第30話 決戦の時

 提供されたカレーを食べている間、ずっとオーダーのことを考えていると、あっという間に一回戦の時間に。


「……東京国立大B戦のオーダー、伝えます。大将長谷川君。副将高井さん。三将久美。四将僕。五将彩夏さん。これでいこうと思います。……難しい相手になると思うけど、全力でいこう」


 僕の読みが当たれば、一年生ふたりには酷な思いをさせることになるかもしれない。でも、初戦から0―5で負けるわけにはいかない。三本取る希望は捨ててはいけない。

 このオーダーは、相手が札幌豊園のことを完全に舐めてくることを前提に組んでいる。


 札幌豊園は春来さんのときに一度だけ総文祭に出たことがある程度の高校だ。全国的な知名度はゼロに近い。ということは、東京国立大さんからすれば、オーダーは考えるまでもない、と大将から順に強い人を並べてくる可能性が高い。


 だって、それで五本全部取れる期待値もあるのだから。

 そうしてくれると仮定して、三・四・五に久美、僕、彩夏さんを配置してなんとか三本拾えないかと模索するオーダーだ。つまり、一年生ふたりは当て馬ということになる。


 ……こんなオーダーを組んで、僕が負けるわけにはいかない。

 指定された座席に五人並んで座ると、反対側にもいかにも強そうな雰囲気をまとった東京国立大Bの選手が席につく。オーダー交換を済ませると、審判長でいらっしゃったプロ棋士の先生の号令で、一回戦がスタート。

「よろしくお願いします」


 僕の相手は上里うえさとさんという一年生の方が相手だった。戦型は相手の角交換四間飛車に振る展開に。久美と目にたんこぶができるほど経験を積んだ対振り飛車の将棋ということで、多少の自信を持って指し手を進めていた。が。

 対局開始から二〇分程度が経過し、大将席と副将席が立て続けに終局した。

「……ま、負けました」「ありがとうございました」


 共に先に頭を下げたのは、こちら側に座っている高井さんと長谷川君だった。

 そのあっという間の終局に、僕らは思わず目を見合わせてしまう。

 この大会は、三〇分切れ負けのルールだ。それにも関わらず二〇分で終わったということは。


 相手がほとんど時間を使うことなく、ふたりは瞬殺されたことを意味する。

 ものの一瞬でチームは土俵際に追い込まれ、僕は思わず生唾を飲み込んでしまう。

 まずい、オーダー失敗したんじゃ……。……最初から三本取るのは諦めて、久美だけでも勝ちを拾うオーダーにするべきだったか。


 いくら負けるにしても、この瞬殺はあまりにも尾を引きかねない。

 っていうか、普通に僕の相手の上里さんも強いし。久美より強いってこれ。久美より強い棋力を持っていても、Bチームになるのかよ、大学生は。

 ほどなくして今度は僕の右隣の彩夏さんが萎れた声で投了を告げ、これで豊園の三敗。チームとしての負けが決まった。チラっと盤面を見ると、それはそれは真綿で首を絞めるように苦しめられた彩夏さんの王様の悲鳴が聞こえた気がした。


 レベルが違う。手合い違いにもほどがある組み合わせになったんじゃ。僕だって勝てる自信は湧かない局面だし。けど、僕まで負けるわけにはいかない。初戦からストレート負けはキツい。なんとか、なんとか、なんとかしなきゃ。

 なんとかしないと。これ以上、チームに迷惑はかけられない。オーダーミスって、自分も負けたら本当に存在価値がない。負けられない、勝たないと、なんとかしないと……!


「ありがとうございました」「負けました」

 対局開始から一時間後。僕と久美の将棋も終了。頭を下げたのは、僕のほうだった。

 反対に久美は大学生相手でも気負わずに自分の実力を発揮し見事に相手玉を刺し切っていた。

 ……一回戦は、1対4で落とす結果になってしまった。

 感想戦を終え、みんなのもとに戻ると、やはりというかムードはどんよりとしていた。


「……えっと、その、みんな……」

 沈んだ表情の部員たちに、僕は謝ろうとしたとき。

「んー、強かったねー、初戦の相手」

 一回戦唯一勝ち名乗りを上げた久美が、ニコリと口元を緩める。僕や高井さん、長谷川君の肩を優しく叩く。


「大丈夫大丈夫。まだ四回戦残っているわけだしさ。切り替えていこう? 確かに大学生は強かったけど、せっかく東京に来たんだから、自分の将棋やろう?」

「……うん。私も初戦は負けちゃったけど、次はもっといい勝負できるようにするからさ。次頑張ろう、次。ねっ?」

 久美の励ましに続いて、彩夏さんも後輩たちに優しく声を掛けてまわる。


「……麦田くんも。あまり気に病まないで。終わったことは取り返せない。だから、二局目のことに集中しよう? 反省は、大会が終わってからできるんだから。オーダーも、自信持ってくれていい。チームで勝とうとするなら、これしかなかったと思う」

「あ、ありがとうございます。そう言って貰えるだけで、だいぶ楽になります……」


「……別に、私に当て馬振ってくれていいからね。一年生ふたりに辛い思いをさせ続けるのも、今後のためにはならないだろうし」

「で、でも、それじゃあ」

「いいのいいの。私にとってはおまけみたいなボーナスステージなんだから。みんなともう一度こうして大会に出られているだけで儲けもの。嬉しくて嬉しくてたまらないんだ。……チームのためなら、当て馬でもなんでもやるよ」

「……考えておきます」


 二回戦は新宿区立戸塚第三中学校が相手だった。初戦はストレートで落としており、実力的には僕らと同じかそれ以下なのかもしれない。さっきは一年生ふたりに当て馬を任せたけど、今回は彩夏さんの申し出に有難く乗り、エースが来ると思われる大将の位置に彩夏さん、副将を久美、三将に僕、四将を長谷川君、五将に高井さんという並びに組み替えた。


 久美が瞬殺で勝利を挙げたのを皮切りに、長谷川君に大会初勝利、続けて彩夏さんも相手のエースに勝ち、チームの白星が確定。

 僕も苦労はしたけど、なんとか相手玉を寄せ切り無事勝利。残るは高井さんひとりとなった。


 高井さんもほぼ同格の相手に、敗戦を引きずることなくしっかりと将棋を進めていた。進めていたのだけど、

「……ま、負けました」

 持ち時間に追われたか、最終盤にミスを連発し、瞬く間に逆転を許し投了。他の四人が勝利したなか、ひとりだけ負けてしまう結果になった。肩を落とす高井さんに、優しく声を掛ける久美。


「ドンマイドンマイ。内容的には勝ってたし、秒読みあったらきっと正確に指せたでしょ? あゆちーなら」

「……だ、だと思います」

「なら良しっ。切れ負けの将棋に慣れてないのは仕方ないこと。次もあることだし、切り替えていこう? 初戦よりいい将棋できてたんだから、自信持って」

「……は、はい」


 チームとしての成熟度は、間違いなく中学のときよりも高くなっていた。なんていうか、中学生のときはひとりとひとりとひとりで戦っているような感じだったし、僕が参加した今年の全道大会も概ね似たような空気感だった。

 それが、今回のオール学生に関して言えば、チームになれている。僕のオーダーを信頼し、みんな実力を発揮してくれている。


 三回戦に当たった関西最強大学と名高い栗命館りつめいかん大C戦は、久美と僕が勝利を挙げ、大学の強豪チーム相手に二本取ることに成功。彩夏さんと長谷川君も善戦していたものの、惜しくも負けてしまったけど、同じ初戦の負けとは違う価値をもたらす敗戦だった。


 いい雰囲気はチームの成績にも表れるもので、続く四回戦の二橋ふたつばし大B戦は久美と僕と、なんと長谷川君が大金星を挙げ三本奪取。大学チーム相手に勝利することができた。


 ……ただ、そんないいムードとは裏腹に高井さんはまたもや四連敗。やはり切れ負けルールが重くのしかかっているようで、どれだけ将棋を良くしても逃げ切ることに失敗しているケースが目立っていた。久美も彩夏さんも、長谷川君もしっかり彼女へのフォローは欠かさずしていた。けど、表面上はにこやかな顔をしているものの、高井さんの心中は穏やかではないだろう。


 チーム二勝二敗、勝ち数10で迎えた最終五局目の対戦カード発表。

 札幌豊園の相手としてコールされたのは、こうなる運命だったのか、札幌教育大学付属札幌高の名前だった。別に、入賞がかかった場面での五回戦ではない。ないけど、この組み合わせで消化試合なんてことはあり得ない。


 必然的に、久美をはじめとするみんなの目の色が変わる。……約一名を除いて。

 札教大札幌が相手と分かった時点で、僕は頭のなかでオーダーを組み立てた。

 向こうのオーダーは毎局変動している。ここまで吉原さん以外の全員が大将席に座る流動的なオーダーだ。となると、確実にこちらのオーダーを見て並びを決めるはず。


 鍵となるのは、高井さんの位置だ。

 ここまで高井さんは副・五・四・四の位置で置いてきた。……ということは、四将か五将に置く可能性が高いと向こうは読んでくるはず。そこに、自チームの五番手を置きたいと考えるに違いない。誰でも勝てる相手に、わざわざ自チームの有力選手を当てる必要はないから。


 それで札教大札幌の五番手が誰かと言われたら、それはきっと吉原さんだ。間違いなく、下位に吉原さんを置いて高井さんにぶつけたがるはず。

 五は万が一にも僕がオーダーを外して彩夏さんを置いたときに当て馬狩りされて、黒星確定になるのを恐れるだろうから、四に吉原さんかな。


「なら、それを正々堂々受けるだけ。吉原さんとの再戦を願ってやまないのは、こっちも同じだ」


 札教大札幌の傾向として、エースを相手の二番手に、二番手を相手の三番手に当てたがる。

 つまり、あちらの理想は藤ヶ谷―僕、岡本(二番手)―彩夏さん、芳賀はが(三番手)―長谷川君、吉原―高井さんを作り上げ、僕らのエースの久美には当て馬の高木をぶつけること。


 もしこうなれば九割の確率で高木―久美のところだけ久美が勝ち、残りは札教大札幌が勝つシナリオってわけだ。僕は、これをさせてはいけない。

 ……高井さんを信じていないわけではないけど、彼女を当てにするオーダーは組めない。信じるのと計算するのは話が別だ。


 どうにかして、久美を藤ヶ谷か、最悪岡本に当てないとお話にならないのだけど。

「……藤ヶ谷の組むオーダー、まじで流動的過ぎて読めねえ」

 そうこう悩んでいるうちに、オーダー提出の締め切り時刻は刻一刻と迫る。

 僕は時間に追われながら、オーダー用紙に番号を書きあげた。


「オーダー、決めたよ。これで、いこうと思う」

 僕の決断を待っていたみんなに、それぞれの席次と意図を伝える。そして、最後に高井さんを呼び止める。


「高井さん」

「はっ、はい」

「四将に置いたのは、吉原さんと当てるため。高い確率で吉原さんが来ると思っていい。……忖度なしで言う。今日の札教大札幌で高井さんが勝てる相手は吉原さんしかいない。もしうまく吉原さんと当たったなら。……最後まで僕は信じてる」

 高井さんは俯いたまま、眼鏡の奥の瞳を揺らす。


「……確かに吉原さんはあのときよりも強くなっているに違いない。でも、それは高井さんだって同じ。……今日もまだ結果は出ていないけど、それがこの勝負で高井さんに期待しない理由にはならない。……大丈夫だよ。高井さんはちゃんと正しい努力を積んだ。自信を持っていい。……もし高井さんが何をしでかしたって、僕が。久美が、彩夏さんが、長谷川君がなんとかする。だから思いきり、いこう。これまでなんて関係ない。大事なのは、今なんだから」

 僕がそう言うと、顔を上げた高井さんはコクンと首を縦に振った。


「……よし。行っておいで」

 肩を叩いて高井さんを送り出し、僕もオーダー交換のため藤ヶ谷の待つ大将席に座った。


「本当に五回戦で当たるとはね。当たった以上、全力であなたたちを倒すだけだけど」

「……そりゃどうも。じゃあ、オーダー交換お願いします」

 昔と変わらない不敵な笑みを浮かべたままの藤ヶ谷は、余裕な表情でオーダー用紙を僕に手渡す。僕もそれに合わせて、自チームの用紙を彼女に渡す。


「……札幌豊園、大将、長谷川、一年です」「札教大札幌、大将、高木、二年です」

 よし。向こうはやはり大将に久美読みで、当て馬の高木を持って来た。長谷川君で五分五分の勝負をさせられるのはデカい。


「副将、本間、三年です」「こちらは芳賀、二年です」

 ここも、互いの三番手同士が当たるガチンコ勝負になった。棋力も互角だし、悪くはない。


「三将、米野、二年です」「……。岡本、二年です」

 ほ、ほんとにオーダーが「ほぼ」的中したのか、これ。


「……んん。四将、高井、一年です」「吉原、一年です」

 僕は、ゴクリと生唾を飲み込んで、目の前に座る女子生徒の顔を見やる。僕の視線に気づいた藤ヶ谷は、鋭い眼光で睨み返すと、


「考えることは、お互い一緒ってわけなのね」

 面白い、と言わんばかりに僕にオーダー用紙を突き返した。


「札教大札幌、五将は藤ヶ谷、二年です」

 僕の読みは、高木・芳賀・藤ヶ谷・吉原・岡本の並びだった。それが、見事に藤ヶ谷と岡本だけ入れ替わった形で向こうは待ち構えていた。これがどういうオーダーになったかと言うと。


 大将・副将は互角。三将はやや豊園が優位、四将は札教大札幌、五将も、札教大札幌が優位という星勘定だ。


「……。さ、札幌豊園、五将、麦田、二年です」

 震える指先で、藤ヶ谷の欄に僕の名前と学年を書き、用紙を返す。本来の大将、長谷川君に席を譲り、僕は端っこの五将席に、藤ヶ谷と向かい合って座る。


「全道大会では死んでいたあなたが、どうやってこの舞台に帰って来たのかはこの際どうでもいい。昔からの知り合いが戦線に戻ってくるのは素直に嬉しい。……それは、それとして」

 ひょい、と散らばったままの盤面から王将を掴んだ藤ヶ谷は、僕の目をじっと見つめつつ、


「来年の全道大会、あなたと久美、穀物コンビが揃い踏みすると、厄介なのは確か。だから──」

 しなやかな駒音とともに最下段中央の初期位置に置いては、

「──何度でも、私はあなたの心を折る。完膚なきまでに、叩き潰してあげる」

 力強い口調で、僕に宣言した。


 恐らく久美は勝ってくれる。僕は久美の勝負に関しては全幅の信頼を寄せている。残り二本、二本なんだけど。

 高井さんを当てにはしない。つまり、五分五分の勝負である長谷川君と彩夏さん、相手のエースが相手となった僕の三人で、二勝しないといけない。


 ……五分五分は、あくまで五分五分だ。どう転ぶかなんて、誰にも予想できない。

 つまり、僕がチームの三本目を、命運を背負う可能性だって十分あり得る。

 勝たないと、勝たないと。今度こそ、僕は藤ヶ谷に、勝たないといけないんだ。

 ジャラジャラと、大将席で振り駒をする音が響く。


「札幌豊園、奇数先です」「札教大札幌、偶数先」


 団体戦は、大将席の振り駒によって全ての席の先後が決まる。大将が先手なら、奇数番目の席が先手で、後手なら偶数番目が先手、という具合に。

 こと僕と藤ヶ谷の将棋に関して言えば、僕が先手で、後手が藤ヶ谷になった。


「……折れないよ。もう。……実際まだ、僕は僕を期待しきっているわけじゃない。……でも、信じてくれる人がいるなら、僕は諦めたりはしない──」

 審判長の号令がかかり、一様に向き合った僕ら五人と五人は、

「──よろしくお願いします」

 最終五回戦の火蓋を切って落とす、始まりの挨拶を交わした。

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