第10話「涙目のアゲハ」
——お手軽樹海ダンジョン。その最深部にて。
俺は、根源坂開登は、吸血鬼の少女と遭遇し、あろうことか一目惚れしてしまった。なんということだ。俺はどうしちまったんだ。なんだよクソ、どうなってんだオイ。
あんな、なんか肩に若干かからないぐらいの長さの黒髪——そして外ハネ——紫の目——血塗れのワンピース、そこから見える、座っているから見える太もも——あと胸——
俺は何を言っているんだ!?!?!?
左手で頭を掻きむしりながら、俺はとにかくこの感情をどうにかしなければならないと、ただただ大きく深呼吸しながら、肩を震わせつつ息を整えていた。
だから俺は何をしているんだ!?!?!?
「——え、コワ。
……あの、アヤカシの私が言うのもなんですけど、貴方ちょっとだいぶ狂気のそれですよ?
そのなんというか、私でよければ話聞きますよ?」
あろうことかアヤカシに心配されてしまった。
いや別にな? 俺は「アヤカシは全て敵なんですよ!」とかそういう思想ではないんですよ? 別に人をさ? 殺さなかったり危害を加えたりしないとかさ? そういうアヤカシだったらどうこう言うつもりもないんですよ? 残念ながらそういうのはそうそういるものではないんですけどね?
でもさ? いや急に錯乱? みたいな状態になった俺サイドにも問題があるよ? あるでしょうよ? けどさ? だからと言って君はなんかそういう、なんか優しさみたいなやつ? それを急に発揮する感じかどうかはわからないじゃん? 現にアヤカシをムシャムシャ食べていたわけじゃん? 人間である俺にそれをやるのかどうか……まずはそこを見極めたいじゃん? だからそういうなんか優しさとかをいきなりってのは警戒しちゃうわけじゃん? だからさ——
——むにゅっと。
たぶん胸が顔に当たっていた。
なんか血の匂いもするが、それは別に俺がムシャムシャいただかれたとかではなく、単に彼女の服に付着したアヤカシの血であった。
——ていうか。不思議なことに。
全然全く、これっぽっちも、俺への殺意が感じられなかった。
「——何があったかわかりませんけど。
こんな辺鄙なところですもん、誰も見てませんよ。ハンターさんだって色々抱えてることあるんでしょう? 何もしませんから、ちょっとは落ち着いてくださいな」
——いや、何もされてないっていうか。
おっぱいが顔に当たり続けている。
確かに危害は加えられていないし、本当に意外なことに、彼女より漏れ出す魔力からは今、戦闘意思が微塵も感じられなかった。
が、それはそれとして、たぶん今、俺の鼻息はすごいことになっていた。状況を想像するに、ちょっとこれは俺のキャパシティを超えていた。ハンターとしてはLv45ぐらいだが、こういうシチュエーションに関してのデッキキャパシティは2とかだった。
いや俺だってアヤカシからの魅了攻撃とか幻惑術式とか精神攻撃とか諸々のハニートラップへの対抗手段は講習を受けてきましたよ? だから普段ならこんなザマは見せないとも。伊達に名は轟いていませんからね。
でも一目惚れは違うじゃん。
人間とかアヤカシとか、なんかそういう問題じゃないじゃん。敵とか味方とか、そういうのじゃないじゃん。俺がなんかバカみたいだけど、でもこれ今相手もだいぶ優しいじゃん。おっぱい柔らかいじゃん。もう泣きそうだよ色んな意味で俺さァ!
「——名前。
名前、教えてくんない?」
で。やっと絞り出した言葉がこれである。さっきも聞いてビックリされただろ。なんで同じこと繰り返しちゃうかなぁ俺は。ポケモンのソーナンスにアンコール食らったのかなぁ俺は。
「——あげは。
黒紫あげは。これが私の名前です。強そうでしょ」
ちょっと誇らしげに胸を張ったので、俺の顔はさらに圧迫された。これもう天国であり地獄だろ。
「ちょっとちょっと。私だけ自己紹介したのおかしくないですか? あなたもなんか言ってくださいよ。なんかっていうか名前、なーまーえー!」
そう言われて体を掴まれ正座させられたので、観念して俺も名乗ることにした。
「……根源坂開登。17歳。高校生かつアヤカシハンターで——趣味は通学チャリでのサイクリング、あとポケモンです」
嘘偽りなく、ただただ純粋に、ものの見事に正直な自己紹介。すると、黒紫あげははギョッとした表情でたじろいだ。
「1歳上……! はわわ、私なんて失礼を……!
殺される……私このままじゃこの人に殺されちゃうんだ……」
「短絡的すぎるだろ! 殺さないよそんないきなり!」
「でも私はアヤカシで、あなたはハンター!
じゃあもう——殺されちゃうんだぁ!」
涙目でへたり込む黒紫あげは(16歳)。急に泣くのやめてくれよマジで! なんか俺がスッゲー悪いやつみたいじゃん!
「まぁ待て! 他のハンターにはそういう奴もいるけどさぁ! 俺はそこまで見境なくない! おまえ——君——黒紫さんが人を殺してないならなんなら見逃すし『こいつは安全です』保証ももらえるように取り計らってみるからさぁ!」
我ながら何言ってんだって感じだが、実際別に俺はアヤカシという総体に対しては憎しみを抱いていないので、アヤカシ個人個人の人となり次第では見逃すこともやぶさかではないのだった。
「——ほんとですか?
そんなこと言って……私に酷いことしませんか?」
そう訊ねてくる彼女——黒紫あげはは、やはり涙目のままで、少し怯えた風であった。
これまでに何があったのか、詮索するつもりもない。
ただこの目は——嘘ではないと信じたいと思える、そういう目であった。
だから、俺は本当に彼女を守りたい一心で口を開いた。
「——酷いことなんてしない。でもこれだけは聞かせてほしい。
……人に危害を加えたことはないな?」
——それがたとえ一目惚れであっても、譲れない一線というものがあった。
人の味を覚えた動物が脅威となるように、人を喰らうアヤカシもまた脅威。
脅威は、除かなければならない。だから、断腸の思いで、確認の言葉を発した。
「——殺せるわけ、ないです。
私……人を殺せません……。どうしても、できないんです……アヤカシにとって、本当にただの食事だって、そう思おうとしても——。
私これでも吸血鬼なんです。でも血を吸えなくて、アヤカシは人の天敵だから、人の血を吸わないとダメなのに……私吸えないから……吸血鬼としてどんどん弱っていって——弱いアヤカシを倒して食べて、それでどうにか魔力を自転車操業させている感じで……どうしていいかわからなくて——」
ここまで聞けば、もう十分だった。俺が結論を出すのに、もはや逡巡はなかった。
「——そうか。
なら良い。俺がなんとしてでも、君を保護する、してみせる」
俺の答えを聞いた彼女は、声が少し上擦って、ついにはへたり込んだまま泣き始めてしまった。
「もうこれからどうしたらいいかわかんなくてぇ! そんな気持ちのままダンジョンに潜っていたら貴方に会ってぇ……っ! あぁ、これが私の終わりなのかなぁ。……とか思ってたらいきなり名前聞かれて……なんか気づいたら私、こんななっちゃってました。
……おかげで元気出ました。先輩のおかげで、死に損なっちゃいました」
泣いて腫れた目のまま、彼女は少し微笑んだ。
「——ていうかなんで先輩呼び?」
「——いっこ歳上ですから、先輩です。
……先輩、私本当は死に場所を求めてたんだと思います。でも先輩が急に髪の毛を掻きむしり出してくれたおかげで、私、なんかちょっと元気出ました。もうちょっと、頑張れそうです」
「なんかもっとカッコつけたかったな俺」
「先輩ってたぶんそういう若干ダサいところがむしろ良いんだと思いますよ?」
少しイタズラな笑みで、黒紫あげはは俺に顔を寄せ、
——ちゅ。
俺の頬に、なんかがドン!
俺は目の前が真っ暗になった!
——真っ暗になったわけではないが、想定外にも程があるなんかそれが来たので、また髪の毛を掻きむしりそうになったががんばって踏ん張った。
「ふふ、案外、うぶなんですね、先輩♡」
「うぶじゃねーし!!!!!!!!」
「あーそれ
「あーもう助けてやんねぇぞ!?!?!?」
「そんなこと言わないでくださいよー! 感謝してるのは本当なんですからぁ!」
……なんじゃそりゃって感じだが、
これが彼女との最初の出会い。
そしてある種のカウントダウン。
ところで今日は文化祭。
開放式なので、外からも人がやってくるのだった。
◇
——1時間後。
根源坂開登からの報告を受け、協会は揺れていた。
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——ダンジョン深部で、協力的なアヤカシを発見した。
俺の方で様子を見るので、静観していてほしい。
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ざっとこのような内容だったのだが、実際魔力濃度もそこまで高くなく、なんなら術式の起動すら確認できないレベル。
実際問題、仮に黒紫あげはが暴れ出しても、根源坂開登が止めれば即座に解決するレベルの話であった。
なにせ、弱体化の関係でアヤカシとしての性質が吸血鬼から変化しており、もはやちょっとだけ魔力を使える人間——そんなレベルになっていた。
ならば、アヤカシへの知見を深めるためにも、根源坂開登の提案に乗っていくのも手か——と言った流れで、協会が出した結論は『黙認』であった。
ただし——協会も一枚岩ではなく、
「……で? 僕たちが権限使ってその
「——【確率魔性】の影が見える。そう言っている」
「——まぁアギトくんがそう言うんなら、裏で動いてんだろうけどさぁ。開登くんも可哀想にねぇ」
「——吸血鬼の成れの果てがそうとは限らない。だが、」
「もう呑まれてるかも……でしょ? わかってるよそんなことは。だから可哀想にねぇって僕は言ったんだよ」
初老の男と寡黙な青年が、協会の廊下を歩いていく。
——
彼らは独自行動を許された協会の精鋭にして最強の盾と矛。
彼らが狙う者——それもまた、黒紫あげはであった。
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