第52話:起きて待っていたのがバレそうになって咄嗟に寝たふりをした結果

 俺たちはレチェリー公爵を追って夜会会場を出てからの出来事をルーカス王子へ報告した。王子は顔の前で両手を合わせ親指と親指に顎を置きながら、俺たちが話し終わるまで沈黙を続ける。


 やがて事態を説明し終えると、王子は静かに息を吐いた。


「状況は理解したよ。どうやら今回の一件は、僕が予想していたより遥かに闇の深い案件だったらしいね」


 ルーカス王子はお手上げだとでも言うように、体を後ろに反らして後頭部で腕を組む。


「他国の干渉はあると思っていたんだ。攫った人々を売り払うとしたら、国外である可能性が極めて高かったからね。だけどモンスターによる襲撃と、人をモンスターに変異させる謎の液体。そんな理外の代物は、さすがの僕でも予想のしようがない」


 僕のスキルも未来までは見れないからね、とルーカス王子は肩をすくめる。


「……夜会を襲ったモンスターは、貴方にはどう見えていたんですか?」


 ルーカス王子のスキルは、見たいものも見なくていいものも見えるようになるスキルだと本人が言っていた。もしかしたら彼の瞳には、俺たちが見た光景とは別の何かが映っていたんじゃないだろうか。


 そう期待したのだが、


「難しい質問だね、ヒュー。スキルによって僕の目に映る景色は、必ずしも君たちが見ている景色と同一だとは限らない。だけど少なくとも、会場を襲ったモンスターが人に見えなかった事は確かだよ」


「そう、ですか……」


「とはいえ夜会を襲ったモンスターが、レチェリー公爵と同じように人が変異した姿だった可能性は僕も高いと思っているんだ。……実は屋敷の使用人や常駐しているはずの私兵の姿が見当たらないと報告を受けていてね」


「……っ」


 会場に広がったシミを思い出したのだろう、リリィが顔を青くして口元を押さえる。もしかしたらと考えはしたが、ほぼ確定か……。


「人をモンスターに変異させる謎の液体。この件は、今のところは僕らと捜査に当たる王国騎士団だけの秘密にしよう。もし夜会で提供された料理に混ぜられていたなんて話になったら、貴族たちが大パニックになってしまう」


 ルーカス王子の言葉に背筋が冷たくなる。物珍しさに釣られて、俺も料理を食べてしまってるんだよな……。


 レチェリー公爵の様子から即効性の高さは伺える。今のところ何の異常も感じていないから、いちおう大丈夫だとは思うのだが……。


「さて、僕はそろそろ戻るとしよう。君たちは、今日のところはもう帰って休むといい。明日も授業があるんだろう?」


「えっ? あ、はい。……いいんですか?」


 ソファから立ち上がったルーカス王子に問い返す。てっきり人をモンスターに変える薬の正体やレチェリー公爵に薬を渡した人物の捜査へ協力させられるとばかり思っていた。スキルを切り替えれば、足取りを追うくらいは簡単に出来そうだが……。


 出入口へ向かいかけていたルーカス王子は振り返って微笑む。


「話は聞き終えたからね。現場検証に立ち会ってもらおうかとも考えたけれど、あまり君をこの場には置いておきたくない。これ以上スレイ兄上の目に留まっても面倒だ」


 俺のことはまだまだ隠しておきたいらしい。夜会ではそれなりに目立ってしまったような気もするが、リリィやルーカス王子よりは注目を浴びていなかったからギリギリセーフといったところか……?


「それに……」


「それに?」


「いいや、何でもないよ」


 何かを言いかけたルーカス王子は、かぶりを振って見せる。何か別の事情がありそうだ……けど、追及しても仕方がないか。帰らせて貰えるなら素直に帰ろう。今日はもう疲れた。


「今後の事については、改めて席を設けよう。ピュリディ家の話はそこでするという事で、リリィ嬢も構わないかな?」


「はい、殿下。この度はご尽力賜り誠にありがとうございました」


「いいや、僕は僕のために動いたに過ぎないよ。お礼なら僕を巻き込んだヒューにするといい。……あ、くれぐれも妹のことは気にかけてあげてね? あの子は少し嫉妬深いところがあるから大変だとは思うけど」


「ふふっ。ええ、承知しております」


 全てを見ていたかのようなルーカス王子の言葉を、リリィは真正面から受け止めて微笑んで見せる。


「それなら安心だ。妹と義弟を宜しく頼むよ」


 ルーカス王子も微笑み返して、応接室を後にした。


「よかったじゃない、お優しいお義兄様に認めてもらえて」


「どこまで本気かわかったもんじゃないけどな」


 ルーカス王子との付き合い方は常に疑ってかかるくらいが丁度いい気がする。ルーグとの件も口約束でしかないからな。実際にルーカス王子が国王になってみなければ、どうなるかはわからない。


 俺たちは少しだけ時間を置いてから夜会の会場へ戻ることにした。道中、何度か王国騎士団の騎士とすれ違う。夜会に乗り込んできた騎士たちの中には見なかった顔だ。応援として駆けつけてくれたんだろう。


「リリィ!」


 会場となっていた大広間の手前で、ピュリディ侯爵がこちらに駆け寄ってくる。侯爵はそのままリリィを抱きしめた。


「お、お父様っ!?」


「よかった、無事だったんだねリリィ! どこも怪我はしていないかい!?」


「ええ、ヒューが守ってくれましたから」


 初めは驚いていたリリィだったが、表情を緩めて侯爵の背中へ腕を回す。


「お父様こそ、ご無事で何よりです」


「これでも昔は剣の道を志した事があったからね。モンスターの武器を奪って応戦してやったよ。三体は屠ってやったかな」


 自慢げに話すピュリディ侯爵に、事情を知る俺たちは何とも言えない表情を浮かべてしまった。


「ともかく無事で何よりだよ、二人とも。ヒュー君も娘を救ってくれて感謝する。馬車を用意させたから屋敷へ戻ろう。我々はあまり長くここへ留まらないほうがいいからね」


 ちらりと周囲を見渡して、ピュリディ侯爵は俺とリリィを馬車へ促す。


 レチェリー公爵の大罪が露見したとは言え、リリィの婚約破棄は立派な陣営への裏切り行為だからな……。表立って批判はされないかもしれないが、恨みの一つや二つは買っているかもしれない。


 ピュリディ家の今後については、改めて話し合いの席を設けるとルーカス王子が言っていた。あの人の事だから抜かりなくピュリディ侯爵にも伝えているはず。だとすればここに留まる理由もない。


 屋敷を出て俺たちが乗り込むと、馬車はすぐに出発した。俺たちの乗る馬車以外にも屋敷から出て行く馬車は多い。夜会に参加していた貴族たちが帰っているんだろうな。


 その後は特に何事もなく、馬車は無事にピュリディ家の屋敷に到着する。借りていた燕尾服から王立学園の制服に着替え、俺は早々に王立学園へ戻る事にした。


「あら、てっきり泊まって行くかと思っていたのに」


「これ以上ルーグを待たせられないからな」


 ここ最近、ルーグにはずっと心配をかけっぱなしだ。少しばかり事情は説明してあるとはいえ、それで不安にならないでくれというのは無理な話だろうし、少しでも早く戻って安心させてやりたい。


 何より、俺がルーグに会いたいと思っている。


「今夜は一緒に眠れると思っていたのに残念ね」


「油断も隙もあったもんじゃないな……」


 確かに今日くらいはリリィと一緒に過ごしてあげたい気持ちはあるが、そのままなし崩し的に一線を越えてしまいかねない。これ以上、リリィのペースに引きずり込まれるのは危険すぎる。


「いいわ。第一夫人を立てるのも第二夫人の役目だもの」


「おい、まさかずっとそのスタンスで行くつもりなのか……?」


「もちろんよ。お父様にもいずれは挨拶をしてもらうからそのつもりでね、旦那様?」


「プレッシャーで吐きそうだよ……」


 いたずらっ子のように微笑むリリィに見送られ、俺はピュリディ侯爵が用意してくれた馬車で学園に戻る事になった。ちなみにリリィは屋敷に一泊して、明日の早朝に王立学園へ戻るそうだ。


 馬車はだいたい三十分ほどで学園に到着した。遅い時間ではあったものの正式に外出許可を取っていたので、守衛さんは「おう、おかえり」とフレンドリーに門を開けてくれた。


 寮の外から部屋を見るとカーテンの隙間から明かりが漏れている。ルーグはまだ起きているようだ。自然と足取りが早くなる。早足で寮に入って一段飛ばしで階段を上る。廊下を駆け足で進み、自室のドアノブに手をかける。


 カギはしっかりとかかっていた。うん、防犯意識が高くて偉い!


 鍵を差し込んで今度こそドアノブを回し、中に入る。


「ただいま!」


 おかえり、ヒュー! そう言って出迎えてくれるかと思っていたのだが、返事はかえって来なかった。あれ……?


 部屋の様子を伺うと、ルーグは明かりをつけたままノコノコさんを抱えてスヤスヤと眠ってしまっていた。……俺のベッドで。


「……ぇへへ、もぅたべられないよぅ」


 なんともベタな夢を見てるらしい。幸せそうな寝顔で、半開きの口からはよだれを垂らしている。


 ……帰ってきたんだな。


 ルーグの呑気な寝顔を見て、俺は思わず安堵の息を漏らしてしまった。張り詰めていた糸が緩んでいくのを感じる。立っているのが急にしんどくなって、ベッドのわきに座り込んでしまう。


 視線はちょうど、眠っているルーグと同じくらい。手を伸ばして彼女の髪に触れると、ルーグは眠ったまま気持ちよさそうに身じろぎした。


「ただいま、ルーグ」


「ぅにゅ、おかえりぃ、ひゅぅ~」


 起きたのか寝たままなのかふにゃふにゃな返事がかえってきて笑ってしまう。




「あぁ……。好きだよ、ルクレティア」




 きっとリリィにあてられたんだろうな。気づけば自然と口から感情が漏れ出ていた。どうやら随分と疲れてしまっているらしい。


 ……今日はもうさっさとシャワーを済ませて寝よう。


 そう思って気合を入れて立ち上がり脱衣場のほうへ向かうと、


「~~~~~~っっっ」


 背後でジタバタとルーグが身悶える音が聞こえてきたのだが、……うん、聞こえなかったことにしておこう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る