第43話:程よいタイミングまで扉の外で待機してました

 紅茶の飲み過ぎで尿意を催しお手洗いを借りた。用を済ませて出て来たところでばったり、支度を整え終えたリリィに出くわす。


「先に言っておくが下痢じゃないからな?」


「まだ何も言ってないのだけど」


 先手を打って俺が釈明するとリリィは呆れた様子で額に手を置いた。


 黒色のフラワーレースのロンググローブ。燃えるような深紅のドレスが彼女のしなやかな身体に沿って流れる。髪は普段よりもより艶やかに、ただでさえ美しい顔立ちは化粧でより綺麗で美しく。


 まさに絶世の美女が俺の前に立っていた。


「……なに、そんなにジロジロと見て。もしかして私に見惚れているの?」


「あー……。そうだよ、見惚れてた。こればっかりは否定できない。負けを認める」


「別に勝ち負けじゃないでしょう……。でも、そう、見惚れてたの。ふぅーん。ふふっ、勝てたのなら悪い気はしないわね」


 そう言ってリリィは少しだけ頬を赤くして微笑む。普段の大人びた印象や今の美しい姿とは打って変わって、その笑みには年相応の少女らしさがあって。


 ……ズルいだろ、それは!


 思わず叫びたくなる感情を必死に抑える。早くなった心臓の鼓動を悟られないよう、俺はゆっくりと息を吐いた。


「準備は出来たのか?」


「ええ、お待ちどうさま。お父様と話はできたかしら?」


「いちおうな。預かっていた書状も渡したよ。これで味方になってくれるはずだ」


「お父様なら当然ね、私のこと大好きだから。過保護すぎるところには、少しばかり辟易させられるけれど」


 やっぱりルーカス王子に言われるまでもなく、父親の事は信頼していたらしい。


「……だからこそ、私の婚約で苦しむお父様を見ていられなかった。スレイ王子やレチェリー公爵に逆らってでも婚約を断ろうとしていたのよ、あの人は。信じられないでしょう? そんなことをすればピュリディ家が潰されるというのに」


「だから、婚約を受け入れたのか?」


「……ええ、あの時はそれが最も正しい選択だと思ったから。学園で貴方と出会っていなければ、きっと今でもその考えは変わっていなかったでしょうね」


「俺は何もしてないよ。解決への筋道を立ててくれたのはルーカス王子だ。あの人の事だから、もし俺が学園に居なくてもこの婚約には介入したんじゃないか?」


「そうかもしれない。だけど、その介入で私が救われたとは限らないでしょう?」


 リリィは黒色のフラワーレースのロンググローブに包まれたほっそりとした手を、俺に差し出す。


「エスコートを宜しくね、私の騎士ナイト様?」


「仰せのままに、お嬢様マイレディ


 俺はわざと仰々しく一礼をしてから差し出された手を取った。


 その後、ピュリディ侯爵と共に用意された馬車に乗り込んでレチェリー公爵の屋敷に向かう。


 王城を中心に放射状に広がる王都の中核。中央区と呼ばれる地域には大小さまざまな貴族の屋敷が立ち並ぶ。その中で最も広く、屋敷というより宮殿と呼ぶのが相応しいほど立派な建造物がレチェリー公爵邸だった。


 広々とした庭園の中央を通る道には幾つもの馬車が並んで渋滞を起こしている。今日の夜会に参加する貴族たちが大挙として押し寄せているのだ。そんな中で俺たちが乗った馬車は優先的に案内され渋滞する馬車の横をするすると通り抜けていく。


 リリィは今日の夜会の主役の一人。VIP対応も当然か。


 馬車は屋敷のすぐ目の前で停車し、リリィはピュリディ侯爵のエスコートで馬車を降りる。出迎えた使用人や、集まった若い貴族たちが口々に「おめでとうございます!」と二人を祝福した。


 めでたいことなんて何一つないのだが……。リリィもピュリディ侯爵も笑顔を崩さないあたりさすがだった。俺はそんな二人から少し離れて後に続く。ピュリディ侯爵が話を通してくれたおかげで、難なく夜会の会場に潜入することが出来た。


 外は既に薄暗くなり始めた時間帯。夜会の会場は煌びやかな魔道具に照らされて昼のように明るい。広々とした空間には幾つものテーブルが並び、豪勢な食事が盛りつけられている。


 リリィとピュリディ侯爵が会場内に入ると、すぐに大勢の貴族が彼らを取り囲んだ。瞬く間に行列が形成され、貴族たちが次々に二人へ挨拶に訪れる。これが貴族の社交か……。


 リリィもピュリディ侯爵も慣れているんだろうな。さっきから顔に笑顔が張り付いてピクリとも動いていない。


 ただ、〈忍者〉スキルによって強化された視力は、二人の目元や口角が「おめでとうございます」と言われるたびにぴくぴく動いているのを見逃さなかった。


 めちゃくちゃストレスだろうなぁ……。


 二人はしばらく身動きが取れないだろう。ボーっと突っ立っているのも暇なので、会場の中を、並べられた料理を見ながら歩いてみる。


 さすが公爵家、前世でも見たことがないような豪勢でオシャレな料理ばかりだ。見たことがないから料理名すらわからない。かろうじてわかるのは肉料理か、魚料理かくらいだな……。


 目についた料理を食べ歩いている内に、見知った顔に出くわした。


「おや、そこに居るのはヒューではないか。こんな所で奇遇だな」


 そう言いながら気さくに話しかけてきたのはイディオットだ。数日前の決闘以降、なぜか学園でも話しかけられることが増えた気がするんだよな。


「イディオットも来てたんだな。という事は、ホートネス家はスレイ殿下の陣営に?」


「うむ、父上の判断でな。僕としては正直どこでもいいのだが」


 周囲に居た貴族たちがぎろりと俺たちの方を睨みつける。おいおい、こんな場所で迂闊な発言をしないでくれ……。当の本人は肩をすくめて意に介していない様子だ。大物なのか何なのか……。


「そういう君の方こそどうしてここに? プノシス家はスレイ殿下の陣営に入ったのかい?」


「いいや、俺はリリィの付き添いみたいなもんだよ」


「リリィ・ピュリディの付き添いか……。ならば彼女があのレチェリー公爵と婚約することも知っているわけだな」


「まあな。……頼むから滅多なことは言わないでくれよ?」


 とんでもない失言をしかねないのであらかじめ釘を刺しておく。


 イディオットは「気をつけよう」と頷いた。


「ところで、レチェリー公爵やスレイ殿下はまだ来ていないのか?」


「何を言っているのだ、君は。主催は夜会の始まりと共に入場するものだろう。……っと、噂をすればなんとやらだ」


 会場を照らしていた魔道具の照明が落ちる。続いて会場の一角、ステージになっている部分がライトアップされた。


「御集りの皆様、大変お待たせ致しました。ただいまより本日の主催、リース王国第一王子スレイ・ライ・リース様とレチェリー家当主グリード・レチェリー様のご入場です」


 司会の紹介と共に二人の男性がステージ現れる。小太りの中年は以前見たレチェリー公爵。もう一人の細身の体躯で眼鏡をかけた男性がスレイ殿下だろう。


「それではスレイ殿下よりお言葉を賜ります。スレイ殿下、宜しくお願いいたします」


 司会の男性に促され、スレイ殿下はステージの前に出た。


「まずはこの場に集まった諸兄らに感謝する! ここに居る諸兄らのおかげで私は今日という素晴らしい日を迎えることが出来た!」


 スレイ殿下は日頃自分を支えてくれる貴族たちを労い、自分が目指す国王の姿やこの国の行く末について熱く語る。集まった貴族たちはその演説に静かに耳を傾けていた。


 ……こう言っちゃなんだが、良くも悪くも普通だ。


 王になりたいという想いは伝わってくるし、頓珍漢なことを言っているわけじゃないのもわかる。


 だけど、何と言うか……心を掴まれるような上手さはない。


「ではここで、今日の主役を紹介しよう! 諸兄らも知っての通り、我々とレチェリー公爵を結び付けてくれたリ――」


 リリィの名をスレイ殿下が告げようとした次の瞬間、会場後方の扉が大きな音を立てて勢いよく開かれた。


 スレイ王子の言葉に耳を傾けていた全員が後ろを振り返り、扉の向こうに立つ人物を見る。


 そこに居た人物は長い金色の髪をたなびかせ、呆然とする貴族たちの間を堂々と行進してステージへ近づく。


 口元には微笑みを携え、目元を布が覆っているにも関わらずその足取りに迷いはない。


「な、なぜ、お前がここに……っ」


「こんばんは、スレイ兄上。近くに用があったので寄らせてもらったよ?」


 ルーカス・フォン・リースは、一瞬で場の空気を支配した。

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