第42話:畜生どもめ!

「ふむ……」


 リリィが去った後のエントランスで、俺はピュリディ侯爵からジーッと見つめられていた。視線は俺の服装、王立学園の制服へ向けられている。


 いちおう身だしなみには気を使っているつもりだ。制服に皺や汚れがないのは確認してきたのだが……。


「えっと、いかがなされましたか」


「いやなに、王立学園の制服では今日の夜会の場で浮いてしまわないかと思ってね。娘の学友として参加するのだから問題はないのだが、君も知っているだろう? 今日の夜会にはスレイ殿下や大勢の貴族が参列する。王立学園の制服ではいささか目立ちすぎるかもしれない」


「なるほど……。確かにそうかもしれません」


 とは言え、これ以外に夜会で着られるような服は持ってないんだよな……。プノシス領を出立した直後はまさか王立学園に入学するなんて考えてなかったし、夜会で着るような服を持ってくるなんて発想は浮かばなかった。


 ……というか実家にそんな上等な服があるのかすら怪しい。


「うむ、今夜は私の服を貸してあげよう。君の体型なら着れなくはないはずだよ」


「えっ、宜しいのですか……?」


「娘の友人として出席するのだから、君にも相応の服装をしてもらわねば困る。すぐに案内させよう」


 ピュリディ侯爵はそう言うと近くで控えていた使用人を呼び寄せた。そのまま案内されたドレッサールームで燕尾服に着替えさせられ、香油を使って髪型まで整えてもらった。


 その間、俺は何一つしていない。上流貴族は自分で着替えたりしないと聞いた事があるが、それは本当らしい。全部使用人さんがしてくれた。


 身なりを整え終わると応接室へ案内される。絵画や壺などの調度品が綺麗に飾られた部屋の中央、対になった大きなソファにはピュリディ侯爵が腰かけている。


 ローテーブルにはピュリディ侯爵の目の前と、その向かい側にティーカップが用意されていた。まさか対面に座らなくちゃいけないんだろうか……。


「どうぞ、旦那様の対面に」


 使用人さんに促される。ホントに対面に座らせるのかよ……。


「し、失礼します……」


 ソファに腰を下ろすと使用人さんがティーカップに紅茶を注いでくれる。たぶん高級な茶葉を使っているんだろう。良い香りが部屋の中に広がる。


「御召し物をお貸しくださりありがとうございます、ピュリディ侯爵閣下」


「うむ。なかなか様になっているじゃないか。娘の支度が整うまで楽にしていたまえ」


「は、はい……」


 楽にしろと言われても……。


 しばらくピュリディ侯爵と向かい合って紅茶を飲むだけの時間が続いた。


 やっぱり気まずすぎる……っ!


 こちらから何か話題を振るべきか、それとも黙っているべきか。貴族の子息は社交界でそういった作法を学ぶらしいが、辺境のド田舎生まれの俺にそんな機会は一度も訪れたことがない。


 いったいどれだけの時間が過ぎただろう。何杯目かの紅茶のおかわりを貰い、ちょっとトイレに行きたいなと思い始めた頃の事だった。


「薄情な父親だと思うかい?」


 ポツリと呟くように、ピュリディ侯爵が疑問を投げかけて来る。


 随分と唐突だ。そして何とも答えづらい……。


「君だって知っているのだろう? 今日の夜会で娘の婚約が発表される。相手はあのレチェリー公爵だ」


「…………あまりいい噂を聞かない方だとは存じています」


「家柄は申し分ない。だが、彼は僕と同年代で娘とは随分と歳が離れている。既に妻を六人も持ち、娘より年上の子供も居るほどだ。……そして何より、好色家で若い娘を甚振るのが趣味だと公言して憚らない糞野郎だよ」


「糞野郎って……」


 まさかレチェリー公爵を糞野郎呼ばわりするとは思っていなかった。どんな反応をするべきか戸惑っていると、ピュリディ侯爵は苦笑して「すまないね」と俺に謝る。


「誰かに愚痴を言いたい気分だったんだ」


「後悔……されているのですか?」


「しないと思うかい? 大切な愛娘を、あの糞野郎に嫁がせたい親がどこに居ると? スレイ殿下からこの話を持ち掛けられた時にははらわたが煮えくり返るかと思ったよ」


 いつしかピュリディ侯爵は膝の上で拳を握りしめていた。ちらりと使用人を見れば、彼も悔し気な表情で両手の拳を握っている。


「断れるものなら断りたかった。だが、スレイ殿下は私より先にレチェリー公爵に話を持って行っていたんだ。私の娘の婚約を、私の居ないところで決めていた……! 王族と公爵が共謀して私から娘を奪おうとしたんだ! 畜生どもめ!!」


 叫んだと同時にピュリディ侯爵が投げたティーカップが、壁に当たって砕け散る。侯爵は荒れた呼吸のまま深々とソファに座り込んで頭を抱えた。


 随分とため込んでいたんだろうな……。俺が王位継承権争いに全く関係ない辺境のド田舎貴族だから吐き出すのにちょうど良かったんだろう。


「王族と公爵家の意向には逆らえない。私に出来たのはほんの時間稼ぎだ。学園を卒業すればリリィはあの糞野郎に嫁ぐ事になる。…………そう言えば、君はリリィの友人だったね。幼馴染とも言えるか」


「はい。俺はそう思っています」


「……ならば君は、リリィのために命をかけられるかい?」


「もちろんです」


 俺が即答すると、ピュリディ侯爵は顔を上げて目を丸くした。俺の顔をまじまじと見つめて、乾いた笑みを浮かべる。


「じゃあ、私が手引きしよう。今すぐここを出てリリィを連れて逃げてくれ。プノシス領ならばリリィを匿う場所にも困らないだろう?」


 なんか似たような提案をリリィにもされたな……。そう考えている内に「冗談だよ」とピュリディ侯爵は首を振って溜息を吐く。


「無力な父親の世迷言だと思って忘れてくれ」


「……いいえ、侯爵閣下。リリィの幸せを願う気持ちは俺にもあります。彼女は俺にとって大切な幼馴染です。レチェリー公爵……いえ、あの糞野郎なんかにリリィを渡したくありません。――だから、これを」


「書状……?」


「お読みください、ピュリディ侯爵閣下」


 俺は燕尾服の胸ポケットに入れていた書状をピュリディ侯爵に手渡す。事前にルーカス王子から渡されていたこの書状には、今回の計画の全容が記されている。これをピュリディ侯爵に共有するか否かは、俺の一存に任されていた。


 リリィを想うピュリディ侯爵の気持ちに嘘はない。それは〈忍者〉スキルで強化された観察眼が証明している。今までのやり取りが全て演技だったら大したものだ。


花冠リースの封蝋……君はいったい」


 訝し気に書状を見つめるピュリディ侯爵。すぐに使用人さんがレターナイフを手渡して、ピュリディ侯爵は慎重に書状を開封する。


 中に書かれた内容を読み進める内に、ピュリディ侯爵は書状を持つ手を震わせ始める。


「ここに書かれている内容は真実なのか……? 娘は、この事を知っているのかね!?」


「はい。この手紙は俺とリリィの目の前で書かれたものです。今夜起こる出来事も、秘匿されていた真実も、全て知っています」


「……あぁ、何という事だ」


 ピュリディ侯爵はルーカス王子からの書状を宝物のように大切に抱きしめる。


「リリィのためにどうかお力添えください。ルーカス王子からは今夜限りでも構わない、と」


「今夜限りだと? ……とんでもない。もしこの通りに事が進めば、私はルーカス王子に一生をかけて返すべき恩義が出来る。むしろこちらから忠誠を願い出るべきだろう」


 ピュリディ侯爵は居住まいを正し、俺に向かって深々と頭を下げた。


「どうかリリィを、宜しく頼む」


「承知しました、ピュリディ侯爵閣下。どうかご安心ください。彼女は俺が、必ず守ります」


 これで、全ての準備は整った。


 リリィを傷つけたレチェリー公爵には、その報いを受けてもらおうじゃないか。

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