第24話 どうして誰も彼も僕のことを

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 花火大会から何日か経ったある日、バイトが終わった夕方。カランコロンと音を響かせて「にゅうぎょく」を訪れたのは、テスト前からほとんど僕と関わろうとしてこなかった久美だった。

 僕と春来さんは、その来訪者に顔を見合わせては、何も口にすることなく示し合わせたかのようにそそくさと教室の後片付けを終わらせる。


 春来さんが僕にアイスコーヒーを、久美にオレンジジュースとリンゴジュースを一対一で割った久美ブレンドを用意して、カウンターに並んで座った僕らの前に立つ。

「……このタイミングで、ここに来たってことは、決めたってことでいいのかな。久美」

 春来さんの問いに、こくんと久美は頷いてみせる。


 じわり、クーラーが効いたはずの店内なのに、僕は額に汗が浮かぶのを感じる。

「……諦めない。諦めたくないよ、やっぱり、私は」

 久美が紡いだ答えは、どこか予想がついていたもので、しかしこれまでのどのやり取りよりも確固たる決意が込められていた。


「わたしは、どうしても、むぎくんと総文祭に行きたい。同じチームで」

 花火大会の日に高井さんにも説得され、長谷川君にも引き止められ、そして今日の久美だ。

「……ほんと、どうして誰も彼も僕のことを必要とするかな」

 揺れ動きそうな心を抑えながら、努めて冷静に僕は言い返す。


「だって、むぎくんがいないとはじまらないっ、はじまらないからっ」

「……始まったとして、終わらせるのも僕だよ。何度も言ったよ。僕は団体戦には出ないって」

「なっ、んで──」


「……なんでも何も、だよ。むしろ、今後のためにもはっきり言う。僕のせいで久美の研修会の成績に響くのは本望じゃないから。……出ないよ。団体戦は出ない。部は辞めないって言ったけど、それでも色々と影響が出るようなら、将棋部も辞める。中途半端に諦めさせない余地を残した僕も悪かったし。高井さんへの指導は別に部活じゃなくてもできるし」

「っっっ……!」


 僕の「将棋部を辞める」という言葉に反応した久美は、途端にその顔を真っ赤に染め上げる。

「……本気だよ。僕は」


 結果、意思を決めたとは言え久美も僕の説得はほぼノープランだったみたいで、「退部」という最後のカードをちらつかされて、何も言えなくなってしまっていた。

 平行線を辿る僕らを見かねた春来さんは、大きく嘆息したと思えば、片付けたはずの将棋盤と駒、そして対局時計を僕らに差し出す。


「もう見てられない。『棋は対話なり』って言うでしょ。あなたたち、もう将棋で語って。そのほうが早いよ、きっと」

「……春来さん、僕が負けても、決意は変えませんよ」

「私はそういうつもりじゃない。そんな少年漫画みたいなことで決着つくなら、こんな苦労しない。でしょ? ……久美。翔ちゃんは可能な限り自分のことを久美に話してる。久美のほうは? 何も言わなくても翔ちゃんはわかってくれるなんて幻想だよ。翔ちゃんを引き留めたいなら、思ってること、考えてること言わないと。……翔ちゃんだって、久美のこと全部理解しているわけじゃないんだから」

「……それ、は」

 不承不承ながらも盤に駒を並べていく僕ら。その間に春来さんが対局時計の設定を済ませる。


「三〇分、切れたら三〇秒でいい?」

「僕は何分でも」

「……わたしも任せる」

「じゃあ、それでいこう。別にどっちが勝とうが負けようが、何も賭けはしない。いいね?」

 そう言うと春来さんは久美の歩を五枚掴んで振っては、盤上にゆっくりと落とす。


「……歩が三枚で、久美の先手ね」

 僕は自分の左側に来るように対局時計を置き直す。そして、

「「……よろしくお願いします」」

 通算何局目になるかわからない、久美との将棋が始まった。


 戦型は、先手を引いた久美のノーマル四間飛車に対して、僕が四枚銀冠で対抗する形になった。……でも、振り飛車党と言えど、久美がノーマル四間飛車をするのは久々に見た気がする。


 自分から仕掛けられる角交換系の振り飛車と比べると、角道を止めるノーマル振り飛車は居飛車側からの仕掛けを待つケースが多い。自分から攻めて攻めて主導権を取りたい棋風の久美とは、実はあまりそぐわなかったりする。


 ……何か、狙いがあるんだろうけど、今のタイミングじゃまだわからない。

 僕も僕とて、じっくりした将棋のほうが好きなので、限界まで王様を堅く、遠くさせて仕掛けの準備を整える。


 ふと周りを見渡すと、受験勉強中のはずの彩夏さんも様子を聞きつけたのか、お店に入っては僕と久美の将棋を見つめていた。久美の狙いはよくわからないまま、僕は飛車先の歩の交換を迫る。これ以上待機するのも、あまり意味はない。


 一度局面が動いてしまえば、そこからあっという間に目まぐるしく盤面が変化していく。

 僕の申し訳程度の先制パンチが久美に刺さるわけもなく、すぐに久美の攻勢となる。


 互いに竜を作る展開となるも、僕の角が自陣深くで閉じ込められてしまい、逆に久美の角は僕の囲いの弱点でもある玉頭に睨みを利かせる好位置にポジションを取っている。

 単純に角の働きの差がそのまま形勢に現れていた。


 これはもう、粘りにかかるしかないか。互いに守りは金銀四枚。僕のほうが一路遠い位置に王様がいるとは言え、堅さに差はない。

 このまま玉頭攻めをもろに喰らったら、あっという間に将棋が終了してしまう。


「……はぁ」

 劣勢を意識するため息とともに、僕は隅っこにある香車を竜で回収する。どちらかと言うと、受け駒としての活用を想定した一手だ。


 久美は間髪入れずに、僕の敵陣へと手を伸ばしていく。駒も指もしなやかに動いて攻める様は、いっそ綺麗だ。惚れ惚れしそうになるくらい。

「研修会で八連敗するような強さじゃないじゃん。前指したときよりも、また強くなってない?」

 僕のひとり言に久美はリアクションをせず、六筋に歩を垂らしてと金作りを目論む。


 遅いように見えるけど、間に合うなら確実な攻めだ。

「……間に、合うなら?」

 一瞬、僕は視線を上げて久美の顔を見る。その表情は硬いままで、そこに油断の色は一切ない。


 ……間に合うのか? このと金作りは。この攻めを完遂させようとすると、歩を成る。一路寄せる。もう一路寄せて角にぶつける。角を取る、と工程を四手踏まないといけない。


「……本当に?」

 ここ最近、久美は攻めを間違えて研修会の将棋を落としているって春来さんから聞いている。もし、そのイメージが残っているのなら、必要以上に攻撃に確実性を求めてしまっている可能性は否めない。その結果、ぬるく映るこの垂れ歩だ。瞬間的に、僕の角は中盤への脱出ルートが確保され、そこから攻撃に活用する筋もぱっと見でもわかる。攻めの速度で僕が上回る手順は、考えれば見つかりそう。仮に上回れなくても、同じ四手なら僕のほうが早い。


 だって、僕の王様のほうが一路遠いのだから。


 チラっと僕は対局時計のディスプレイを確認して、残り時間を把握する。

 ……あと、一五分か。どうする? 選択肢はふたつだ。

 このまま久美の攻めを受けに回って、粘りにかかるか。いつもの将棋のぶん、慣れているから指しやすい展開にはなると思う。勝てるかどうかは別として。


 ……それとも、勇気を持って、正面から久美と攻め合いもしくは、攻撃を挑むか。

 慣れないことをしようとするぶん、途中で間違えるリスクだって大いにあるし、そもそも今現在の僕の読みを久美が超えていて、速度負けするかもしれない。それに、僕レベルの攻撃が久美に刺さるともあまり思えない。どっちだ、どっちだ、どっちだ……。どっちが、正解だ。


 ピッ。

「……もう残り一〇分かよ」


 対局時計の電子音で五分使ったことに気づいた僕。さすがにもう決断しないと、最終盤で考える時間が足りなくなってしまう。

 ……いや、心のなかでは、指す手は決めていたんだ。ただ、整理する時間が欲しかっただけ。


 僕に、力なんてないことを言い聞かせるためだけの、それだけの時間。

 だって、「むぎくんは攻めるより粘っているほうがらしい」のだから。

「……すぅ」

 僕は深く息を吸い込んで、敵陣深くにいる竜に手を伸ばし、自陣に引きつけようとした。瞬間。


「──ダメっ!」

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