第50話:闇落ち絶対許さないガール

「ぅぐっ、ご!? なんだ、これは……聞いてない――がはっ」


 レチェリー公爵の手から小瓶が零れ落ち、音を立てて割れる。公爵は表情を歪め、胸を押さえて体をくの字に曲げた。


 苦しんでる……!? ルーカス王子もどうせ媚薬か精力剤だろうって言ってたんだが、そんなどうでもいい代物じゃなさそうだぞ……!?


「まさか、毒を飲んだの……!?」


「いいや、自殺なんてする玉かよ……! 気をつけろ、リリィ。何か変だ……!」


 〈忍者〉スキルによって強化された感覚が違和感を主張する。レチェリー公爵の体は次第に、目に見えて膨張を始めていた。


 指先の爪が伸びて黒く変色し、サルのような体毛が全身を覆い始める。小太りだった体型は筋肉が異常に発達して三回り以上大きくなる。


「う、そ……。人が、モンスターに……?」


 変異したレチェリー公爵の姿は、夜会の会場に現れたモンスターに酷似していた。違いと言えば、公爵が変異した姿の方が二倍ほど大きなことくらいだろう。


 公爵が飲んだあの液体。あれは人をモンスターに変異させる液体だったのか……!? だとしたらこれまで俺たちの前に現れたモンスターは……!


『GUGYAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』


 耳をつんざくような咆哮が響き渡る。〈忍者〉スキルによって聴覚が強化されていたのがあだになり意識が飛びそうになった。それでも何とか踏ん張って、リリィを抱えて飛び退く。変異した公爵がこちらへ向かって突進してきたからだ。


 さっきまで俺たちが立っていた場所を体毛に覆われた巨体が通り過ぎ壁に激突した。大きな爆発音のようなものが響き渡り、建物が揺れて破片と土煙が降り注ぐ。


 何とか回避できたと安堵する余裕はない。俺はすぐさまリリィを抱えなおし、バルコニーへ走った。レチェリー公爵だったモンスターもそれを追って来る。


「飛ぶぞ! しっかり掴まれ!」


「と、飛ぶって――きゃぁっ!?」


 バルコニーの手すりに足をかけ、そのまま外へ飛び降りる。着地してすぐ振り返ると、レチェリー公爵も俺たちを追ってバルコニーから跳躍するところだった。


 巨大なサルに近い形状に変異した公爵は、俺たちの頭上を越えて逃げ道を塞ぐかのような位置に着地する。その様を見ていた俺たちに対して、ニヤリと口角を釣り上げた。


 意識があるのか、それとも獲物を追い詰めた際の本能的なものなのか。どちらにせよ俺たちを執拗に狙っているのは間違いなさそうだ。


「逃げましょう、ヒュー! 会場へ戻ればロアン副団長やアリッサ先生が居るわ。彼らならこの化け物を倒せるはずよ……!」


「そうしたいのは山々なんだが、問題はどうやって逃げるかだな……」


 おそらくレチェリー公爵が元々持っていた〈身体強化〉のスキルが発動している。目の前の化け物の動きは、他のモンスターと比べて圧倒的に速い。単純なスプリント勝負でリリィを抱えながら勝つのは、Lv.Maxの〈忍者〉スキルでも厳しいだろう。


 だからと言って立ち向かえるかと言えば、それも難しい。〈忍者〉スキルは隠密行動に特化したスキルだ。〈身体強化〉や〈体術〉はあくまでおまけ程度。巨大なモンスターと真正面からやり合えるようなスキルじゃない。


 ロアンさんかアリッサさん、もしくはイディオットでもいい。誰かが正面で攻撃を受けてくれるなら、勝機はみいだせるんだが……。


「リリィ、だれかこっちに援軍に来てくれそうか……?」


「……ダメみたい。夜会の会場はまだモンスターと交戦中。イディオットも一体を倒してもう一体と戦っているわ」


「そうか……」


 援軍は望めない、か。


 だとしたら、俺がレチェリー公爵だったアレを何とかするしかない。それ自体はおそらく、特段難しい事ではないんだ。


 ……ただ、覚悟が居るというだけで。


「リリィ、少しだけ待っててくれ」


「ヒュー……?」


「……すぐに、終わらせて来る」


 俺はお姫様抱っこしていたリリィを降ろして、レチェリー公爵の成れの果てと対峙する。巨大なサルの獣は獰猛な笑みを浮かべ、今すぐ俺に飛び掛かってきそうなほどに息を荒げていた。


 リリィに、この力を曝け出す。


 その恐怖を必死に押し殺して、


「洗脳解除」


 燕尾服の胸ポケットから取り出した手鏡で自身の洗脳を解除する。


 そして、


「スキル〈洗脳〉」




 ――〈洗脳〉スキルは、いともあっさりとレチェリー公爵だったモンスターを支配した。




 頭上に〈洗脳中〉の文字が浮かんだ事を確認し、息を吐く。モンスター相手にこのスキルを使うのは初めてだ。


 ステータスのスキル説明文にはこう書かれている。



スキル:洗脳Lv.1 ……目があった対象を意のままに操る(最大対象数1)



 洗脳対象が人に限定されていない事からモンスターが相手でも大丈夫だとは思っていたが、さすがに緊張した。もし効かなかったら間違いなく殺されてたからな……。


「俺の言葉がわかるか、レチェリー公爵?」


『…………』


 レチェリー公爵だったサルの怪物は反応を示さない。


「お前が飲んだ薬は誰から渡されたものだ……? 男なら右手を、女なら左手を上げるんだ」


『…………』


 ……ダメか。


 〈洗脳〉スキルが正常に作用しているのは間違いないから、単純に俺の言葉が理解できないのだろう。


「右腕を上げろ」


 怪物はゆっくりと右腕を上げる。どうやら言葉は理解できずとも命令には従うらしい。操り人形を動かしている感覚が近いだろうか。自発的に動かす事は出来ないが、操る事は出来るようだ。


「元の姿に戻れ」


『…………』


 反応はなし……か。スキルを自由に切り替えられる〈洗脳〉スキルの強制力をもってしても、モンスターに変異した体は元に戻せないみたいだな……。


 意思の疎通は不可。こうなってしまったら情報を得る事だって難しい。スキルを切り替えれば、何かを読み取れるかもしれないが……。


「眠れ!」


『…………』


 これもダメなのか……!? あくび一つする様子がない……。


 スキルを切り替えるには洗脳状態を解除する必要がある。もしこのまま洗脳を解除したら、この怪物はすぐにでも暴れだすだろう。それはあまりにも、リスクが高すぎる。


 肉体は元に戻せず、洗脳を解除すれば暴れだす。このまま洗脳状態を維持してルーカス王子やロアンさんたちが来るまで大人しくさせておいてもいいが、そうしたらスレイ殿下や他の貴族たちに俺のスキルが露見するかもしれない。


 洗脳状態を維持しつつ、そのまま放置してロアンさんたちの元へ向かうか……? いや、モンスターと鉢合わせたらそれこそ詰んでしまう。


 どうすりゃいいんだ、これ……?


 殺してしまうのが手っ取り早いんじゃないかと頭に浮かぶが、さすがにその一線は踏み越えられない。こうして〈洗脳〉を維持している分には安全なのだ。差し迫った危機がある状況ならともかく、殺してしまうのはさすがに……。


 とはいえ、八方塞がりではあるんだよな……。洗脳スキルが露見するリスクを承知で、ルーカス王子が来るのを待って判断を仰ぐしかないか……?


 だったらせめて、この怪物を目立たないところへ移動させた方がいい。そう思って、レチェリー公爵だったモンスターに指示を出そうとした時だった。




 ――ぼとり、と。上げたままだったモンスターの右腕が落下した。




「…………は?」


 いったい何が起こっているのか、俺の目の前でモンスターの体がみるみる内にドロドロになって溶けていく。右腕どころか左腕も落下して、足元がグチャグチャになったせいか巨体がそのまま前のめりに倒れてしまった。


 〈洗脳中〉の表記は、とっくに消えてしまっている。


 おい、ちょっと待て。俺は自害しろとも、自壊しろとも言ってないぞ……!?


 あまりの光景に呆然としている間に、レチェリー公爵だったモンスターは骨の一つすら残さずに地面のシミになってしまった。


 なにが、どうなってるんだ……?


「ヒュー……?」


「――ッ」


 リリィが俺の名を呼んだ。


 その声に、心臓が止まりそうになる。


「今のは、ヒューがやったの……?」


「い、いや、違う……と思う」


 自覚はない。だけど無意識にスキルが暴発した。そんな可能性も、まったくないとは言い切れない。俺はこの力の事を、知らなさすぎるから……。


「じゃあ、レチェリー公爵の動きを止めて、命令していたのは……?」


「……っ。そ、れは……」


 彼女の目の前でスキルを使う決心をした時点で、リリィには全てを打ち明ける覚悟を決めていた……はずなのに。


 咄嗟に声が出なかった。


 言葉にするのが、怖い。


 振り返ってリリィの顔を見るのが、怖い。


 彼女は俺をどんな目で見ているのだろうかと、考えるだけで足が震えてしまう。


 怖がられているだろうか、怯えられているだろうか。


 それとも……。


「それが貴方の、本当のスキルなのね……?」


「あ、ああ……。俺の本当のスキルは、〈洗脳〉スキル。目があった相手を、意のままに操る力だ」


 だから受け入れて欲しい。理解して欲しい。怖がらないでくれ……!


 そんな自分勝手な願いは、言葉に出来るはずがなくて。


 背後から足音が聞こえて来る。


「こっちを向いて、ヒュー」


「目を、合わせない方が良い」


「いいから、こっちを向きなさい」


「い、嫌だ……。俺に〈洗脳〉されたら、どうするんだよ……?」


「こうするわ」


「うわっ!?」


 リリィは俺の首根っこを掴んで、強引に引っ張った。


 思わずよろめいた俺の目の前に、彼女の端正な顔が現れる。慌てて目を逸らそうとするが、リリィは両手で俺の顔を挟んで固定した。


 彼女の翡翠色の瞳が、ジィッと俺を見つめてくる。


「な、何やってるんだよ……! 〈洗脳〉されるのが、怖くないのか……?」


「あまり私を見くびらないでくれるかしら。貴方にそんな度胸が無い事くらい、一緒に居ればわかるわよ。そうでしょう? 腰抜けド田舎貧乏貴族さん?」


「お、お前なぁ……!」


 挑発的な笑みを浮かべるリリィに俺は言い返そうとして、


「それとも――」







 桃のような甘い香りに包まれて、唇に柔らかな感触が押し付けられた。







「――この感情も、貴方の〈洗脳〉スキルで植え付けられたものなのかしら?」


 濡れた瞳が、真っ直ぐ俺に問いかける。


 赤らんだ頬は、彼女をより可憐に照らしだしていた。


「……違う、絶対に」


「なら安心ね。もうこれ以上、私に〈洗脳〉スキルを使う理由なんて無いのだし」


「いや、そうとは限らないだろ。もっとこう……、色々な使い方があるかもしれない」


「色々な使い方? 私、貴方の頼みなら何でもするわよ? エッチな事でも恥ずかしい事でも。こう見えて尽くす女なの、私って」


「面白くない冗談はやめてくれ……」


「ふふっ、その様子じゃ〈洗脳〉スキルを授かって随分と持て余しているようね?」


「……まあな。出来ることなら、捨てちまいたい。……というか、そろそろ放してくれないか。さすがにちょっと、気恥ずかしいんだが」


「ダメよ、もっと貴方を見ていたい気分なの」


「勘弁してくれ……」


 妖艶な微笑を浮かべるリリィが俺を解放してくれたのは、それからしばらく後の事だった。

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