第8話「その名はラプラス」

 ——浸蝕結界。それは上級以上のアヤカシのみが有する体内の小宇宙にして、彼らのみが行使する絶対にして超常の特殊能力。

 世界を犯す、魔性の創造術式。人間が使える代物ではない。


 ——だが。俺は人間だ。

 その異界術式を有して行使する俺は、アヤカシではなく人間だ。

 嘘偽りなく、意識の混濁なく、記憶の改竄もなく、ただただ、真実として——俺は、根源坂開登こんげんざかカイトは人間である。


「——バカな。有り得ぬ、このようなことは罷り通らぬ……。

 貴様……なにゆえ浸蝕結界を有している……?」


 浸蝕結界は、使用者の精神構造やら過去の体験やらポリシーやらが複雑に絡み合って形を成す。ゆえに、その展開される光景も、発動する特殊能力もそれぞれ異なる。


 ——目の前のアヤカシ、ブラッドソード・プラウドハートの展開した【永劫利己の鮮血城塞エゴイスティック・ブラッドタンク】は、通常数キロメートルにも及ぶ広大なダンジョンを城塞サイズに圧縮することで、ダンジョン内を回遊していた血液を己の周囲に集め、それらを武器生成なり、自身の回復力強化なりに充てることを可能としているようだ。


 元々死にづらい吸血鬼であるブラッドソードがそのような超回復能力を得ていた場合、おそらく倒しきることは不可能だっただろう。


 なにせ結界内では太陽も出ておらず、その状態で持久戦に持ち込まれていたら、たとえ俺が攻撃力204000みたいな桁違い打点を持っていたとしても先にスタミナ切れしていたに違いない。


 そういう意味では確かに強力な術式であろう。

 ——だが、

 結局のところ、とどのつまり、俺なりの結論を言えば、それは吸血鬼の能力の延長線上にすぎない。


 それであれば——俺の結界で事足りる。


 そんなわけで俺が展開したのがこの結界、

 浸蝕結界【悪霧都ナイトメアミスト】。


 読んで字の如く、辺り一面霧まみれの摩天楼。空すら覆って、朝も昼の夜も何もかも曖昧。

 それでいて別に吸血鬼が有利になることもなく、結界範囲内限定ではあるが、大気中の魔力を全て霧に変換して俺の支配下に置いている。

 奴の体内にある魔力は流石に奪えないが、肌を通してじわじわ吸い取ってはいるので、持久戦などもってのほかだ。

 ここは、俺の敵——つまりアヤカシにとっては悪夢の如き霧の都市。ゆえに悪霧都ナイトメアミスト、そういうことだった。


「先輩。私わりとびっくりしてるっていうか、つーかなんでこんなの使えるんです? アヤカシなんです?」


 味方判定しているので魔力を吸われないため呑気しているアホに一瞥。

 話してわかる話でもなし、でもとりあえず端的には言っておくか——そう思い、


「アヤカシ由来ではあるが俺は人間だよ。

 上層部が『使うな』って言ったのは混乱を招くから。アヤカシみたいだからな。

 そして俺がこうなった由来は——」


 と、仮面ライダーオーズよろしく簡潔に三つの出来事として説明していたところ、三つ目の佳境も佳境、花京院といったタイミングでブラッドソードが口を挟んだ。


「——【サカサヒガン】。そういうことか?」


「……ご名答。

 あぁ、お前欲しそうだもんな。

 でももうないよ。俺が使っちゃったから」


 そう俺が口にした時のブラッドソードの顔は、絶望感に染まっていた。

 己が求め続けていた悲願が、ついぞ成就しなくなったと確信したかのような、そんな表情だった。

 そんなことないと思うよ、解決法って一個だけじゃないこと結構あるよ。

 まあお前はここで俺が倒すんだが。


「——サカサヒガン、聞いたことありますよ先輩。

 ……、ですよね?」


「そ。それそれ。

 まぁ細かいことはおいおい話すとして、とにかく俺はそれによって、使というルールを反転させたわけよ。

 で、結果として俺は浸蝕結界を使えるようになった、そういうことよ」


「先輩はそう言っているのよ。

 覚悟しろよすっとこどっこい吸血鬼!」


 人差し指をビシッとブラッドソードへ突き立てて穂村まりんが言い放つ。なんでお前がそんな得意げなん?


「——だが、膂力ではまだ我の方が上。

 我が魔剣【死の舞刀ダンスマカブル】よ、その真の姿を表せ!」


 己の体内魔力を使って、ブラッドソードは赤黒の魔剣を魔槍へと変貌させる。

 周囲の霧すら弾くのが見えるため、槍全体を魔力で覆っているのだろう。簡易的なシールドといったところか。


「この【死の武槍ランスマカブル】を以て貴様を刺し貫こう。

 例の剣を出そうともリーチで槍に勝てると思うな——!」


 そう言い放ち襲いかかってくるブラッドソード。脅威度判定で穂村まりんより俺が高得点を叩き出したようで、まずもって、何をもっても最初に俺を瞬殺しようという腹づもりのようだ。


 背中からは吸血鬼の悪魔じみた羽が出現し、超脚力とのコンボで超スピードの滑空撃を繰り出してきた。


 結界を展開できると言っても俺は人間。そんな超人的な速度で迫られては対応もできない。ゆえに簡単に刺殺されてしまう。


 だから先に手を打った。


「獲った————何!?」


 ブラッドソードが刺し殺した俺は霧の幻影。俺はすでに奴の背後にいた。


「——【幻茫姿まぼろし】」


 超絶イケボで技名を披露しつつ魔剣【夜霧刀ナイトミスト】を逆手に持ち突き刺す動作に入る。


 この剣は俺の体内魔力および周囲の霧を吸収して攻撃力に変換できる。突き刺せば相手の体内に剣の貯蔵魔力を放出することも可能。

 今まさに行おうとしているのが後者であり、俺の結界内で弱体化したブラッドソードならばこれで焼き尽くせる。


「——バカな」


 後は突き刺して魔力をぶちかますだけ。

 そう確信した直後であった。


 ブラッドソードの羽——、埋め込まれ収納されていたが現れた。


 ブラッドソードはその少女を抱き寄せ、首筋に指を立てる。

 少女に意識はないが、肌に赤みがあることや、腹部の動作から生存だけは確認できた。


「——本当にこの女が貴様の弱点だったようだな。我がこのような手を使うことになろうとは……誠に……誠に業腹ではあるが……」


 ——人質。俺が想定していた嫌な展開の一つ。城塞内部の惨状によって、逆に思考から除外されてしまっていた展開。それが今、現実となっていた。


「……さぁどうする人間どもよ。

 今ここで、この女を犠牲に我を倒すか。

 或いは武器を捨てるか。

 今すぐ答えを示せ、即座にだ。今の我は気が短いぞ」


 ——思考が、固まる。

 今取るべき行動が、否が応でも定まっていく。


「——先輩。

 ?」


 真顔で、穂村まりんが俺に問う。

 俺の答えを問うてくる。

 その顔で、いつか離れ離れになった彼女と同じ顔で、俺の覚悟を問うてくる。


 ——俺はもう、大事な人を失いたくない。


 その思いだけはとっくの昔に決まっていたので、


「すまん穂村。付き合ってくれるか?」


 俺は魔剣を、ブラッドソードの前に投げ捨てた。


「しょうがないですねぇ先輩は。

 ……ま、良いです。素敵な終わりを見せてもらいますよ」


 穂村まりんも俺に続いて、スポーツバッグを投げ捨てる。


 これで俺たちは、両手を上げたことでどこまでも、どう見ても丸腰となった。


 当然の如く、浸蝕結界も消滅し、辺りは元の路地裏に戻った。

 日陰ゆえ、日光でブラッドソードが焼かれることもなかった。


「フン、それで良い。我とて、まだ死ぬ気はないのでな。

 だがしかし、実にはらわたの煮え繰り返る展開であった。怒りで我を失いそうであった。

 この怒り——お前の絶望を以て晴らしてくれようぞ」


 この眼前の吸血鬼が、プライドもクソもないブラッドソード・プラウドハートが、素直に人質を解放するとは思っていなかった。思えるはずがなかった。それでもアイツを見殺しにしないためには、白咲彼岸を見殺しにしないためには、俺はこの状況を飲むしかなかった。


「そうだな。——この剣を、お前の魔剣を使って、この女を殺そうか。

 どこから割こうか? やはり腹か? 我がはらわたを煮え繰り返したのだから、この娘にははらわたをボロボロ溢してもらおうか。

 見ていろよ、小僧。我を怒らせたその報い、死以上の慟哭を以て償わせてやろう」


 ——飲んだ上で、俺の煮えたぎった怒りの感情は、その上で冷静に召喚宣言その言葉を発していた。



「——召喚、【封印獣-ツタノシガラミ】」



 瞬間。ブラッドソードが持とうとした俺の魔剣から、俺の魔剣にカードから、何本ものよもぎ色のツタが出現し——ブラッドソードを絡め取った。

 そして——


「——これは!? 力、が……ッ」


 ブラッドソードは一瞬完全に脱力し、白咲は地面に倒れ込んだ。


 俺は即座に白咲の元へと走り、無事を確認する。

 彼女は穏やかに寝息を立てていた。


「——良かった、無事でいてくれて」


 彼女を地面に寝かせると、俺は剣とカードを手中に収める。


 ——そう、カード。

 ここに来るまでの道中にて、俺が緑川ゲンスケから購入したレアカード。

 彼が封印したアヤカシの力——その一端を限定的に使用できるカード。それがこの【札伐闘技ソリッドカード】だった。


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【封印獣-ツタノシガラミ】

種別:アヤカシ

APアタックポイント:1000

効果:場に召喚された場合、相手1体を選び、そのターン中その相手の攻撃および能力を全てキャンセルする。

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 記された効果テキストの通り処理が行われ、ターンというのは流石に1分ほどなのだが、ブラッドソードはあらゆる動きをツタで止められた。


「じゃ、これにておさらばだ。

 ——ところでブラッドソードさんよ。死ぬ前に、


 ここまでの戦いで一つ分かったことは、ブラッドソード・プラウドハートは、である。


 高い自己顕示欲が奇跡的に功を奏して、という限定的ながらも強力な術式を獲得していたようだ。


 なにせ本人があまりにも隙だらけなのだ。そのくせやたらとセコい戦法を取る。尊大と見せかけて単に自身を大きく見せているだけという、そんな感じ。結界を上書きした際に気づいたが、素のスペックはせいぜい中級アヤカシレベル。これでは俺のブランク明けダンジョンに選ばれてしまうわけだ。だってあの時こいつのダンジョンは棺の形状でスリープモードだったのだから。


 そんなブラッドソードのそうでもなさに対して、前日の強襲や白咲の誘拐はどうにも計画的かつ俺に対してあまりにも効果的だった。


 加えて白咲を人質に取った際の奴の発言——どう考えても裏に黒幕がいるに決まっていた。決まりきっていた。


 ゆえに俺はとりあえず聞いてみたのだが、


「——悪いが、これでも惚れた女には弱いのでな。それを話すことは、決して有り得ぬ」


「そうか。じゃあ、俺から言うことはもう何もない。ハンターとして、やることをやるだけだ」


 そう言って。朝日が差し込む路地裏で、ブラッドソードは、俺の魔剣で霧散した。



 ——路地裏の裏、路地表もとい駅前アーケード街の方から様々な声が聞こえてくる。


「なんかさっき赤い月出てなかった!?」

「映画の撮影でーす!」

「霧も出てなかった!?」

「撮影でーす!」

「あんな一瞬で城とかビルとか生えてくるか!?」

「プロジェクションマッピングでーーーーーーす!!!!!!!!」


 ……処理班の皆さんが、現代においてどれだけ苦労しているのかが察せられる。無茶だろ、プロジェクションマッピングで押し通すのは。


 俺は俺でやることをやろう。そう思いスマートフォンで電話をする。


「あ、もしもしエリカさん? 俺だけど。

 ……ごめん。結界使った」


『しょうがないでしょ。相手が町中で結界使ってきたら、普通は押し返せない。カイトだからできた手だよ。

 ……ああ安心して。今現場にいる処理班は、事情を知ってる上層部直属の部隊だから』


 スマホ越しに聞こえてくるエリカさんの声は、いつもより上擦っていた。——心配かけたのかもな。ごめんな、エリカさん。


「フォロー助かります。

 ……ただ、今回の一件、どうにも協力者がいるようで」


『ブラッドソードが漏らしたのね。

 その件は私からも報告しておくけど、カイトの方からもよろしくね』


「了解です。ではまた、後ほど」


『うん。家に帰るまでが任務だからね。無事の帰投を祈ります。では!』


 通話終了を確認すると、俺は穂村まりんがいないことに気づく。無事なのはわかっているが、マイペースなやつだな全く。

 そのようなことを独白しつつ、白咲の方へと視線を移す。——ちょうど、辺りの喧騒で目を覚ましたところのようだ。


「おはよう白咲。学校、遅刻だな」

「——んえ? あれ、根源坂くん……? おかしいわね、私確か、あなたが一向に家から出てこないから先に登校していたはずなんだけど——んんっ!?」


 困ったことに、感極まったことに、俺は白咲を抱きしめていた。

 失わずに済んだ、無事で済んだ、そのことが、俺には何よりの報酬だった。


「——ちょっと、根源坂くん? どうしたの……?」

「——ごめん急に。でも、元気そうで何よりだ」


 困惑する白咲だったが、根負けしたのか俺の腰に手を当てて黙ってしまった。怒ってないと良いんだが。


 視界の隅に、紅潮した彼女の耳が少しだけ見えた。



 第一章「夜霧刀」、了。


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 黒幕の名はラプラス。

 ラプラス=ファタール。


 根源坂開登がそれを知るのは、まだ先の話。


 第二章「追憶のアゲハ」に続く。

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