第22話 もう、後悔したくないから

 豊平川沿いで過呼吸を起こした高井さんを介抱した僕は、なんとか高井さんを落ち着かせ、無理やり中学の同級生からも引き剥がした。

 過呼吸が収まってからも、高井さんは色々疲労が溜まっていたんだと思う。穏やかな寝息を立て始めたので、僕は高井さんを背負って南郷なんごう通沿いにある菊水駅・東札幌駅の中間に位置する四つ葉公園のベンチまで運んだ。


 そうしていると、血相を変えて自転車を飛ばしてきた長谷川君が僕らのもとにやって来た。連絡してものの数分で駆けつけてくれた。やはり、幼馴染のパワーは偉大だ。


「はぁ、はぁ……やっぱり、こうなったんですね……。だから、ちょっとは休めって言ったのに」

 自転車のかごには、道中にあったスーパーで買って来たと思われるスポーツドリンクや飴玉が覗いている。


「歩夢、中学の同級生に会ったんですか?」

「……うん。結構、酷いこと言われてて。……ごめん、僕がついてたのに。……ねえ、もしかしなくても、高井さんって」


「いじめられてましたよ。三年生のときなんか、酷かった。修学旅行の自由行動で置いてけぼりだとか、学校祭もろくに参加してなかったです。無事に中学卒業したのが奇跡ですよ、あんなの」

 やっぱり、か。


 長谷川君はベンチで横になってる高井さんの頬に、ピト、と濡れたスポーツドリンクのペットボトルをあてがい隣に座る。

「……うう……」

「それに、歩夢は家庭環境も良くなくて。……両親は離婚してて、今は母親と暮らしているんですけど、その母親がなかなかにまあ酷くて」


「……そ、そうなの?」

「まあ、ぶっちゃけると遊び人なんですよ。男をとっかえひっかえ、忙しないですよ。歩夢のことも内心邪魔に思ってるらしくて、いないものとして扱われてて。まあ、そんな母を父が見限って、互いに親権も取りたがらなかったっていう話です。結局、母親が取ったんですけど、このザマですからね。歩夢がいてもお構いなしに家に男連れ込んでますし」

 予想よりも壮絶な環境だった。よくそんな環境でいい子に育ったのでは、高井さん……。


「歩夢が居場所にこだわるのは、そういうことなんです。家で親にいないものとして扱われて、学校ではいじめられて。高校に入ってからいじめはなくなりましたけど、友達はできていないみたいですし。将棋部が初めてなんです。歩夢を受け入れてくれたのは。だから、必死なんです。せっかく手に入れた居心地のいい自分に優しくしてくれる空間を、歩夢は失いたくないんです」

 花火大会中の高井さんの言葉に、そんな理由があったと気づかされ、僕は多少なりとも申し訳ない気持ちになる。


「まだ、団体戦辞めるつもりなのは、変わらないんですか?」

「……変わらないよ。高井さんには悪いけど、変わらない、よ」

 けど、それはそれ、これはこれだ。低く落ち着いた口調で僕が否定すると、ベンチに座っていた長谷川君は目の前に立ったかと思えば、


「お願いします、考え直してくれませんか? 歩夢には、将棋部が、団体戦が必要なんです。ここで麦田先輩に抜けられたら、歩夢は」

 僕に対して深々と頭を下げそう言った。


「あ、頭上げて。な、なんで、そこまでできるの……?」

「もう、これ以上歩夢を見殺しにしたくないんです。中学のとき、きついいじめ受けているの俺は知ってた。知ってたのに、何もしなかった。歩夢より自分の立場を優先させた。両親が離婚したときだって、一番しんどかったのは歩夢のはずだったのに、俺は見ていることしかできなかった……! せめて、部活だけは。せっかく歩夢が手に入れた将棋部って居場所だけは、俺も守らないと、絶対後悔するからっ」

 街灯の下、南郷通を行き交う車の走行音だけが、四つ葉公園に響き渡る。


「……わかってます。麦田先輩をあてにするんじゃなくて、自分でなんとかしろよっていうのはわかってます。俺がもっと強くなって、チームに貢献できるようになればいいのもわかってます。……でもっ、俺じゃダメなんです! 俺じゃ……歩夢を助けられないんです。麦田先輩に将棋を教わり始めてからの歩夢は、毎日すごく充実して、活き活きした顔してて。俺、曲りなりにも幼馴染なのに、あんな歩夢の顔、見たことなくてっ。……麦田先輩じゃなきゃ、ダメなんです。だからっ、だからっ、お願いしますっ……!」

「……今はまだ、何も答えられないよ」


 長谷川君の必死の説得に対して、僕は「保留」という形で譲歩するのが精一杯だった。

 高井さんに続けての慰留に、心が動かないわけはない。でも、そうだとしても。まだ、僕が僕を期待するに足る理由を見つけられていない。


「……それに、僕は長谷川君が思ってるほど、できた人間じゃない」

「そんなこと」

「……高井さんのこと、お願いしていいかな。僕が花火大会に誘ったくせに、最後まで送っていかないのは無責任だろうけど、高井さんも僕よりも長谷川君がついてくれていたほうが安心できるだろうし」

 僕はベンチから立ち上がり、側に止めていた自転車のスタンドを上げる。


「そ、それは、全然大丈夫ですけど」

「……ごめんね。頼りにならない先輩で。部活も、体調が良くなるまで休んでって高井さんに伝えておいて。それじゃ、僕はもう行くよ」

 そして、逃げるように家とは逆方向に自転車の舵を切っては、

「……どうしてっ! 僕なんかに……!」

 車輪の音に掻き消されるくらいの大きさで独り言ちて、豊平川へと来た道を引き返していた。


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