第12話 そういえば最近

 テストの結果が全部出揃った七月上旬。夏休みまであと二週間ちょっとと差し掛かった時期。もうこの時期になると、普通の道立高校である豊園高校で夏の大会に生き残っている部活は全滅していることが多く、今年もその例に漏れることはなかった。


 他の部活よりもちょっとだけ早く新体制のスタートを切った将棋部は、夏休み直前の日曜日に設定された練習対局会について話をしていた。


「──っていうわけで、再来週の日曜日、市立札幌高で練習対局会が開かれます。高井さんと長谷川君は、どうする? 出る?」

「は、はいっ、出ますっ」

「じゃあ、俺も出ます」

「オッケー、じゃあ豊園からは三人参加ってことで、顧問にはそう伝えておくよ」

「……あ、あの、米野さんは……?」


 ちなみに、この場に久美はいない。理由は単純かつ明快で、

「久美は数学を含む三教科で赤点を獲得したので、補習が確定しました。追試で合格点を取るまで部活には参加できないので、今回の練習対局会への参加権は剥奪されました」

 案の定というかやはりというか、数学ⅡとB、あと物理基礎で赤点を取った。……ほんと、理系科目とことん駄目なのね。


「まあ、仮に赤点回避したとしても、この日は研修会の例会と重なっているから、久美は出られなかっただろうけど」

「そ、そうなんですね……」


「次ある高文連の公式戦の秋季石狩支部大会は、十月に開催される全道大会への予選も兼ねているから。男子個人は予選通過できるのは上位一八名前後。例年四勝二敗がボーダーラインになるから、全道大会狙うならそのつもりで。女子個人は毎年石狩支部の枠が変動するから、なんとも言えないけど、指し分けられたら可能性があるくらいの認識でいいと思う。今度の練習対局会は、秋季大会前最後の高校生と集まって将棋が指せる機会になるから、大事にしていこう」

 そこまで言い切り、僕はひと息ついて席につく。


「……っていう説明を本当は部長である久美がしないといけないはずなのに」

「あ、あははは……お、お疲れ様です」

「……あと、夏休み中、僕の都合がつく日を部活のグループラインに投げたから、その日付なら部活できるから」


 これも、言い出しっぺは久美のはずだけど、いつの間にか僕が音頭を取っている。もっとも、僕が言っていた通り補習になったから夏休み序盤の日程は久美が参加できないのだけど。


「け、結構ほぼ毎日〇ついてますけど、いいんですか、麦田さん……?」

「僕の家、共働きでどっちも家にいないことが多いから。僕のバイトが無い日なら大丈夫なんだよね。ってなわけで、もし来るなら前日夜十時くらいまでにラインください。然るべき準備をして出迎えるから」


「……じゅ、準備とは?」

「お菓子とか飲み物とか」

「な、なるほど」


「まあ、夏休みをどう使うかは自由だから。来るも来ないも各自の判断に任せます。来なかったからって言って大会出さないとかもないし。自分で勉強するから僕の家来ないっていうならそれはそれでアリだし。久美が言ったように、別に部活で将棋をする必要はどこにもないからね。というわけで、僕のお話は終わり。それで、僕は今日将棋教室のバイトがあるので、これで帰ります。というわけで、今日の部活は自由時間です。一年生ふたりの好きなようにしてください。あ、鍵だけ帰るときに顧問に返すの忘れないようにね」


 必要事項を説明しきった僕は、荷物をまとめてそそくさと部室を後にする。残された高井さんと長谷川君は、「この後どうしよっか」と席を近づけて相談し始めていた。

 来年の夏には部の中心は高井さんたちに移っているわけだし、こういう経験も少しずつしてもらうのも悪くないかもしれないな、と。体よく久美が不在の状況に、適当な理由をつけていた。


「ねえ、翔ちゃん。最近の久美の様子って、どう?」

 バイト先に到着し教室の設営をしている途中、ふと春来さんはそんなことを僕に尋ねてきた。


「……最近、ですか?」

「そう。テストで三教科赤点取ったのは、彩夏から聞いたんだけど、久美はどんな感じなのかなーって、ふと気になって」


 盤駒時計をテーブルに配置しながら、僕はここ最近の記憶を掘り起こす。けど、

「……そういえば、最近まともに久美と関わった記憶がない」

 テスト直前の週末から今日まで、久美に将棋を誘われていない。


「ええっ、そんなことってあるの? あの、久美が、翔ちゃんに構われたがらないってこと、あるの……?」

「……冷静に考えておかしいですね。あの久美が。赤点取ったくらいで僕を将棋に誘うのなんて控えるクチじゃないのに」


「……いや、ほら。私って、一応研修会の幹事してるからさ。例会の久美の様子とかも見るんだけど、なんか、しょんぼりした雰囲気で将棋指してて、どうかしたのかなって。もしかして、翔ちゃんと喧嘩でもしたのかなーって」


 ここ数日、喧嘩らしい喧嘩をした記憶はない。……というか、僕らが喧嘩になったとしても、大抵僕が折れる形になるから、久美が落ち込むなんてことになることはまずない。言っていて悲しくなるけど。


「いえ、特にそういったことは、ないですけど」

「そっか……てっきり翔ちゃん絡みだと思ったんだけどなー、違うのか……。じゃあ、単純に体調悪かったとかなのかなあ。でも、なんとかは風邪引かないとか言うし」

 ナチュラルにひどい暴言を春来さんが吐いている気がするけど、ここでは敢えて突っ込まないでおく。だって事実だから。


「……まあ、わかったよ。ちょっと様子見てみる。久美のことだし、次の例会になったケロっとしてるかもしれないし」

「そ、そんなに前回酷かったんですか?」

「うん。酷かった。久美があんな将棋指すの見たことない」

「ぐ、具体的に言うと」


「それなりに簡単な九手の即詰みを逃した」

「……あり得ない。久美が即詰みを逃すなんて、そんなはずが」

 だって、授業中に自作のスクラップノートで詰将棋を解くような馬鹿なのに。そんな久美が九手詰めなんて見逃すわけがない。そりゃあ、春来さんが心配するのも頷ける。


「だよね、翔ちゃんもそう思うよね。……やっぱり何かあったんだろうなあ、ほんと、体調悪かったとかならいいんだけど。メンタル的な問題だと長引きそうだしなあ……って、いけないいけない、もうこんな時間。そろそろ子供たち来ちゃうっ。翔ちゃん、準備はどう?」

「もう終わってますよ。いつでもいけます」


 春来さんと話しているうちに、駒まで並べ終えていた。いつ、子供たちが来ても大丈夫だ。

「さ、さすが翔ちゃん。助かるー」

 なんて話をしていると、噂をすればなんとやらか、カランカランという喫茶店のドアが開く音が聞こえる。


「はーい、こんにちは……って、翔ちゃんのお弟子さんじゃない。それに、お友達も?」

 春来さんのリアクションで振り返った僕は、ノンアポの来訪者に目を丸くさせる。


「……うん、どうするか自由って僕言ったもんね。……いらっしゃいませ」

 春来さんに千円札を二枚渡していたのは、ついさっき学校で別れたはずの、高井さんと。

「……お、お疲れ様っす」

 そんな高井さんについてきたのだろうか、長谷川君の姿もあった。


「翔ちゃん。グッジョブ」

 春来さんにしてみれば、お客さんをふたり連れてきたわけだから、そりゃ親指を立ててグーサインのひとつも出したくなるだろう。


「……べ、別に僕が連れてきたわけじゃないですけどね」

「教室の手伝いもして評判のいい講師として口コミに貢献してくれるだけでなく、あろうことか高校の後輩まで連れてきてくれる。こんな我が家に尽くしてくれるいい子を、あんな、あんな将棋馬鹿に渡さないといけないなら……。翔ちゃん、やっぱり彩夏貰ってくれない?」

「お姉ちゃーん、聞こえてるからねー。私も麦田くんのこと嫌いじゃないけど恋愛感情を持つかって言われたらそれはまた別だからさー」


 困惑する僕をよそに、喫茶スペースと居住スペースの間で姉妹の掛け合いを挟むと、春来さんはちょっとだけ困ったふうに表情を崩してみせては、

「……じゃあ、私にしとく? 六つ年離れてるけど」

 とんでもないことをしれっと言い放つ。


「え」「……え?」

 そして、そんな春来さんの爆弾発言に呆けた声をあげる高井さん。と、僕。

 高井さんは、何もなかったようにこほんと軽く咳払いをしてから、僕の目の前に座り、

「ろ、六枚落ちで、お願いします」

 ペコリと頭を下げる。……ま、まあ、本人がスルーするならそれはそれでいいんだけど。


「お姉ちゃーん、いい年して男子高校生に手を出さないのー。みんな反応に困ってるでしょー」

「嫌だなー、冗談だよ冗談。私が三〇になっても結婚できなかったら、翔ちゃんに貰ってもらおうかなー、なんて」


「……お姉ちゃん、それはそれで笑えない」

「……あ、あの。本間先生、一局、ご指導いただいてもよろしいでしょうか?」

 春来さんの冗談にどうすればいいか困っていた長谷川君も、なんとかそう切り出すことができた。……なんていうか、初見さんなのに、扱い雑にしてごめん、長谷川君。


「ああっ、そうだよね、そうだよね。ごめんごめん、よーし、じゃあ手合いはどうしよっか──」

 この瞬間だけ切り取ってしまえば、ほぼ部活みたいなものだ。春来さんを除けばみんな豊園高校将棋部の部員だし、春来さんもOG。慣れ親しんだ空間、いつものメンバー、のはずなのに。


 さっきの春来さんの話も重なり、違和感だけが僕の頭のなかでじわりじわりと大きくなっているように思えてならなかった。

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