第28話 大会前夜

 大会直前まで高井さんに教えられることを教えて、僕らは東京遠征当日を迎えた。

 飛行機からホテルの手続き、何から何まで春来さんが取りまとめてくれたのはもう頭が上がらない。一日目、新千歳空港から羽田空港に飛び、そこから軽く東京観光を挟んだ。久美は最後の最後まで将棋会館に行きたがったけど、民主主義と言う名の多数決で浅草・東京スカイツリーなどの東京名所を見て回り、晩ご飯はみんなでもんじゃ焼きを食べた。まあ、数時間しか時間がなかったから、駆け足になってしまったけど。


 怒涛の時間を過ごしてチェックインしたホテル。それぞれ男子部屋女子部屋に別れて部屋のお風呂に浸かってから男子部屋に集合する。

「……はい、というわけで色々と疲れ果てる一日目でしたが、無事に終えられそうで何よりです。明日は十時受付スタート、九時前にはホテルをチェックアウトするつもりだそうなので、それに間に合うように朝は起きてください」

「りょーかいでーす」

 元気のいい返事をする久美。しかし、久美の髪の毛はやはり濡れたまま。


「……返事がいいのは認めるけどちゃんと髪は乾かせ将棋馬鹿。また全道大会のときと同じ過ちを繰り返すつもりか。彩夏さん、お願いします」

「ラジャっ」

「おわっ、なっ、何をするんだよう」


 横目で彩夏さんにアイコンタクトを取ると、久美の体を彩夏さんががっちり取り押さえる。僕はその間に備え付けのドライヤーをセットして、久美の髪に温風をあてがった。

「ひゃっ、なっ、夏ねえ、そこは触ったら変な声がっ、ひぅっ」

 が、やり過ぎた彩夏さん、久美の体をホールドするのに思い切り胸を触っていた。……確信犯だろ、これ。


「……受験勉強のストレスで溜まるものも溜まっているんだ、お姉さんに久美っぱいを揉ませなさい。全道大会休んだ分はこれでチャラにしてあげるから」

 確信犯だし言っていることが要するに身体で支払えってこと過ぎて開いた口が塞がらないよ。


「麦田先輩、これ、俺ら見ていいんですか」

 突然のハプニングに長谷川君は気まずそうに目を僕に逸らす。……うん、気持ちはわかるよ。


「……多分、見ていいか見ちゃだめかって言われたら、見ちゃだめな部類に入ると思う。僕が振っておいてなんだけど」

「……あと、歩夢に流れ弾が当たってるんです」

 そう言われ、僕はTシャツハーフパンツという部屋着の高井さんに視線を移すと、

「……身体でも支払えない私は、どうお詫びすればいいんだろう」

「彩夏さんっ、止めて止めてっ。関係ない人にダメージ入っているっ」

 恐ろしいことを口走っていたので、慌てて作戦の中止を決定した。……いや、彩夏さんが暴走したのが悪いよねこれ。


「……それで、明日はどうする?」

「どうするってー?」

 作戦を中止させた後、部員全体のミーティングを終わらせると、そのままなし崩し的に男子部屋で大会前日に軽く将棋を指す流れになった。高井さんと彩夏さんが平手で指して、それを長谷川君が眺める形。僕はどういうわけか久美の髪をドライヤーで乾かしていた。


「……オーダーだよ、オーダー」

「ふぇ? オーダー?」

「……まじで何も考えてないのね」

 高校将棋の団体戦と違い、今回参加するオール学生将棋団体戦は、チーム五人を任意の順番に並び替えることができる。今までみたいに、大将副将三将を決めたらあとはガチンコ、というものではない。駆け引きだったり、読み合いというものが発生するんだ。


「……ぶっちゃけ、大学生チームがほとんどを占めるこの大会で、豊園の立ち位置は間違いなく下から数えたほうが早い。久美ですら相手にならないレベルの相手がゴロゴロいるんだ。無策で突っ込んだら酷い目に遭うのは目に見えている」

 特に関東圏の大学はハイレベルだ。団体戦の熱量も高く、そもそもA級からC2級までの五部体制になっているところからも窺い知れる。


「それはそうかもね。でも、わたしたちまともな相手校のデータなんて持ってないじゃん?」

「データは無くても、予想できるものはある。……普通、大将から五将までメンバーを並べてくださいって言ったら、久美はどうする?」


「んー、強い人から順にするかなあ」

「うん。何もデータが無ければそうするかもしれないね。じゃあ、互いにそうしたとして、僕らが勝てる公算は? ハイレベルな相手の『エース』にウチの『エース』をぶつけてしまって、果たして三本取りきれる? って話」


 ……久美ですら勝てないかもしれない選手がゴロゴロいる大会だ。そんなオーダーを組めば全敗で大会を終えてしまう恐れさえある。それは、みんなの心にトラウマを植えかねない。


 参加することに意義がないとは言わない。でも参加するだけならわざわざ東京から遠征なんてしない。久美には彩夏さんと最後の大会に出たい、僕は団体戦のトラウマを払拭したい、彩夏さんは最後にもう一度だけみんなで真剣勝負の場に出たいって目的がある。高井さんも全道大会の雪辱を晴らしたいはずだし、長谷川君も見ているだけだったあの夏を取り返したいはず。


 出るからには、何かを持ち帰りたい。そのためには、勝ちを本気で目指さないといけない。

「場合によっては、長谷川君と高井さんを相手チームのエースと二番手に当てて、僕、久美、彩夏さんで相手の三番手以降を狩るオーダーも取らないといけないかもしれない」


「……むぎくんが、どうしたいかでいいよ。みんなが納得できるなら、それでもわたしはいい。チームで勝つ経験も積みたいし。わたしは、そういう盤外で頭を使うのは苦手だから。……だから、信じるよ、むぎくんのオーダーを。むぎくんが相手のエースを倒せって言うなら、わたしは頑張って倒すし、当て馬をきっちり狩ってって言うなら、しっかり勝ち星ひとつ取る。……そのために、わたしは強くなったんだ──あちちっ」


 ドライヤーを当ててる最中にくるりと振り返ってちょっと格好いいことを言ったと思えば、顔に思い切り熱風が吹きかかり、表情を歪める久美。

「はい、ドライヤー終わり。これで風邪も引かないでしょ。あ、寝る前に詰将棋解くなよ、睡眠時間減るから」

 スイッチを切り、コードを抜いてドライヤーを片付ける。


「そこまで言うなら、じゃ、明日はよろしく頼むよ。久美」

 テーブルにドライヤーを置いた僕は、最後に小さくそっと呟いて、久美の肩を叩いた。

「……うん、任された」


 なかなか気温が下がることのない東京の夜は、僕らの大会へのモチベーションを表すかのように、なかなか熱を冷ますことをしなかった。結局、時計の針がてっぺん近くを指し示すくらいまで、僕ら五人は男子部屋で将棋に興じていた。


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