとしました。たぶんラプラス? の話もその辺りで聞いたんだとは思います。けれど、そんなことは正直どうでも良かったので何も覚えていません。だって私にとって重要だったのは、アヤカシのことじゃなくて人間のことだったんですから。
でも。こういうことを続けても、私は人間にはなれない。同族であるアヤカシたちからは次第に距離を置かれていく。そして、当然の帰結として、人を襲わない私はどんどん弱体化していく——。それはとてもしんどかったです。辛かったです。嫌にもなりそうでした。でも、でも——頑張れました。きっといつか、人間の世界に溶け込めるかもしれないって。ただそれだけの、薄ぼんやりとした星明かりだけで、私頑張れたんです。頑張れたから——」
彼女が、黒紫あげはが、顔と顔とを擦り付ける。頰と頬が擦れ合い、吐息が顔や首にかかった。その温かさが、衣擦れが、息遣いが、そのどれもが愛おしかった。
そうしている内に、彼女は俺から少し離れて、俺の顔をじっと見据え始め、そして——
「——頑張れたから、あなたに会えたんです。
……先輩。出会ってくれて、ありがとう。
私きっと、この時のために頑張ってきたんですね」
視界がぼやける。あぁクソ、上手い返しが思いつかない、カッコいい返答ができない。俺はただただ嬉しさから涙ぐんで、彼女に気の利いた言葉をかけることすらできない。
それでも、それでも何か言いたい。何、時間ならまだある。今日ぐらい何もかもを放り投げて徹夜しても良い。夜通しあげはと一緒に過ごしたい。そんな気持ちで胸が溢れかえりそうだ。
——あぁそうだ。これからもこの時を続けていけば良い。俺とあげはの時間を、これからも作っていけば良いんだ。そのことを伝えれば、それで良い————
「——あげは。だったら俺たちでこれからもさ。
こんな時間を作って行」
唐突に、視界が落ちる。
意識喪失——否、否である。俺は確かに覚醒している。
これは——ただただ純粋に、明快に、あからさまに——俺の視界が物理的に下がった。ただそれだけである。
——それが、学校の外で発生した魔力の重圧であることに気づいたのは、そのあまりの重みに膝をついた後のことであった。
俺の視界が落ちたのは、超重力じみた魔圧があまりにも恐ろしかったがため。
数多のアヤカシを倒し、本気ではなかったにせよ極級ハンターである斬月レイジを撤退させた、この俺が——
この俺が、根源坂開登が——恐れ慄いている。
それはあげはも同じで、彼女もまた、肩を震わせながら床にへたり込んでいる。
俺は必死に心と体を奮い立たせてあげはの手を取りただ叫んだ。
「逃げるぞ……っ!!」
俺の脳裏には今、詳細を知らないはずなのに克明に知っている——つまりは、世界に刻み込まれた称号が浮かんでいた。
それは、あらゆるアヤカシを屠ってきた最強の称号。
ただその拳だけで、数多のアヤカシを破壊してきた——その圧倒的な力の具現。
【
最強のアヤカシハンターが今、俺たちを狙って現れ出でたのだ。
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