第21話:世界で一番お姫様
〈忍者〉スキルで研ぎ澄まされた感覚が、ルーグ=ルクレティア王女だと証明していた。髪の色と長さは魔道具か何かで調節できるんだろう。王族ならそういう魔道具を持っていても不思議じゃない。
……何となく察していた事ではある。侯爵家令嬢のリリィが『あの方』と呼んでいたり、やけに王城や王立学園の事に詳しかったり、王都の生まれなのに街中を物珍しそうに見て回ったり。
全部王族だったというなら納得できる。もしかしたら、と考えないこともなかったが……。
だけど本当に王族なのかよっ! 一晩同じベッドで過ごしちゃったぞ俺! もちろん手も何も出しちゃいないが!
…………いや、胸と尻は揉んだ気がしなくもないけど。
……リリィの忠告の意味が今この瞬間に本当の意味で理解できてしまった。たしかに粗相は出来ない相手だし、手を出そうものなら一族郎党まとめて処刑だってあり得る。ルーグ……ルクレティア王女殿下にも不幸な運命を辿らせかねない。
どうするべきか……。
とりあえず向こうは王女殿下として俺に会っている。ならば相応の態度で俺も応じなければならない。
片膝をつき、頭を下げて臣下の礼をとる。形だけでも父上に教わっておいてよかった。
「お初にお目にかかります、ルクレティア王女殿下。プノシス領領主、マイク・プノシスの息子ヒューと申します。この度はお招きいただき、誠にありがとうございます」
「ふふっ、そうかしこまらなくても良いんだよ?」
「そういうわけには参りません」
俺が伏せたまま首を横に振ると、「むぅ」と不満そうに頬を膨らませた声が聞こえて来る。
さすがに王女殿下相手にルーグと接する態度は出来ない。と言うか、ルクレティア王女殿下として俺の前に現れてどうするつもりなんだろうか。『実はわたしがルーグでした!』なんてドッキリ大成功のノリで言われたら最悪だぞ……。
出方を伺っていると、ルクレティア王女は小さく溜息を吐く。
「面を上げなさい、ヒュー・プノシス」
「はっ!」
俺が顔を上げると、ルクレティア殿下は澄ました顔で俺を見下ろしていた。どうやら王女様モードで行くことにしたらしい。
「貴方の活躍は騎士団から聞きました。何でもたった一人で人身売買組織を壊滅させ、攫われていた人々を救ったそうですね。とっても素晴らしい大活躍です!」
「いえ、王女殿下からお褒め頂けるほどの事ではありません」
「むぅ。誉め言葉は素直に受け取る物ですよ?」
「……ですが、俺の不注意で友人を攫われてしまいました。俺はただ、その友人を救おうとしただけですから。人身売買組織の壊滅も、囚われていた人々を助けたのも成り行きです」
「ヒュー……貴方って人は生真面目で謙虚すぎですよ」
まったくもぅ、とルクレティアは呆れた様子で溜息を吐く。けれどそれからすぐに微笑んで、
「そんな貴方だから、何かお返しがしたいと思ったんです」
……お返しってなぁ。本人がいちおう隠しているつもりなのがまた……。まあ、隠そうと言う意思があるのがわかっただけありがたいか。
「ヒュー、貴方に褒美を授けます」
ルクレティア王女は立っていた窓際からゆっくりとこちらに歩み寄る。そして俺の目の前に右手の甲を差し出した。
「ヒュー・プノシス。貴方を、わたしだけの騎士に任命します」
王族直属の騎士。それは騎士階級の最高名誉。
貴族に生まれた男の誰もが一度は夢見る役職だ。王族の信認を得て初めて任じられる役割で、直属騎士はその王族が死ぬか本人が死ぬまで常に王族の傍でその身を守り続ける事になる。
その権力は王国騎士団を凌ぎ、拝命と同時に侯爵の位を賜る事にもなる。国王陛下を除く王族が与えられる褒美としては最大の物だろう。
俺がルクレティア王女の手を取ってその甲に口づけをした瞬間、俺は侯爵となってその生涯を王女殿下に捧げる事になる。
俺の答えは決まっていた。
「謹んでお断りします」
「はいっ、これからどうぞよろしええええええっ!? ど、どうして断っちゃうのーっ!?」
ルクレティア王女はまさか断られるとは予想していなかったようで、俺の両肩を掴んで激しく揺さぶりながら問い詰めて来る。
いや、だってなぁ……。
「俺はプノシス家の跡取り息子なので、学園を卒業したら領地に帰って継がなきゃいけません。他に兄弟や任せられる親族も居ませんし」
「じゃ、じゃあ代官に領地経営を任せれば良いんじゃないかなっ!? 王都で働いている貴族はみんなそうしてるよ!?」
「ある程度近ければそれでも成り立つでしょうが、俺の実家はド辺境ですから。こっちへ来るのに一月もかかったんです。もし領地に何か異変があったと知らせを受けても、戻れるのは最短でも異変が起こった二か月後。とてもじゃありませんが、間に合いません」
何より直属騎士はいかなる理由があっても王族の警護を優先しなければならない。領地経営との両立は不可能だ。
俺が家を捨てて父上の代でプノシス家を途絶えさせればいい話でもあるが、そもそも俺の現世での目標は悠々自適なスローライフだしな。やっぱりルクレティア王女だけの騎士にはなれない。
それに、王女の願いを受け入れられない最大の理由は別にある。
「そう、ですか……」
ルクレティア王女は俺の意思が固いと感じ取ったのだろう。俺の肩を掴んでいた手を放して、寂しそうに俯いてしまう。その表情にはただ落ち込んだのとは違う、もっと悲痛な感情が込められているようにも見えた。
その表情に込められたものを知りたい。だけどそれは今伝える事じゃない。
俺が今この場で彼女へ伝えるべき言葉は……、
「申し訳ありません、王女殿下。俺にはどうしても、違えられない友との約束があるのです」
「約束、ですか……?」
「ええ。いつか俺の故郷に招待すると、約束しましたから」
「ぁ……」
「気に入ってくれたなら移住したって良いとまで言ってしまったので、王女殿下の騎士になって帰れなくなるわけには参りません。なので、ご理解いただけると幸いです」
「…………まったくもぅ、貴方と言う人は本当に」
ルクレティア王女はくすっと笑って溜息を吐く。
「大切な約束があるのなら、仕方がありませんね。ですが困っちゃいました。貴方をここへ呼んだ以上、何かしら褒美を授けなければいけないのです」
「いえ、王女殿下と拝謁出来ただけで俺にとっては身に余る光栄ですから」
「むぅ。謙虚すぎるのもどうかと思いますよ! ……よしっ、決めました。ヒュー・プノシス。貴方に褒美を授けます。だからわたしが良いと言うまで目を閉じているように!」
「……わかりました」
いったい何をされるのか不安で仕方がないのだが、命令なので目を閉じる。
とは言え〈忍者〉スキルによって感覚が研ぎ澄まされているので、視覚を失っても聴覚と嗅覚、そして肌に触れる風の流れでルクレティア王女の動きは手に取るようにわかってしまう。
彼女は俺により一層近づいて腰を曲げ、金木犀に似た甘い香りが鼻孔に広がった。
――柔らかな感触が俺の右頬に触れる。
王女は三歩ほど離れて口元を両手で覆って、身悶えたりジャンプを繰り返したりしてようやく俺に声をかけた。
「いいですよ、ヒュー」
顔を上げると、王女は精一杯の澄まし顔で俺を見下ろしている……のだが、顔は赤いままだし口角はにやけるのを我慢しているのかぴくぴく痙攣している。全然良くなさそうだ。
「王女殿下、今なにを……?」
「うっふっふ。秘密でーす。ヒューには教えてあげませーん」
いちおう全部わかっているし、俺もさっきから顔が熱くって仕方がない。
だけど気づかなかった振りに徹しよう。
ここでは彼女はお姫様だしな。絶対王政に逆らうつもりはない。
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