第7話「禁断具現、【悪霧都】」
吸血鬼、ブラッドソード・プラウドハートの居城——と思しき現代ダンジョンへと自転車で向かう俺。エリカさんは車の用意をしていたが、正直今朝のエリカさんが上級アヤカシと鉢合わせするのはリスキーに感じたため、そこは固辞しておいた。
普段ならともかく、酒を飲んだ翌日は、まだ精神面になんらかの不調が残っている可能性があったからだ。
シュテン=ハーゲンがどういったアヤカシだったのかは最早定かではない。だが、現代でも指折りのアヤカシハンターとされたエリカさんがこうなってしまったというだけで、その恐ろしさを俺は感じていた。
とはいえ、とはいえである。そういった事情を抜きにしても、エリカさんは広域索敵能力に長けているハンターなため、正直なところ勘でダンジョンに急行するぐらいなら、家や協会でしっかり精神統一してから芸都全体を超広域スキャンしてもらった方が確実であろう——そういう判断でもあった。
俺はあくまでも現場へ赴くスタッフの一人であり、今回は他の何人かのハンター同様、先行して様子を伺う斥候という側面が強かった。
——もっとも、仮にブラッドソード本人だった場合、戦闘は避けられないだろうが。
他にもいくつか気になることがあり、もっとも奇妙だったのが、それこそ昨夜のダンジョンであった。
これは先ほど家を出る寸前にもエリカさんが言っていたのだが、昨日のダンジョン——【現代dungeon駅】——にはブラッドソードの気配などなかったという。
俺はエリカさんの索敵精度を信頼しているため、おそらくはブラッドソードに気配隠蔽能力があるのだろうと推測している。
それによって、弱小ダンジョンだと思い込んで入ってきたハンターを捕食する。そういうやり口なのかもしれない——そう考えたのだ。
それ以外にも色々と候補になりそうな能力は浮かぶが、あまり脳内をごちゃごちゃにしたまま戦闘に入るのもよろしくない。
ここはスパッと切り替えて、良い意味で『出たとこ勝負』の思考パターンにスイッチを入れた。
などと脳内対話をしているうちに、目的の場所へ到着した。
本来なら早く現場に向かったほうが賢明なのだが、正直今のままでは昨日と戦闘スタイルがまるっきり同じになりかねない。
複数人で囲ってレイドバトルよろしくブラッドソードをタコ殴りなりヒットアンドアウェイなりするだけでは、おそらく倒せないことは——昨日の時点で結論は出ているわけなので、となればやることは一つ。
俺はなんでも頼る、必要とあらばね。
それで俺は、『カードショップ黒緑』の入り口前まで歩み寄った。
扉には『あいてません』と書かれた札がかかっている。
——この店において、これは開いているを意味した。
通常、ここは主にトレーディングカードゲームを扱う店であり、開店している場合『OPEN』、閉店している場合『CLOSE』という札がかけられている。
つまり今は、そのどちらでもないということだ。
あいてません。
——この場合これは『開いてません』ではなく、
『空いてません』→予約客で空いてません。
そういう意味となっている。
なんだそりゃって感じなのだが、まあなんというか、これの意図がわかる人間のみを相手にする時間というわけであった。
回りくどい形になったが、要は『あいてません』の札がかかっている時は、ハンター向け商品を陳列している時——ということである。
そういうわけで扉を開けると、カランカランと金属が軽くぶつかる音が鳴り、奥のカウンターに座っている、茶髪無造作ヘアーのアラサー男性——
「……いらっしゃい。
今日はまだ開店前なんだがね。何の用だ?」
「ここに来て買うもんなんて決まってんだろ。
——レアカードありますか?」
俺は
◇
件のダンジョンが発生したとされる路地裏——の表、路地表——などとは言わず、普通に駅前アーケード街に俺は到着した。
時刻は8時25分。まだホームルームすら始まっていない。だが今から向かっては間に合わない、それぐらいの時間、もう今日のところは仕事を始めるかと観念するにはちょうど良い時間であった。
「おや、先輩じゃないですか。今着いたんですか? 思ってたよりゆっくりですねぇ」
声のする方へ振り返ると、そこには黒紫——ではなく穂村まりんの姿があった。今日もスポーツバッグを背負い、臨戦態勢だ。
「そもそも俺はお前を当てにしてたんだがな。元はと言えばお前が受諾した任務だろ? で、昨夜は『明日また合流しましょうね』って話だったじゃないか」
「だと言うのに連絡の一本もよこさなかった先輩。私捨てられちゃったのかと思って枕を濡らしてたんですよさっきまで」
「それギリギリまで寝てたってこと?」
「そうとも言います」
「そうとしか言わねぇんだよ!!」
思わずつっこむ。しょうがねぇだろこの後輩がナメてんだから。俺と言うかアヤカシハンターという仕事を。
「まぁいいや。俺もお前を呼んでから突入する腹づもりだったんだ。むしろ呼ぶ前にここへ来てくれて助かったよ。でもよくここってわかったな」
「だって昨日の不意打ちが実際如何ほどのものだったかはわかりかねますが、それでも結界が乱れるレベル。となればそこまで遠出はできないであろう——そう思ったわけです。ほら、あのダンジョンってレイヤーがズレてるだけで、実際の位置は
「で、適当に噂を流して、釣られて来た人を貪り食ってた……そういうわけかよ」
俺の問いに穂村まりんは首肯する。
「ついさっき学校のお友達にも電話で聞いてみたんですが、どうやら8時20分を過ぎても来る気配のない人がちらほらいるようで」
「普通に遅刻とか、あとはそもそもホームルームギリギリに来るやつって線はないのか?」
「そういうパターンが多い人は今回除外してますよ。私はチャーハン頼む際、あらかじめ味が苦手なグリーンピース抜きをお願いするタイプなので」
「たまには食えよ?
——じゃなくて、そいつらがここに続々と集まっているってことは……下手したら大量の人質がダンジョン内部にいるってことになるか」
「どうでしょうね。もう吸われてるんじゃないですか?」
「……他のハンターが先行しているはずだ。ここが本当にブラッドソードの根城だったとしても——」
ここまで言いかけて、言いかけておいて、自分が如何に平和ボケしていたのか——ブランクの間に思考が鈍っていたのか——そういったことを思い知らされた。
——あの規模のアヤカシが少しでも攻撃態勢に入ったら、ハンター数人程度なら、加えて言えば——戦力の逐次投入じみた、突発的な現地集合レイドバトルであれば——おそらく数分と保たない。
「——くそっ、だがようやく思考が戻った。
気を抜かず行くぞ、穂村」
「もちろんですとも。地獄の底までお供しますよぉ〜〜」
「縁起でもないこと言うんじゃないよ」
言いつつ俺たちは路地裏へ入った。
◇
——そこには、すでにダンジョンの入り口が完成していた。
時空の亀裂などではなく、木製の大きな扉が、開かれていた。
周囲を覆う路地裏の壁も、扉の辺りだけはダンジョンの材質に変貌している。
とは言え、ダンジョンそのものの安定が完全でないようで、どことなくブロックノイズが走り続けている。ダンジョンの壁だけにモザイクがかかったかのような状態だ。
「——穂村、どう見る? やはりダンジョン生成能力が復調しきっていないと見るか?」
ここの主人がブラッドソード確定であればの話だが、と付け足す前に、穂村まりんは口を開いた。
「そうですね……なんというかその、
——猥褻物って感じですね」
「お前はモザイクをなんだと思ってんの?」
「じゃあ先輩はどう見えるんですか? これこんなのかなり卑猥じゃないですか。なんですかこのモザイクまみれの壁。こんなの絶対テレビで放送できない感じのやつってことじゃないですか」
「いや直に見てこうなってるから俺は『これをどう見る?』って聞いたんだけどな?
ああもういい、わかったもう、聞いた俺が馬鹿だった。もう入るぞダンジョン」
「invitation……ですね!」
「わかったから。流行ってんの?」
そう言いながら扉を開ける。すると——
やはりダンジョンはまだ完成していないのか、そこは巨大な屋敷のエントランスホールとなっており、真紅の絨毯のみならず——床のいたるところが赤く染まっていた。
——手遅れだった。
噂に釣られて誘われた人々は、先行していたハンターは、潜行していたはずの処理班は、
その尽くが吸血され、喰らい尽くされ、鏖殺されていた。
エントランス中央の階段——その最上部に、血染めの吸血鬼が佇んでいた。
銀の髪が真っ赤に染まったブラッドソードは、赤黒い魔剣を手に、残忍な笑みを浮かべていた。
「——待っていたぞ、人の子らよ。
朝餉は済んだか? 私の方はこれからデザートというところだ。……ああいや、お前たちではない、お前たちは昼餉の予定だ。ここで吸血だけしておき、乾物にしてから炙って食らおう、そう思ってな」
「うわ。これでもかってぐらいカニバリ発言してますよアイツ。どうしますか、っていうかどうなっちゃうんですか私たち。やっぱ最後はビーフジャーキーみたいになっちゃうんですかね?」
「だからなんでちょっと嬉しそうなんだよ。こわいよお前も」
俺とて別に、こういう光景が平気というわけではない。こうならないように、こうなってしまわないように、未然に防ぐ戦いがしたい。
——だからこそ、俺はこの状況に発狂することを己に禁じた。
目を逸らさず、直視し、その上で平静であり続ける。
そして、この惨状を生み出した元凶たるアヤカシを——この俺が殺してみせる。
やるかやらないかではない、力を持つからこそ、俺がやるのだ。俺にはそれを可能とするだけの力がある。あるのだから、やるのだ。
「——見たか? 人の子らよ。
ダンジョンでないことで、お前たちはいくらか安堵しただろう。
——だが違う。それは甚だしく勘違いなのだ。
大きければ、広ければ良いということではない。
これは凝縮された我が世界、我が物語!
我が領域たるダンジョン【
……説明したのには意味がある、意図がある。
これは我が自己顕示欲の具現、我が心の秘奥の具現であるがゆえに。
秘密を曝け出すことでその力を完全顕現させる血染めの城塞!」
——長い口上に呼応するかのように、結界内部が胎動する、鳴動する、蠢動する。
これがブラッドソードの奥の手。
俺の切り札を理解したがゆえに出し惜しみを放棄したか。
浸蝕結界は、数キロにも及ぶ広大なダンジョンとしての用途が主ではあるのだが、それは十全な力の行使とは言い難い。
浸蝕結界とは上記のように、繋げた先の世界をテラフォーミングするための大規模術式。ゆえに——
そのテラフォーム能力を、限定した一定の範囲にのみ圧縮展開すれば、より高濃度・高密度な結界の展開が可能となるということである。
それは禁断の領域。
世界を犯す、魔性の世界卵。
其は、世界を宿す、器足り得る——
「——
今こそ浸せ! 世界を犯せ! 陽光に我が身焼かれることなく、この世界で闇を齎せ!
浸蝕結界——【
血と鉄と無数の槍剣渦巻く血染めの城塞が、その姿を完全に顕現させる。
ブロックノイズは完全に消え失せ、天蓋からはまだ朝だというのに赤い満月が見えている。
——ここは完全なる異界。
だが同時に、
——現実と地続きの異界。
穂村まりんの言っていた地獄というのは、これのことだったのかもしれない。
「——これは、参ったな」
事前に準備していた策というのは、そもそもブラッドソードが俺たちのような人間に本気を出してくるはずがないとたかを括っていたがゆえのプランだった。
単体で世界を犯す上級アヤカシのプライドを、見誤っていた。
ああ、なんというか——
——正直、がっかりだ。
俺も奥の手を出さないといけない。
「俺思うんだよな、穂村」
「えっ、この状況で冷静なのすごいですね先輩。私なんかさっきから何度か、んっ……♡ 声出そうで、たまんないですよ」
「やっぱお前の方がやばいと思う」
穂村まりんには正直びっくりだ。
「ま、とにかくな。
傲慢なやつってのは、それゆえの矜持とかがあるからこそ尊大な態度を取ってるのかなとか、そういう態度だからこそ、なんか上から目線なのかなとか、そういうやつだからこそ、いつだってそのプライドを崩さないのかなとか、まあ色々考察してたんだよ。
……でもブラッドソードには正直落胆したというか、なんというか。この状況でこういうこと言うのも不謹慎で不適切だとは俺も思うんだがな、でももっと深みが欲しかったっていうかな」
「先輩長いです。もうちょいわかりやすくまとめてください」
なぜか発情している穂村まりんにそこまで冷静な指摘をされると俺も少しばかりショックなのだが、まあ言わんとしていることもわかるので手短かに話すことにした。
「——ブラッドソード・プラウドハート。
もうお前の底は見えた。
だからおとなしく灰になれ」
俺の発言にブラッドソードは青筋を立て、
「——減らず口を。まずはその口に槍を撃ち込んでくれよう」
そう言った直後にはすでに俺へ向けて血染めの槍が必中確定といった速度で迫って、
そして——
「——
「——何?」
俺の喉に突き刺さるより先にかき消えていった。
要は霧散である。結果は何も起こらずじまい、無産ということだった。
そして周囲には霧が立ち込め始め、鮮血城塞を内側から食い破り、塗り替える。
それはもはや陵辱じみた光景であり、同時に捕食であり、
「——貴様。あの剣の時点で妙だとは思ったが、やはり……」
ブラッドソードが何かに気づく。
俺の先刻の宣告が最後のトリガーとなったようだ。
宣告——もとい発動宣言。
今この場で行われた禁断具現は合わせて二回。
一度目はブラッドソードの鮮血城塞。
そして二度目は——
「——先輩、マジすか」
——この俺、人間である
「——浸蝕結界、【
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