第20話 みっともなくなんて

 高井さんは僕の都合がつく日のほとんどで部屋に来て僕と将棋を指した。教室バイトで都合がつかない日は、高井さんも教室に来て子供たちと混ざる徹底ぶり。


 数をこなすだけなら簡単かもしれないけど、驚くべきことに日を追うごとに高井さんは着実に成長していた。夏休みの始めは四枚落ちでも厳しい勝負だったのに、一週間と経たずに半分は僕に勝つようになった。恐ろしいことに、直接僕が教えていないことまで吸収し始めていて、いつしか久美が言っていた「真面目な努力家」の底力を見せつけられており、僕は震えていた。


「……ねえ、翔ちゃん。お弟子さん、めちゃくちゃ強くなるの速くない? なんでもう四枚落ちで普通に翔ちゃん負けるようになってるの?」

 この日は「にゅうぎょく」でのバイトの日。子供たちと混ざって将棋を指す高井さんの後ろ姿を、春来さんは半分畏怖が入った目で見つめている。


「……僕が記録しているノート、貸してくださいって言われまして。多分、家で棋譜並べしているんだと思います。……僕の将棋を」

「目指す棋風が似ているから、参考にしやすいってことなのかな。実際、この間見たときはどこか迷いながら手を動かしていたけど、今日は自信を持って指せているし」

「僕としては、棋譜並べするならプロの先生の棋譜を並べたほうがいいとは思うんですけど」


「いいんじゃないかな? プロの棋譜を手に入れるにもお金がかかるわけだし。雑誌買ったり、棋譜中継に課金したりしないといけないわけだけど、高校生っていつだって金欠じゃない? まとまった数の棋譜を調べるのも大変だろうから、最初は身近な強い人の将棋を見るっていうのも有効な勉強法だと私は思う」

「そ、そういうものなんですか……? あと、単純に僕、自分の棋譜を誰かに見られるの恥ずかしくて嫌なんですよね……みっともない将棋ばっかりなんで」


「何言ってるの。翔ちゃんの将棋は、みっともなくなんてないよ。昔も、今も」

「……僕は、とてもそうだとは思えないですけどね」

 春来さんは、チラッと壁に掛けてあるカレンダーに目線を移しては続ける。


「……久美、まだ翔ちゃんには何も言ってない感じかな」

「はい。テスト前から、すっかり音沙汰なしです」

 おかげでここ最近は睡眠不足に悩まされることはなくなった。気がついたら夜の九時から翌朝九時まで寝ていたとか夏休みの間ザラにあるから、幼馴染による慢性的な睡眠妨害はよほどのものだったのだろう。


「はぁ……ごめん、もうちょっとだけ待って。まだ久美がどうしたいか決められてないから、私も翔ちゃんに何話せばいいかわからなくて」

「……どうしたいか決める、とは」

「久美に、団体戦を諦めるのかどうか決めさせてる。このままズルズルいくのだけは、私は許すつもりはないから」


「……そうなんですね」

「そ。だからそれが決まらないと、何も進まないわけなんだよ。まあ、そんな久美もすぐに決められることじゃないのは重々わかるんだけどね」

 春来さんはパラパラと自分の手帳をめくりながら、僕に尋ねる。


「そういえばさ、翔ちゃんたち。夏休み入ってから将棋以外のこと何かした?」

「……夏休みの課題くらいですかね」

 それ以外はほぼほぼ、高井さんへの指導か将棋教室のバイトだ。そこ、悲しいとか言わない。


「……まさかとは思うけど、それ、歩夢も?」

「どうでしょう。あれだけ頑張ってたら、将棋以外に時間割く余裕ないんじゃないんですかね」


「花の高校生が夏休みに将棋オンリーって。いや、将棋を普及する側としては嬉しいんだけどさ。嬉しいんだけどさ。たまには将棋以外のこともしないと、息詰まっちゃうよ? 高校生なんだから、ちょっとは青春っぽいことしなって。次の金曜日、豊平川で花火上がるでしょ? 歩夢とふたりで見に行って来なよ」


「花火大会、いい響きですね。何度花火を見に行こうとしたタイミングで久美に紙コップ鳴らされて将棋をやらされたか」

「……なんか、ごめんね翔ちゃん」

「……謝らないでください。僕が辛くなるんで」


 なんだろう、子供たちからも可哀そうな人を見るような目で見られている気がした。悲しくない、別に悲しくなんてないんだから。


「……高井さんって、今週の金曜日って暇だったりする?」

 教室バイトが終わり、「にゅうぎょく」で晩ご飯を食べた後。

 僕が晩ご飯を食べている間さえも、春来さんに一局指導対局をつけてもらった高井さんを、自転車を押しながら僕は自宅まで送っていた。夜も遅い時間だったからね。


「あ、空いてます……けど、どうかしたんですか?」

「春来さんにたまには高校生らしいことしなさいって言われて。花火大会あるしどうかなって」

 僕がそう切り出すと、横を歩いていた高井さんの足がパタリと突然止まった。


「……は、花火、大会ですか?」

 かと思えば、眼鏡のレンズ越しに困ったようにㇵの字を描いた瞳が揺れ動いては、何かが溢れかけているのに僕は気づいた。


「えっ、あっ。ちょ、やっぱ今の無しっ。無しでっ。ごめん、そんな泣かせるつもりじゃなかったんだ。忘れて、忘れていいからっ」

 や、やばいやばいやばい。泣きたくなるほど僕と花火行くの嫌だったんだ。そうだよね、だって高井さん、最初僕のこと「怖がっている」って話だったもんね。普段から体温低く振舞っていた弊害が出てしまった。


「いっ、いえっ、ちっ、違うんですっ。いっ、嫌とか、そういうんじゃなくて……っ」

 などと僕が勝手に慌てていると、高井さんは取り出したハンカチで目元を拭っては、僅かに嬉しそうに口元を緩めた。


「花火大会に誘われるの、初めてだったので、それで……」

「……あれだったら、長谷川君も誘う?」

 僕が気を利かせて幼馴染の長谷川君の名前を出したところ、

「はっ、はわわわわっ! だっ、大丈夫ですっ、ふ、ふたりで平気です! ふたりで行かせてくださいっ! ……あっ」「あっ?」

 意外にも高井さんはそれを断った。何か、事情でもあったのだろうか。


「なっ、なんでもないですっ。なんでも、ないです……」

「そ、そっか。それなら、それでいいんだけど。じゃあ、金曜日は花火大会に行くってことで。待ち合わせ場所とかは追い追い決める形でいい?」

「はい、そっ、それで大丈夫ですっ」

「おっけ。なら、そうしよう」


 気を取り直して、高井さんの自宅へと再び歩き始める僕ら。取り留めのない話をいくつか交わし、数十分の道のりを進むと、

「……私の家、ここなので。送っていただいて、ありがとうございます」

 浮かない表情で家の鍵を手にする高井さん。


「将棋の勉強、頑張るのはいいけど、あまり無理しちゃだめだよ。運動と違って、肉体的な疲れが表に出にくいからわかりにくいけど、将棋だって消耗する競技だから」

「は、はい……。でも、全然大丈夫です。早く、麦田さんと二枚で指せるように、頑張らなきゃ、なんで。……時間、もうそんなに残ってないみたいなんで。それでは」


 そう言うと彼女は共同玄関のオートロックを解錠しては、マンションのなかに入っていく。

「……時間、確かにそんなにないけどさ」

 高井さんの後ろ姿が、普段以上に自信なさげに僕には映った。


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