第44話:婚約破棄は夜会の中で

「ル、ルーカス! ここがどこだかわかっているのか!?」


「もちろんだとも。レチェリー公爵の屋敷で、スレイ兄上を王にしようとしている陣営の夜会の最中だ。目が見えていないからと言って迷い込んだわけではないよ。邪魔をしてしまってごめんね。どうぞ僕の事は気にせず夜会を続けてくれ」


「なっ、ぐ……」


 スレイ殿下は歯を食いしばって感情を飲み込んだように見えた。


 ここでルーカス王子を摘まみだすように指示を出しても、相手はスレイ殿下と同じこの国の王子だ。いくらスレイ殿下の陣営に属するとは言え、ルーカス王子に対して乱暴な真似が出来る者は居ないだろう。


 スレイ殿下は、ルーカス王子の存在を黙認するしかない。


 だけどこれじゃ、スレイ殿下はルーカス王子に言い負かされたようにも見えてしまう。周囲の貴族たちの、スレイ殿下を見る目に浮かぶ失望の色は少なくない。


 スレイ殿下は不測の事態にアドリブが効かないという弱点を露呈してしまっている。もし立場が逆なら、ルーカス王子の方が上手く対処しそうだ。俺でもそう思ってしまうのだから、百戦錬磨の貴族たちには手に取るように伝わっているだろう。


「くそっ……静まれ! 想定外の来客はあったが、問題はない。改めて紹介しよう! 我らとレチェリー公爵を繋いでくれたピュリディ侯爵家の至宝、リリィ嬢だ!」


 スレイ殿下の紹介で会場の一点がライトアップされる。


 そこにたたずむのは深紅のドレスに身を包んだ絶世の美少女。


 リリィ・ピュリディは完璧な所作で一礼し、ステージの前へとゆっくり歩きだす。


 何人もの貴族がその美しさに息を呑んだ。ルーカス王子によって引っ掻き回された空気はリリィの一挙手一投足によって引き締められ、今度は彼女が場を支配する。


 リリィはスレイ殿下の手に支えられてステージへ上り集まった貴族たちの前に立った。


「ご紹介に預かりました、リリィ・ピュリディと申します。お集まり頂いた皆様方に、この場をお借りしてご報告したいことがございます」


 リリィはチラリとレチェリー公爵に視線を送る。リリィの美しさに見惚れていた公爵はリリィの視線を受け下卑た笑みを浮かべた。彼女を自分の思い通りにする光景を想像したのかもしれない。


 そんな未来なんて訪れないとも知らずに。




「わたくしリリィ・ピュリディは、レチェリー公爵との婚約を破棄いたします」




 声高に宣言された婚約破棄に、会場の空気が凍った。


 誰もが自分の耳を疑い、続いてリリィの正気を疑う。彼女はスッキリした様子で胸を撫で下ろし、その表情には笑みすら浮かんでいた。


「な、な……何を言っている!?」


 真っ先に声を張り上げたのはスレイ殿下だ。


「貴様っ、自分が何を言っているかわかっているのか!?」


「はい。もちろんでございます、スレイ殿下。わたくしはレチェリー公爵との婚約を破棄します。レチェリー家に嫁ぐ気はありません」


「な、なんっ……」


 あまりにもハッキリとリリィが言うものだから、スレイ殿下は二の句を継げなくなってしまう。代わりに声を荒らげたのはレチェリー公爵だ。


「貴様ぁっ! この私を愚弄するつもりかぁっ!」


 レチェリー公爵は激高しリリィに詰め寄って行く。ちらりとリリィがこちらを見た。


「散々目をかけてやったというのに! 婚約破棄だと!? ふざけるのも大概にしろ! 私の妻になる事がどれほどの名誉かわかっているのか!?」


「名誉? わたくしの価値はそんなものでは決まりませんわ、レチェリー公爵。いくら綺麗なドレスで着飾っても、美味しい食事を食べても、地位の高い伴侶を得ても、それはわたくしの思う名誉とは程遠い。――私の名誉は、私の生き様によって得るものよ!」


「黙れ!!」


 振り返って啖呵を切ったリリィにレチェリー公爵が右手を振りかぶる。いつぞやと同じくリリィの頬を叩くつもりだ。それがわかっているから、リリィは体を後ろへ傾けた。ステージの縁から、下へ身投げするように。


 危ない、と誰かが叫んだ。だけどリリィは動じない。


 俺が下で受け止めると、信じ切っていたからだ。


「無茶をしないでくれ、お嬢様」


「私の騎士様なら、受け止めてくれると信じていたもの」


 そう言ってリリィは俺の首に腕を回してふふっと微笑む。いや、けっこうギリギリだったからな……?


「そういうわけですのでスレイ殿下、私の事はお気になさらずどうか夜会を続けてくださいませ」


「続けられるものかっ! ピュリディ侯爵、お前の娘はどうなっている!?」


「どう、と申されましても?」


 ステージ近くに居たピュリディ侯爵は肩をすくめて答えた。


「はて、いつもと変わらず美しい私の自慢の愛娘ですが」


「そういうことを言っているのではない! 話が違うではないかっ!」


「話が違う? それは奇怪なことを仰る。そもそも我が娘とレチェリー公爵の婚約は、レチェリー公爵が強引に推し進めていたもの。スレイ殿下も困っていらっしゃったではないですか」


「なんっ、何の話だ!?」


 スレイ殿下は目を剥いてピュリディ侯爵に尋ねた。このやり取りは事前の計画には無いものだ。スレイ殿下も突然身に覚えのない話をされて困惑しているし、俺とリリィもピュリディ侯爵の意図を測りかねた。


 そんな中でルーカス王子だけが、ピュリディ侯爵のアドリブに対応して見せる。


「それは良かった。実は兄上の身の上を心配していたのです。まさかレチェリー公爵と親身に通じては居ないかと」


「ルーカスまで……? いったい何の話をしている!?」


「実は私が今日、この場へ赴いたのはレチェリー公爵に用があったからなのです」


「私に用だと……!?」


 レチェリー公爵は未だ怒りが収まらない様子で、怒鳴るようにルーカス王子に尋ねる。ルーカス王子は怯むことなく堂々と頷き、懐から一枚の羊皮紙を取り出して見せた。


「レチェリー公爵家当主、グリード・レチェリー。貴方には王国の臣民を誘拐し、他国へ売り渡した人身売買の容疑で、国王陛下の名の下に逮捕状が出ている。私と王城までご同行願おうか」

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