第13話 衝突

 バイト終わり、僕は例によって「にゅうぎょく」でご飯を食べてからお店を後にした。

 お店から自宅まで自転車でちょっとの道のり、薄暗い住宅街をライトで照らしながら走らせると、家の近所にある公園の横を通りかかる。

 その際、目線の端にふと、見慣れた後ろ姿がチラッと飛び込んだ。


「……久美?」

 公園の街灯に照らされる頼りない背中と、揺れるブランコに思わず僕は自転車を止める。


「……こんな時間に、何してるんだ……?」

 ──だから、久美は危なっかしいし、脆いんだよ。それだけは、心の片隅でいいから、覚えておいてもらえると嬉しいな。

 先日の春来さんの言葉がリフレインし、気になった僕は自転車から降りて久美のもとに歩み寄る。


「何やってんの、こんなところで」

「……む、むぎくん?」

 ふたつ並びのブランコ、空いているほうに座った僕は軽い調子で地面を蹴る。


「補習の課題とか、たんまり出てるんじゃないの? やらなくていいの?」

「……出てる、けど。今日はいいの」

「ふーん、そっか」

 なるほど、確かにこれはちょっと様子がおかしい。ちょっと僕と関りが薄くなった間に、いつもの久美の勢いがどこにもない。


「なんかあった? 春来さんが心配してた。赤点取ったくらいで落ち込むクチじゃないだろ?」

「……赤点は、関係ない」

「ま、そりゃそっか。だろうとは思ってたけど。……じゃあ、何なら関係あるの?」

 ギギギ、とブランコの鎖が軋む音が辺りに響く。夜の札幌の住宅街は、びっくりするくらい静かで、僕らを遮るものは何ひとつとして存在しない。


「……むぎくんは、今も団体戦出ないって、気持ちは変わらない?」

 だから、恐ろしいほど小さな声で紡がれた久美の声も、はっきりと聞き取れた。

 久美の生活のほとんどは、将棋に占められている。赤点が関係ないなら、今の久美の悩みは十中八九将棋絡みでしかない。まだ、この話をするつもりなのか、久美は。


「……何度言われたって変わらないよ。僕は団体戦には出ない」

「なんでっ──」

 突発的に言葉が溢れそうになった久美は、慌てて口を噤んで思いを飲み込んだ。


「じゃあ、どうしてあんなに熱心に、あゆちーに将棋教えてるの? 団体戦出るつもりないなら、もう関係ない話じゃんか」

 平静を取り繕った久美は、真っすぐ前を向いたまま質問を紡ぐ。


「見ただろ? センターで高井さんの将棋。まだまだ粗削りだけど、彼女の諦めの悪さは一級品だ。僕は、そう思う。……賭けたくなったんだ。あの将棋を見て、高井さんに。もしこのまま高井さんが強くなったら、豊園高校はどこまで行けるだろうかって。僕はどこまで、見届けられるのだろうかって」

 僕は、嘘偽りない本音を久美に伝える。


「……なんで、むぎくんは外野にいる前提なんだよう」

「単純、だよ。……もう、僕は高井さんほどの強い気持ちを持ち合わせていない」

 その答えに、久美は痛そうに表情を歪める。身体か、心か、どっちかなんてわからないけど。


「……知ってるだろ、久美なら。僕の将棋が周りになんて言われているかなんて」

 捕まらない王様を捌く麦田、大会の進行を遅らせる主催者泣かせの男、悪くなれば悪くなるほど指し手が活き活きするド変態。数をあげればキリがない。つまり。


「『中終盤の粘り』を身上に戦ってきた人間が、『負けたくない』って気持ちを失くしたら、何が残るって話だよ」

 負けたくないという気持ち抜きに、粘りは存在し得ない。気持ちが乗っていない粘りに、相手は恐怖を覚えない。恐怖を覚えなければ、相手はミスしない。

 もう、僕は相手にとって恐怖を与える存在たり得ないんだ。


「ね、粘れなくたって、むぎくんは普通に将棋強いし──」「久美」

 なおも食い下がろうとする幼馴染に、僕は釘を強く打ち込む。


「……戦えない人間は、荷物でしかない。僕みたいな足手まといを背負って、総文祭に出られるほど、札教大札幌は甘くない。だから、だよ。だから、まだ戦える、高井さんを育ててるんだ、僕は。そのほうが、可能性は全然ある。一パーセントでも、高いのなら、僕はそうする」

「──それで仮に総文祭に出られたとしても、わたしは嬉しくないよっ」

 が、打ち込んだ釘に反発した久美が、突如言葉を暴れさせる。


「わたしはっ、むぎくんと総文祭に出たいんであって、ただ総文祭に出たいわけじゃないっ」

「……気持ちは嬉しいけどさ。もう、僕は」


「どうしたらっ、……どうしたら、むぎくんが団体戦に戻ってくれるだろうって、ここ最近ずっと考えてた。あゆちーに将棋教えたら、何かいい気分転換になるかなとか思った。けど、結局むぎくんの意思は変わらないままだし……。もう、わかんないよ、何をすればいいか」

「……切り捨てれば、いいんじゃないかな」

「そんなことできるわけないじゃんかっ!」


 閑静な住宅街に、響く久美の叫び声。咄嗟にブランコから飛び降りたこともあって、カランカランと無人のブランコが不規則に揺れ動く。


「……ほんとに将棋を諦めてたら、モチベーションを失くしてたら、あんな熱心に誰かに将棋を教えられるわけないっ。探しているんだよ、きっかけをっ、むぎくんはっ」

「春来さんの受け売り? 面白いこと言うね久美」


「おっ、面白くなんてっ」

「……わかってるだろ! 粘れないし、受けられない。それに、どうしたって大事な局面で攻められない人間のどこに、価値があるって言うんだよ!」

 ジャラジャラと鳴り響く鎖の音がようやく止み、僕の吐露を久美は真正面から食らう。


「……ち、中学のときのこと、だよね。ねえ、どうしたらむぎくんは、許して──」

「──許す? 何が? 許すも何も、僕はそのことについて一ミリも怒ってない。だって事実じゃんか。僕のせいでチームは負けた。僕が弱いせいで、チームの足を引っ張った。怒るどころか、寧ろ感謝しているくらいだよ。……僕の実力に、気づかせてくれて」


「ちがっ、わたしはそういうことを言いたいんじゃ」

「久美は。……僕と違って、まだ先がある。……だから、僕みたいな奴に構うなって」

「っっっっ、むっ、むぎくんのわからず屋! 意地っ張り! バーカバーカ!」


 そして、気がつけば喧嘩になってしまっていた。そんなつもりは無かったのに。半分涙目を浮かべていた久美は、それだけ言うと走って公園を後にした。


「……馬鹿はどっちだよバーカ」


 ……ったく、久美が余計なこと言うから、思い出さなくていいことまで思い出しちゃったじゃんかよ。もう、記憶の奥底にしまい込んだはずの、出来事だったのに。


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