第49話:お願い死なないでレチェリー公爵!次回『レチェリー 死す』

「イディオット!?」


「貴方、どうして……?」


 手に持ったカットラスに付着した血を振り払い、イディオットはこちらへ歩み寄って来る。


「愚問だな、リリィ・ピュリディ。君たちに何かあれば、レクティ嬢が悲しむじゃないか」


 イディオットはそう言いながら俺たちの脇を通り抜け、立ちはだかる二体のモンスターに対しカットラスを構えた。


「この場はイディオット・ホートネスが引き受けよう! スキル〈守護者シュバリエ〉の名に懸けて、君たちの背中は僕が守る。安心して行くといい!」


「……死ぬなよ、イディオット!」


「ふっ。僕を誰だと思っている? イディオット・ホー――」


「恩に着るわ、イディオット!」


 足止めをイディオットに任せ、俺たちは階段に引き返して迂回路を目指した。


 幸いこれ以上のモンスターの襲撃を受けることはなく、別の階段から再び二階に上がってレチェリー公爵が逃げ込んだ部屋の前へと辿り着く。


 ここは確か、俺の記憶が正しければ昨日の執務室だ。


「レチェリー公爵!」


 リリィを降ろし部屋の中へ乗り込むと、レチェリー公爵は金庫らしき小さな扉の前に跪いて必死な様子で扉の中の金貨を袋いっぱいに詰め込んでいた。それのいったい何割が、国民を攫い売り払って得た金なのか想像もつかない。


「そこまでよ、レチェリー公爵。貴方はもう逃げられないわ。大人しく投降なさい」


「リリィ・ピュリディ……! 貴様のせいで何もかもが滅茶苦茶だ!! このアバズレめ!!」


「……っ」


 怒鳴り声と憎悪の視線を向けられて、リリィはビクッと首をすくませる。そんな彼女を守るように、俺は一歩前に出てレチェリー公爵と対峙した。


「む、なんだ貴様は! 貴様も私を捕まえに来たのか、えぇ? そこのアバズレに誘惑されでもしたか、若造め!」


「レチェリー公爵。貴方には罪を償ってもらう」


「罪を償うだと? 馬鹿め! 公爵家の私に償う罪などあるものか! ルーカスもスレイも馬鹿な奴らだ。私を捕まえた所で証拠はあんな紙切れ二枚。この金でいくらでも握り潰してやるわ!」


 そう言ってレチェリー公爵は俺たちに向かって金貨を投げつける。〈身体強化〉のスキルを使ったんだろう。結構な速さで金貨は飛来するが、当たったところで痛みはない。リリィへ当たりそうな金貨だけ全て叩き落とした。


「さあ好きなだけ拾え! もっと欲しいか? 欲しいなら後ろに居るそのアバズレを捕まえろ! 生娘のくせにお高くとまりおって! 私が今すぐ女にしてやろうじゃないか! さあ早く捕まえ――」


「黙ってろ、糞野郎……っ!」


 力いっぱいに拳を握りしめ、レチェリー公爵の顔面を殴り飛ばす。人を殴った経験は皆無だったが、〈忍者〉スキルの〈体術〉にアシストされた全力のストレートが、レチェリー公爵の鼻骨と前歯を砕き割った。


「ぐぎゃ、ぁああああああああああああああ!?」


 鼻と口の両方から血を流してのたうち回るレチェリー公爵の尻を、更に全力で蹴り飛ばす。レチェリー公爵はバルコニーに続くガラス扉を破壊して転がり、バルコニーでうつ伏せになって動かなくなった。


 思わず本気で殴って蹴っちゃったが、死んでない……よな? ……うん、〈忍者〉スキルで強化された聴覚にはちゃんとレチェリー公爵の心臓の音が聞こえて来る。どうやら気を失っているだけのようだ。


「終わった、の……?」


「ああ、終わったよ」


 倒れ伏すレチェリー公爵を呆然と見つめていたリリィに答える。


 夜会を襲撃したモンスターは増援さえ無ければだが、今頃ロアンさんとアリッサさんによって駆逐されている頃だろう。イディオットの方もいずれ片付くはずだ。あいつの実力で負けるような相手じゃない。


「そう……よかっ――」


「リリィっ!」


 ふらりとよろめくリリィを慌てて抱きかかえる。彼女は「ごめんなさい」と呟いて俺の胸にもたれかかった。


「安心したら、力が抜けちゃったみたい。すぐに、離れるわ」


「いや、いいよ。リリィが嫌じゃなければ」


 リリィの背に手を回し、そのまま抱き留める。このまま支えていないと、リリィはすぐに崩れ落ちてしまいそうだ。休ませるにしてもどこかで寝かせた方がいい。


「……バカ。どうして貴方は、そんなに優しいのよ」


「リリィ?」


「貴方が優しいから、私のことをこんなにも大切にしてくれるからっ。私は、強くなきゃダメなのにっ! お母様のように完璧な、淑女じゃなきゃダメなのにっ!」


 リリィは燕尾服の裾をきゅっと握って顔を押し付けてくる。嗚咽が聞こえてくるのは、きっと気のせいじゃないんだろうな……。


 ――君が安心して泣ける相手になれるように頑張るよ。


 10年前の別れ際にたぶんそう言った手前、この状況は一つの目標達成と考えていいかもしれない。リリィが気を張らずに済むほど信頼できる相手になれた。それがとても嬉しくて、誇らしい事なのは間違いない。


 だけどいざリリィに泣かれてしまうと、どうすればいいかわからなかった。


 えーっと……。


 とりあえず、今俺がリリィに伝えたい気持ちを言葉にしてみよう。どんなに辛くても気丈に振る舞い続けた彼女に。理不尽に飲み込まれそうになっても必死に抗い続けた彼女に。


 心からの、労いを。


「お疲れさま。よく頑張ったな、リリィ」


「ぅっ、く……あぁっ……!」


 ついに声を上げて泣き出したリリィを、俺は優しく抱きしめる。出来れば彼女が自然と泣き止むまで、ずっとこのまま支えていてあげたかった。


 だけど、そんな暇は無さそうだ。


「おのれ、糞餓鬼どもめ……!」


 割れたガラス窓の向こう。バルコニーで血だらけのレチェリー公爵がふらふらと立ち上がる。その手には、見覚えのある薄桃色の液体が入った小瓶が握られていた。


 くそっ、気づくのが遅れた……!


 レチェリー公爵が小瓶の栓を空け、中身の液体を飲み干したのは直後の事だった。

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