第11話「お風呂場のアゲハ」

 戯画高等学校の文化祭は、金曜土曜の二日間で実施され、初日はゲストのタレントさんを呼んだステージ系の鑑賞会、そして二日目が、学内で模擬店やら生徒バンドやら生徒漫才やらという、要は生徒主体といった感じの構成となっている。そして二日目は学外の人もウェルカムな解放型イベントであった。


 というわけで本日は二日目なのだが、俺はそんな日の朝っぱらから公園に出現したダンジョンを攻略しに行っていたわけである。真面目なアヤカシハンターだとは思いませんか? 一目惚れ? しょうがないだろあまりにも可愛かったんだから。


 そんなわけでダンジョン攻略を済ませた俺は、学校へ行く前に家へ帰ってお湯に浸かろうと思い、お風呂場に入ったのだが、


「ほーん、流水ってやっぱ良いものですねぇ。

 ほら私って吸血鬼だったわけじゃないですか。いやまあまだ吸血鬼といえば吸血鬼なんですけど。でももうもはやただの人間も同然なので、こうやってシャワーの水も触れられますし、鏡にだって映ります。

 ——あ! あとニンニクも食べることができちまうんだ!」


「うわぁ全裸で入ってくるんじゃないよ!!!!!!!!」


 あろうことか黒紫あげはは、俺と共にお風呂場へ入ってきたのだった……!


「でもお風呂って全裸で入るものですよね?」


「そうなんだけどさぁ! 今湯船にお湯張ろうとしてんの! まだ入らないの! 俺まだ服着てるだろ!?!?!?」


「おっとこれは失態、じゃなくて失敬。先輩を必要以上にドキドキさせてしまいましたね」


「お前やっぱ俺を抹殺しようとしてるのか? 実はそういう作戦なのか? いやだぞ俺はそういうの、俺はなんかその、お前とは戦いたくないぞ」


「そこまで言わせてしまうとは……私も罪な女です。とりあえずタオル巻いて待機しますね」


 そう言うと黒紫あげははタオルをして肢体を隠した。


「……そういやさっきの服も魔力で編み上げていたのか?」


「そうですね。Fate/stay nightのセイバーみたいな感じです」


「なんでFate/stay night知ってんだよ……」


「あの手この手で人間社会の情報を仕入れていた時期もあったのです。結局のところ、人も殺せないアヤカシに用はないってことで相手されなくなっちゃいましたけど、えへへ」


 風呂を洗う俺の背後で、少し寂しげに笑う黒紫あげは。俺にできることは何か、未だもってよくわからないが、それでも何かないかと思い、思い立った結果として彼女の方へと振り返り、


「なぁ。黒紫ちゃん——って呼んでいいか?」


「いやそこは『あげは』って呼んでくださいよ。先輩、一々ちょっとずつ尻込みしますよね。あげはって呼んでくださいよもう」


 黒紫あげはにムスッとされた。されたのだった。

 あでもその顔も可愛いな。——などとは、恥ずかしくて全然言えなかった。


「カイトあんたねぇ、私まだ家にいることお忘れではなくて?」

「ウワアアアアアアアア!?!?!? エリカさんそうだよねまだいるよね!?!?!?」


 ——脱衣所の向こうからエリカさんが顔を出してきたので俺は叫んだ。


「あ。どうも、黒紫あげはです。16歳、弱小吸血鬼です」

「あーはいはい聞いてるよ。大丈夫だから、今のところ取って食ったりしないから。

 でもまああのカイトがねぇ。彼岸ちゃんどうすんのよホント」


 ここでなぜか白咲の名を出すエリカさん。なんというか少し困る。あげはに誤解されかねない。


「……? つがいですか?」


 咳き込む、そして反論する。


「なんで人間社会のことFate/stay nightまで知っててなおそういう語彙が出てくるかなぁ!?!?!?」


「何でも何もないでしょう。つがいはつがいでしょう。じゃあ何ですか? カップルって聞いてあげた方が良かったんですか?」


「どっちかって言うとそっちのが良かったけどそもそも俺とアイツはカップルじゃない!!!!!!!!」


「あ。そうだったんですか。

 ふむ……ジェラシーの無駄遣い。反省です」


 そう言ってエリカさんの方へと再び向き直るあげは。するとペコリとお辞儀をしながらこう言った。


「私、根源坂先輩に助けられた上に好意まで持たれており、こちらとしてもやぶさかではないのですが、お義姉様としてはそこのところ、どうなのでしょうか」


 白目。全部バレてるバレテーラ。ギャハハ!


 あ。エリカさんも白目剥いてる。あれは情報過多でローディング中って感じですなガハハ!

 お、黒目が戻った。復帰が早い流石は元・極級ハンターだ。


「……あー、その、何だ。

 私としては、まあその、貴方がアヤカシだからというだけで排斥しようとは思わない。もうしばらく様子を見て、大丈夫そうなら交際を認めても良いんじゃないかとすら思える。

 けどそのなんだ、隣に住んでる幼馴染ちゃんがぶっちゃけその、アヤカシとかのことは全然知らないにせよ——急にカイトが付き合いだしたとなるとすごいこう、私としては気まずいというか、いやまあそこは何とか時間が解決するかもというか——」


 ものすごい早口で語り始めるエリカさん。なんか話がトントン拍子に進んでいる気がしないでもないが——それはそれとして一つ言葉を濁していることに気がついた。


「——エリカさん。要は協会内部の反対勢力をどうするか、でしょ?」


 俺がそう訊ねると、エリカさんは重々しく首肯した。


「問題はそこよ。

 カイトは確かに実績も実力もしっかりあるから、今回の件も一旦黙認措置が取られているけど——当然、反対意見を持つ人だっているし、そして——そっちサイドにも、カイト、貴方みたいな


 ——特権持ち。


 一定以上の実力と実績を持ったハンター(そこには俺も含まれるのだが)に付与される遊撃権がこれにあたる。

 要は独自行動が許されているというわけで、ガンダムSEEDのFAITHの様なものである。


 とはいえ、人類に仇なす行為をした場合はその特権も剥奪され、逆に討伐対象となり得るわけだが、この特権を付与されたハンターがそこまでの愚を犯すことはまずない。実際先刻の俺も、あげはの返答次第では刃を向けていた、はずだ。


 ——そう、だから現状に問題があるとすれば、特権持ちがいる可能性——それが捨てきれないことだった。

 そういった相手に対して、俺からあげはの——言い方は良くないが——人類への有用性を示す必要があるのだろう。


「——となると、近日中にここにも来るかもな、反対勢力が」


「まあそうなるでしょうね。……私の見立て通りなら、カイト基準でそこまでの実力者は来ないとは思うわ。特に極級ハンターともなれば、言っちゃなんだけど、ここまで弱体化したあげはちゃんにわざわざ目を向ける暇はないはずだから」


「むぅ。相手にされてないってことですね。まあ良いですけど。元からそうなってほしくて弱くなったようなものですから」


 ——なぜあげはが人を殺せないのか、人の血を吸えないのか。本人は今のところそれを語ってはいない。ただあの言葉は、あの涙は、確かに本物だった。そして実際ここまで弱体化して変質している。俺を欺くためにここまで弱体化する必要はなく、そもそもこのレベルの弱体化は——最早不可逆的なまでの弱体であり、彼女のスペックが本来どれほどのものであったかは今となっては定かではないにせよ、ほぼ確定事項として——彼女が本来の吸血鬼に戻ることはないと断言できた。


 そうなると、もうほとんどただの人間とさえ言えるあげはは、おそらく初心者ハンターにさえ容易に狩られてしまうだろう。反対勢力が彼女を狙い続ける限り、そのリスクは持続するのだろう。


 ならば——即座に、迅速に、可及的速やかに、俺が行動する必要がある。そういうことだった。


「——エリカさん。提案なんですけど」


 手を挙げて発言をする。


「うむ。話してみなさい」


 エリカさんが微妙に声のトーンを落として厳粛っぽい雰囲気で俺に会話ターンを回してくれたので、俺は怒られることを覚悟でこう続ける。


「あげはを文化祭に連れて行こうと思いますが、どうでしょう」


「——うーん、うーーーーーーーん。

 ……通ります」


 なぜか急にカードゲームでカード効果の発動を許すかどうかみたいな駆け引きが発生した時の会話が発生した。かみあそび!読んだ?


「ありがとうございます。

 でも意外だった。エリカさん、てっきり反対してくるものかと」


「でもカイトもわかってるんでしょ? このまま守勢を維持するより、手っ取り早くあげはちゃんの無害ぶりを見せつけた方が良いってことを」


「もちろん。だからこうして文化祭へ連れて行くことを提案したわけだから」


 やはりエリカさんはわかってくれていたようだったので一安心。これで周囲の懸念材料は消えたので、後は——


「なぁあげは。ところで太陽光って当たっても平気か?」


「ダメですね。屋内なら案外ちょっと肌がヒリヒリする程度なんですけど、外はマジでダメです。アッシュライクスノウって感じです。

 あでも10月に降る雪ってもしかしてちょっと風情あります? 雪じゃなくて灰ですけど。えへへ!」


「えへへじゃないんだよ。俺はそうなってほしくないから聞いてんですよ」


「ていうかそもそも、私まだ文化祭行くとは言ってないんですけど。そこの確認はしてくれないんですか?」


「……言われてみればそうだ。ごめんあげは。つい先走っちゃったな。あげはが嫌ってんならそれでも良いよ。どうする?」


「いやむっちゃ行きたいですね。バンドとか超聴きたいです」


「ノリノリだった!?」


 黒紫あげは、人間社会エンジョイ勢説来たな……。

 でもそれなら話が早いし、俺も文化祭行きたかったし色々OKだ。オールオーケーだ。そうと決まれば話は早——くない、さっきの会話を思い出せ、俺!


「でもよく考えたら屋外での日光浴ダメなんだよな? 今日はメッチャ良い天気だから回避不能だぞ。そこんとこどうする?」


「こうします」


 そう言ってあげはは、体を器用に丸めていき、俺のスポーツバッグの中へすっぽり入っていた。いや、ぴったり入ってゐた。


「俺に竈門炭治郎になれと!?」


「じゃあ私は禰󠄀豆子ちゃんムーね」


「むーって別に語尾とかじゃないんだぞ!??」


「まあでもこれで解決ですよ先輩。とりあえず手頃な空き教室に入れてもらえれば、後はなんとかできますから。軽めの人避け結界ぐらいならまだ張れそうなんで、たぶんこの運搬方法で行けますよ!」


 などと言いながらビシッと親指を立ててサムズアップしてくる黒紫あげは。絵面がどう足掻いても犯罪のそれにしか見えないことを除けばまあグッドアイデアなのかもしれない。俺無実です、マジのマジで。


「どうやら話はまとまったようだね」


 そうか? エリカさん本当にそう思ってる? なんかちょっと半笑いじゃない?


「後は登校時間までにお風呂入れば完璧ですね、先輩!」


「それなんだがもうわりと時間がないので残念ながら速攻でシャワーを浴びて出なけりゃならなくなった。本当に悔しいがそういうことなんだ」


「えー! 私先輩と混浴したかったんですけど!」


「任務どころじゃなくなるからそれはもうちょっと待ってくれ!」


 ていうかもうさっき一回全裸見ちゃったから、今の俺はそれだけで頭いっぱいなんだよな、なのであった。


 というわけで俺とあげはは、そうは言いつつも時間が押しているため同時にシャワーを浴びることとなった。


 ——で。


「あっ……先輩、そこはダメですよ……」


「えぇっ、ごめん、いやなんていうか、シャワーよくわからんって言うから、じゃないな、ごめん」


 吸血鬼は流れる水の中だと動けないとかで、実際あげはもこれまでは、彼女の中では流れていないとギリギリ認識できる——つまり浴槽に浸かるという方式を取っていたのだが、つまりシャワーは初体験だと言うので、時短も兼ねて俺がシャワーを浴びせていたのだが、なんというか彼女はシャワーの感触が初めてだったようで、ちょいちょい可愛い声を出していた。


 なんかこれ俺が悪いことしてるみたいじゃないですか!?!?!?


「先輩……んっ……シャワーって……ひゃっ……こんな、こんなに、細やか……にっ、身体に当たるんですね——んっ……」


「………………」


 ダメだろ。

 何がダメって——俺の理性が、ダメだろもう。


 シャワーだよ? シャワーでお湯をかけているだけですよ? 俺なんなら触れてもいませんからね。


 限界ですよ。俺今かなり、かなり大変ですよ。朝からこれは——大変ですよ。


「せんぱい、せんぱい早く……頭洗ってください……じゃないと、あたま洗う前に私……んんっ……!」


 その前に俺がもうダメだよこれ。もう体洗うどころの騒ぎじゃないもん。君の背中しか今見てませんからね。でももう大変ですよ俺は。どうしようこれ。続きはWebに投げたいよ俺。


 えっでもこれ俺がシャワーでの洗い方説明した方が良いんだよね? やるしかないんだよね? やるって何を? 俺普段どうやって体洗ってたっけ? なんか今すげーゲシュタルト崩壊しかかっているので、もうよくわかりません。もう俺の理性も限界です。

 えっ、じゃあもう髪の毛洗いますね? 本当に変な声出さないでくださいね? やりますからね洗髪? やりますからねッ!!!!!!!!


「これ以上のダークネスはマズい——!!」


 そう言って乱入してきたエリカさんに思わずバトンタッチする俺。結局俺のシャワーは後回しとなり、遅刻寸前ギリギリセーフと言った感じで、スポーツバッグを担いで学校に到着した俺なのであった。


 ——というざっくりダイジェスト・モノローグで靴箱に入った俺(とあげは)だったのだが、意外にもそこには——普段ならこんなギリギリに靴箱の前にいるはずのない——白咲彼岸の姿があった。彼女は、若干だが不機嫌そうである。


「よ、よお白咲。お前がこの時間に登校——てのも珍しいな?」


 訳あって普段は基本的に、偶然を装って一緒に登校している加減で、俺は白咲が遅刻寸前な状況になることを意外に思っていた。それもあっての発言だったのだが——


「別に? 根源坂くんが急に『悪い今日ちょっと遅れそうだから先に行っててくれ』とか連絡入れてきたと思ったらすぐ風呂場の方で叫び声上げたり後なんか言い合いしてるのが聞こえてきたからと言って私は特に何も思うことはないわよ。

 そっちにもまあ色々理由があるんでしょうから、事情があるんでしょうから。あと情事もあったのかもしれないんでしょうから。

 だからこれはたまたま私も遅れそうになったというだけであって、別に貴方をここで待っていたとかそういうのじゃないの、ないのよ。わかってると思うけれど念の為。念の為あえてこうやって言っておくわ。そういうことなのよ」


 ——そう言って白咲彼岸は階段を登って二年生の教室へと向かっていった。


「……先輩」

「……なぁに?」

「先輩もわりと、罪な男ですね」


 ……そんなこと言われてもなぁ。


 アヤカシハンター以外の経験がまるで足りていない俺は、ただただそう独白する他、手立てがないのであった。


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