第二章『追憶のアゲハ』

第9話「樹海のアゲハ」

 ——この先の話をする前に、語るべきことがある。


 今現在の俺、つまり——戯画高校三年生である根源坂開登こんげんざかカイトを形作るに至った、半年ほど前の出来事を、今語らなければならない。


 かつての大失恋——吸血鬼の成れの果て、血ではなく死を吸う鬼の姫——吸結姫・黒紫あげは。彼女との、出会いと別れの物語を。




 ——第二章『追憶のアゲハ』




 ◇


 首都【芸都げいと

 戯画町——中央公園外れの林

 10月某日 AM6:00


 ——天気、雨。


 さぁーーーーーーーーー……と。

 雨が静かに木々を濡らす。


 普段なら近場の休憩スポットで雨宿りをしつつ、公園を眺めながら本でも読むと程よく風情が出て何となくオシャレかもしれんなぁ、などと思ったりもするのだが——


『カイト、現場には着いた?』


 ややノイズ混じりの音声が、耳につけたインカムから聴こえてくる。

 今この林は通常の通信は不可能。

 ゆえに——念話能力を持つアヤカシハンターのサポートを受けて、このように、インカムへテレパシーを集積している。


「着いたよエリカさん。

 情報どおり、林の中はすでにダンジョン化している。魔力の質からしてそこまでの強さではないけど、雨で視界が良くないので、臨戦態勢で攻略します」


 通話相手が同居中の後見人であるため、公私が混同してタメ語と敬語が混ざり合う。そこに若干のむず痒さを感じながら、俺はダンジョン化した林を進み始めた。そこは概ね、朽ちかけた樹海の様なダンジョンだった。


 上級以上のアヤカシが持つ浸蝕結界以外でも、中級以下のアヤカシが複数たむろすことで魔力が凝縮してダンジョンを形成することがある。

 質だけで言えば、今回のものはおそらく後者。空気中の魔力があまりにも粗雑で穴だらけでスカスカなのだ。

 仮に浸蝕結界であろうとも、これを展開したアヤカシは相当弱っている。


 ——本当に俺の任務か?


 別に自惚れているわけではない。

 ただこれでも俺はそれなりに腕の立つハンターであるがゆえに、このような木端なダンジョン——なんなら未だ誰一人として人間を巻き込んでいないようなダンジョン——それを俺に回して本当に良いのだろうか? 新人の実戦訓練に回した方が良いのではないか? そう思ったがゆえの疑念であった。


 ただ、基本的に任務は、振り分け担当部署が厳正かつ迅速な審査を行なった上でハンターに降りてくる。となればなんらかの懸念要素がこのダンジョンにはあるのだろう。というかあった。

 まあそれにしてはそこら辺の説明もやや曖昧だったのだが。


------------------------------

“あの、これ本当に俺の任務なんですか? 流石に緩すぎません?”


“それがだな根源坂くん。振り分け部署の方でも意見が割れていたようなんだが、どうにも【確率魔性ラプラス】の魔力が若干数漂っていたようでな”

------------------------------


 ——【確率魔性】。その名をラプラス。

 フルネームはラプラス=ファタール。


 量子力学によって既に否定されし『ラプラスの悪魔』が、アヤカシの魔力を使って具現化しようとしている——そういった眉唾ものの都市伝説。


 ありえない——とは言い切れない。だが、

 必ず来る——とも言い切れない。


 それぐらい曖昧で、あやふやで、そこまで現実的でない、御伽話の範疇に位置する仮想のアヤカシ。それが、【確率魔性】ラプラス=ファタールであった。


 何だそれ、アホらしい。


 アヤカシやらハンターやらが存在するこの世界でそういう考えを抱くのもおかしな話だが、とは言えこれは、論理が飛躍しすぎている。


 まだ何か色々と足りない。その様な明確に仮想アヤカシとされているラプラスが姿を象るに足る理屈が、論理が、こじつけが、圧倒的に不足していた。


 その状況で【確率魔性】の魔力を発見?

 誰がそんなことを言ったのか。

 誰がそんな話を信じたのか。

 誰が根拠を捏造したのか。

 全然わからないし、煩雑すぎる。協会は今、何をやっているのだろう——。


 俺はそういったことを脳内で反芻しながら、魔剣【夜霧刀ナイトミスト】をぶん投げる。

 投げた先には、草花が凝縮した人型の下級アヤカシが複数体待ち構えていたが、ナイトミストが魔力の霧を放出しながらブーメランめいてそれら全てを切り裂き爆散させ——そして俺の手元に戻ってきた。


 今日はソロ攻略なので、剣だけは解禁していたのだった。


「エリカさん。周囲に他のアヤカシ反応はある?」


『いや、ないね。構造的にそこがそのフロアの最奥部だ。たぶん近くに階段でもあるんじゃないかな』


「……あぁ、ある。下に続いている。とりあえずこのまま向かってみるよ」


 そう言いながら、既に階段を降りている俺。言うてこのレベルのダンジョンは鍛錬にすらならない。Lv45ぐらいあるのに今更平均Lv2とかのダンジョンに潜っているようなものだ。

 本当にこんな木端ダンジョンに噂のラプラスはいるのか? 何から何まで眉唾ものすぎて、眉が唾でドロドロやんけって感じであった。


「オオオオオオオオオオオオオ!!」


 階段を降りてすぐ、咆哮と共に、俺の眼前にアヤカシが出現——というか待ち構えていた。アンブッシュというやつだろう。


 顔がでかい向日葵の草人間。いや草人間って何? ともかく2メートルぐらいあるので、格はともかく圧はバッチリだ。両腕を上に伸ばしながら雄叫びをあげて俺へと迫り来る恐怖の向日葵人間。いや人間じゃなくてアヤカシなんだけど。


 とにかく夕方ごろ下校途中で出会したら流石の俺も叫ぶかもしれんと言った感じの恐怖ビジュアルをこれでもかとアピールしながら迫り来る向日葵怪人。いや確かに怖い。だいぶ怖い。夢に出てきそうだ。


 なので手早く解体した。


 まず右足の付け根。次に鼠蹊部。Vの字状に刃を走らせ左足。

 落下してきた上半身をそのまま下から上へと、通常とは逆流の袈裟斬りにしつつ、向日葵フェイスに魔剣を突き立て魔力を注入。

 限界を超えて向日葵怪人は霧散した。


 周囲に俟った魔力は全て吸い取った。収支プラス。なんて効率的な武器なんだろうね。構造解析されたら一発で「いやこれ極小サイズの浸蝕結界やんけ〜〜!」って即バレするのでソロ限定に等しいのだが。


 別にやましいことをしたわけではないのだが、アヤカシの力を行使できる人間というだけで『組織の中の裏切り者』とか『裏切ったのは——誰だ!?』とかそういう疑念を持たれるのも本意ではない。そういうわけなので俺は基本的にこの魔剣とか浸蝕結界の展開を自重しているのだった。


「つーか今ので打ち止めかよ。やっぱこれハズレなんじゃない?」


 そう言いつつも、エリカさんからのレスポンスがないことに気づき認識を切り替える。


 通信途絶など、複数階層構造の——特に下へ降りるタイプのダンジョンではよくあることなのだが、こうなった際に「つっても楽勝ダンジョンっしょ!w」とか言ってズカズカ下層へ行ってそのまま帰ってこなかったハンターもそれなりにいる。


 通信ができなくなるということは、ただそれだけで外界との繋がりが遮断されるということ。そうなってしまえば完全にそこは異界となる。外界から完全に隔絶された、魔の領域となる。

 ただそれだけのことだが、そういった状況というだけで——完全なる異界化という工程がクリアされ、


 衆目に晒されないという、ただそれだけで、未知であり恐怖であるアヤカシは、その力を増すのだ。


 そういうこともあって、俺は持ち込んでいた刀剣類をスポーツバッグから取り出して、魔力操作で【飛行能力】を付与。俺の移動に合わせて追従するようプログラミングを施した。


「キキィーーーーー!!」

「イィィィィィ……!!!」

「ヤァァーーーーー!!」


 さらに迫り来る、ゴブリンタイプ、人面犬タイプ、加えてゴリラ。いやゴリラなわけないだろ。ゴリラタイプなだけである。とはいえ森の賢者みたいなアヤカシまでいるとは末恐ろしいぜ。ギアが一段階上がったって感じだぜ。


 棍棒を持ったゴブリンが人面犬に騎乗して襲いかかってくる。

 それを避けようにも、俺の背後にはすでに全長3メートルのゴリラみてぇなアヤカシが両の拳で挟撃してきている。いくら俺でも食らえばまずい。


 ゆえにその場でブレイクダンス。そのまま逆立ちカポエイラ。

 いやまあ実際にカポエイラをやっているわけではないので、厳密に言えば逆立ちして回転蹴りを繰り出したのだが、蹴ったのはアヤカシではない。


 ——蹴った対象は刀剣類。

 魔力を脚に乗せて剣を蹴り込む。

 魔力と加速を得た剣たちは、空を駆ける剣舞となりて、アヤカシ全てを斬り裂き抉る。


 断末魔もなく、下級アヤカシは爆発四散した。


「もういいだろこれ。飽きるよマジ」


 まあまあウンザリしながらも、階段を見つけたので俺はそれをも降って行く。

 そろそろ結界の主人とかいないかな。いなかったら有象無象のアヤカシ軍団と戦うのかなぁ。

 その様なことを思いながら地下三階へと到着すると——


 そこはどうやら最深部で。アヤカシの群れの本拠地で。


「——ん。……あれ、お客さん? あぁごめんなさい。アヤカシの群れこの結界の起点はもういないの。私が今、食べちゃったから」


「——————」


 本当に、何度思い返しても、自分でもどうかと思う。


「——あれ。ていうかハンター? えぇ……さいあく。しかもめっちゃ強そう……」


 その外ハネの黒い髪を、紫の瞳を、血を滴らせながらも瑞々しいその唇を、その戦果に似合わぬ華奢な体躯を、その笑みを。その驚いた仕草を、表情を。


 俺のこの目が追って離さない。


 魅了の術式などまるで効かないこの俺が、つまりはただ単純に、信じられないほどシンプルに。


「——お前」

「——ひゃいっ!? 私殺されるんですか!??」


「————名前を、教えてくれませんか」

「いやぁーーーーーー——ぇ?」


 俺は、このアヤカシの少女に、一目惚れしてしまったのだった。

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