第51話:未来予想図ヒュー
「満足したか……?」
「ええ、とっても」
朗らかな笑みを浮かべるリリィに、俺は苦笑いで返すことしか出来なかった。あれから何度も唇を奪われ、最後の方はもう何がどうなっているのかサッパリわからない。今も意識がぼんやりとしている気がする。
俺たちはレチェリー公爵だったシミから少し距離を置いて、芝生の上に並んで座り込んだ。どちらともなく互いに手を握り合い、肩と肩が触れ合う。
「貴方の負の感情を、少しは上書きできていたらいいのだけど」
どうやらリリィには、俺の心情が全て筒抜けだったらしい。
「おかげさまで、気持ちが楽になったよ」
リリィに〈洗脳〉スキルを曝け出した不安は、全部吹き飛んだとまでは言えないが、随分と軽くなった気がする。
美人な女の子にキスをされただけでメンタルが回復するなんて、我ながら単純すぎて呆れてしまった。
……いや、ちょっと違うな。美人な女の子だったら誰でも良かったなんてことはない。リリィだから、俺は何とか気持ちが折れずに踏みとどまれたんだ。
もしあの時、リリィが受け入れてくれていなかったら。俺はもしかしたら全てを投げ捨ててしまっていたかもしれない。もしくは後戻りが出来ないような、暗い闇の底へ足を踏み入れてしまっていた可能性もある。
「ありがとう、リリィ」
「どういたしまして。……それで?」
「それで?」
唐突に何かを促され、俺は思わずオウム返ししてしまった。
リリィは「はぁ……」と溜息を吐いてジト目を向けて来る。
「こんなに美しい淑女に情熱的に求められて、まさかありがとうだけで済ます気なのかしら? 私のこの感情を、貴方は受け止めてくれるのかと聞いているのよ?」
「あ、あー…………」
さすがの俺だって何度もキスされればリリィの気持ちは察することが出来てしまう。いくらメンタルを病みそうな相手を励ますためだからって、好きでもない奴に何度もディー…………情熱的に求めたりはしないだろう。
リリィの翡翠色の瞳がジィッと俺の目を見つめて来る。それは彼女の俺への信頼と、俺の全てを受け入れるという覚悟の証。
だからこそ、誠実に答えなきゃいけない。
「……ごめん。リリィの気持ちは嬉しい。だけど、俺はたぶんリリィだけを愛せない」
脳裏に浮かぶのは、ルーグの眩しい笑顔だ。今は親友でいいとは思いつつ、いずれはやっぱりその先へ進みたい。
俺はルーグに、恋をしてしまっている。
「そう、私だけを愛せないのね?」
「ああ。だからごめん、リリィ。俺はお前の気持ちを――」
「じゃあ、第一夫人はルクレティアに譲るから、私は第二夫人として貴方を支える事にするわ」
「…………………………はい?」
「ともにプノシス領を開拓して王国一豊かな領地にしましょうね?」
「……いや、待て。ちょっと待ってくれ! 勝手に辺境開拓物語を始めようとするな! 第二夫人って、いいのかお前はそれで!?」
「あら、中年エロオヤジの第七夫人よりはマシだと思わない?」
「比較対象が最悪すぎるんだよっ!」
レチェリー公爵との婚約で判断基準が馬鹿になってるんじゃないかこいつ……!
「何をそんなに慌てているのかわからないのだけど、重婚なんて貴族ならそう珍しい話ではないのよ?」
「……男爵家に侯爵家令嬢が嫁ぐのは珍しいんじゃないか?」
「それを言えば辺境の貧乏男爵家の
「ぐっ……。それは、確かに……」
「良いじゃない、前代未聞でも。貴方がルーカス殿下の下で成り上がればいいのよ。功績を積み上げて辺境伯にでもして貰えたら、王族を第一夫人に迎えても、侯爵家令嬢を第二夫人に迎えても、何ら不自然な事ではないのだから」
「俺の目標は成り上がりじゃなくて悠々自適なスローライフなんだよ……」
「老け込むには早すぎるでしょ。私たちまだ15歳なのよ?」
「それはまあ、そうなんだが……」
さすがに前世で働き過ぎたから今回の人生ではのんびり過ごしたいなんて、リリィに言っても仕方がない。「何寝ぼけたことを言ってるの?」なんて真顔で返されて終わりだろう。
「しっかりしてね、未来の旦那様?」
「プレッシャーがデカすぎる……」
ここでキッパリと断ってしまえないあたり、俺はリリィの提案をとても魅力的に思ってしまっているらしい……。
前世の常識や倫理観からしたらとんでもない事だが、こっちの世界じゃ貴族の一夫多妻は推奨されている。むしろ父上のように妻を一人しか持たない貴族の方が珍しいかもしれない。
……うん、前世に縛られ過ぎるのも良くないよな!
リリィとのキスの余韻が残る中、俺の前世の倫理観は脆くも崩れ去ったのだった。
それから少しだけ休んだ後、俺たちはルーカス王子と合流するため夜会会場へ向かった。俺たちが辿り着いた頃には既に戦闘は終了しており、百本を超えていそうな剣がそこかしこに落ちていた。
錆びた鉄に似た臭いが会場には充満していて、俺もリリィも顔を顰めてしまう。だが、会場のどこにもモンスターの死骸は見当たらない。彼らの痕跡は足元に広がった赤茶色のシミだけだ。
……どうやらレチェリー公爵だったモンスターの崩壊は、〈洗脳〉スキルの暴発ってわけじゃなさそうだな。
ホッと息を吐いて会場を見渡す。
ルーカス王子やロアンさんとアリッサさん、他の騎士たちは全員無事だった。目立った怪我人は見た限りでは居ない。あれだけの数のモンスターを相手に、たった十人で夜会の参加者全員を守り抜いたらしい。
「やあ、戻って来たね。……その様子だと、レチェリー公爵は取り逃がしたのかい?」
ルーカス王子に問われ、俺とリリィは顔を見合わせる。状況はそれより深刻だと伝えると、ルーカス王子の指示で場所を変える事になった。ルーカス王子は現場をアリッサさんに任せ、ロアンさんと俺たちを引き連れて屋敷の一室に入る。
応接室らしいその部屋は、煌びやかな調度品に溢れた落ち着きのない空間だった。ロアンさんは部屋の外で見張りに立ち、俺たちはソファに座ってルーカス王子と向き合う。
「さて、何があったか聞かせてもらおうかな?」
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