第11話 僕とは住む世界が違うから
期末テストに支障が出るといけないので、夜のオンラインでの高井さんへの指導はテストが終わるまで取りやめることにした。なので、多少なりとも時間ができるようになったのだけど。
「……ううううう、なんでむぎくんの家来たのに、勉強しないといけないんだよう……」
今日も今日とて、ベランダから部屋に押し入って将棋を指そうとした久美を捕まえた僕は、駒ではなくシャーペンを持たせ、久美にテスト勉強をさせていた。
「久美は僕の部屋をなんだと思っているんだよ……」
ここは道場でもなければサロンでもないのだから。
「……っていうか、今日久美捕まえといて正解だったよ。授業のノート真っ新じゃんか。え、まじで授業中何してるの久美」
さて、そんな僕の部屋を、将棋を指す何かと思っている久美に、ノートを持ってこさせたところ、驚きの白さを誇っていた。……洗剤のキャッチコピーじゃないんだからさ。
「ふぇ? 詰将棋解いてるけど」
悪びれもなく答える久美。持ってこさせたノートのなかに、妙に使い込まれているものがあったので恐る恐る覗いてみると、
「……狂ってやがる」
外見は至って普通の大学ノートだけど、中身は詰将棋の図面用紙がぎっしりとスクラップノートのごとく貼りつけられていた。なるほど、これでは内職しているようには見えないわけだ。
「とりあえず、このノートはテストが終わるまで没収」
パタン、と音を立てて詰将棋ノートを閉じた僕は、久美に返すことはせず、自分の勉強机の引き出しのなかにしまった。
「ああっ、わたしのノート……」
「……ったく、天才なのか馬鹿なのか、やっぱり紙一重って言うもんな……はい、手止めない」
「うう、むぎくんの鬼、悪魔……」
「はいはい、鬼でも悪魔でも結構結構」
この惨状を見ると、割と本気で留年の心配をしないといけない気がしてきた。春来さんには冗談っぽく言ったけど。さて、僕も僕とてテスト勉強はしないといけないので、久美から目を離して問題集に視線を移す、と。
「……久美、見えてるからね」
その隙をついて、久美がそーっと勉強机の上に置いてある駒に手を伸ばすのが目の端に映る。
「……ひっ」
また何分か問題集をカリカリと解いていると、スーッと音を立てずに久美の指が伸びる。
「久美」「……ひっ」
またまた間を置いて。
「久美」「……うううう」
犬かよ。お預けをくらう犬かよ。しかし、これではこのいたちごっこで時間を無駄に消費してしまい、久美の勉強が進まないことになる。ここは仕方ないけど、飴をぶら下げることにしよう。
「はぁ。じゃあ、数学の問題集のここからここ、八割正解できたら一局指してあげるよ」
僕は問題集のページを開いて久美の交換条件を提示する。だいぶ譲歩したと思うのだけど、
「……ろ、六割、じゃ駄目?」
往生際が悪いのか、久美はボーダーラインを値切りにかかった。
「八割」「……ろ、六割五分」
「八割」「……な、七割」
「八割」「…………。な、七割五分」
「いいんだよ? この交換条件、無かったことにしても。主導権は僕が握っているということを忘れないでもらいたいね」
が、鋼の意思で僕はそれを跳ねのける。ようやく久美もここまで来て諦めたのか、しぶしぶといった様子ではあるものの、黙って数学の問題集を解き始めた。……いや、全然自力では解けないから教科書とにらめっこしたり僕に教えてもらおうとしてきたけど。
……僕が指定した部分、余裕で基本の問題ばかりのところにしたはずなんだけどなあ。
結局久美が八割ちゃんと正解するのに四時間かかった。間違えたところの解きかたを一から教えて類似した問題に差し替えてまた解かせ、それでも八割行かなくてまた教えての繰り返し。
深夜の二時を回って、ようやくテスト勉強もひと段落すると、
「……ううう、わたしの先手っ!」
親の仇でも討つような目で僕を一瞥した久美は、飛びつくように将棋盤の前に座ると、角道を通す歩を突いた。
「……え、今からやるの? も、もう二時過ぎてるけど」
「だってむぎくん言ったもんっ。わたしが問題解いたら一局指すって言ったもんっ」
「……おいおいマジかよ」
「あんなにお預けさせといて、約束破るなんてひどいよっ。わたしもう我慢できない」
「……さ、さすがに今はもう勘弁してよ、明日。明日でいいでしょ? ね、眠いんだよ……」
今にも落ちてしまいそうな瞼をこすりながら、僕はベッドに入ろうとする。
「だーーーめっ! 将棋やーるーのおおお」
ただ、ベッドに倒れ込む寸前に久美に後ろから抱きつかれてしまい、強引に将棋盤のもとへと座らされる。
「うわっっ」
その際、背中になんとも形容しがたい柔らかな感触が走った。……もしかしなくても、当たったのは久美の胸だ。間違いない。
「……ううううううううう」
こんなに年不相応な精神年齢をしている癖に、育つところは育っているからか、否応にも久美の女の部分を感じてしまい、眠気が一気に覚醒してしまう。
悲しい、なんだか色々なものに負けた気がして僕は悲しい。悲しいけど、目が覚めてしまったものはどうしようもないので、
「はぁ……わかったよ、わかった。だからもう駄々こねるなって……」
結局、僕は夜通し久美の相手をさせられることになってしまった。
という調子でテスト前の時間を過ごした僕。それでもある程度の自信を持って最後の土日を迎えられたのは、日頃から真面目に授業を受けているという事実からだろうか。
土曜日、僕はひとり自室でテスト前の追い込みをかけていた。英語の長文の日本語訳の確認だったり、日本史の範囲内の用語の暗記だったり、数学の問題演習だったり。
そんなことをしているうちに、午前から午後の三時くらいまではあっという間に時間が経っていった。
「……さて、次は現代文の勉強でもしようかな」
数学の勉強が終わり、小休憩とばかりに勉強机の前でググっと身体を伸ばすと、ふと机の上に置いてあったスマホがピロリンとメッセージの受信を知らせた。
高井 歩夢:あ、あの、今お時間平気ですか?
高井 歩夢:ここ最近ずっと、テスト勉強ばっかりして、煮詰まってしまって
高井 歩夢:気分転換に、一局教えて頂けたらなあ、と(>_<)
通知に並んだ高井さんのメッセージを見て、少し思考に耽る僕。
なるほど確かに僕も朝から勉強し続けて、多少息抜きをしたくなってきた頃合いでもある。
これが久美からのラインだったら問答無用で「勉強しろ」と突っぱねるのだけど、高井さんに関してはテストの心配はしなくてもいいだろうから、そうまでする理由もない。彼女としても将棋をするのにあまりブランクが空いてもしまうのも不安に感じてしまうかもしれないし。
「……ちょっとくらいならいっか」
むぎた:一時間ならいいよ
むぎた:また前と同じ、ネットのフリー対局でいい?
高井 歩夢:ありがとうございます!
高井 歩夢:今アプリ入りますっ
そうして、テスト勉強も合間に、僕と高井さんは将棋を指すことにした。ラインの通話も繋いだところで、対局を始める。
「テスト勉強はどう? 捗ってる?」
「はい。それなりに……。高校の定期テストは初めてなので、まだ勝手がわかっていないですけど」
「まあ、部としては赤点さえ取らなければなんでもいいんだけどね。赤点取ると、追試と補習がセットでついてきて、それをクリアするまで部活は参加停止。結構キツイから」
「へ、へえ……そうなんですね」
「あと、そもそも進級も怪しくなるわけだしね。それなりの結果は求められるってわけ」
「よ、米野さんは、大丈夫そうなんですか?」
「んー、やばいんじゃないかな、今回も」
「……い、いいんですか、麦田さん的には」
テスト期間でしばらく教えていないとは言え、高井さんの棋力の成長を感じる。最後に指したときより、断然六枚落ちでいい勝負になっている。
「まあ、良くはないけど、言ったところでどうにもならないから。久美を監禁してでも勉強させてもいいって言うなら、そうするんだけどね」
「か、監禁……」
「ああ、冗談冗談。監禁なんてするわけないって」
「……む、麦田さんが言うと冗談に聞こえないです……」
「…………。あ、あと、久美も今週は研修会の例会だし? 人生賭けてるものだから、僕も過干渉はしたくないっていうか」
高井さんが僕をそんなふうに思っていたことに軽くショックを受けながら、僕はなんとか言葉を絞り出す。
「け、研修会、ですか……?」
「……ああ、高井さんたちには言ってなかったっけ。久美、北海道研修会っていうところに所属しててね。そこで女流棋士を目指してるんだ」
「……え? って、ことは、米野さん、プロになるんですか?」
「なれるかどうかは最後までわからないよ。……わからないけど、あと少しのところまでは来ているってことは、今僕が言えることかな」
「そ、そんな凄い人だったんですね、米野さん……」
「うん。僕とは比べものにならないくらい、久美は凄いんだよ」
「えっ、あっ、いやっ。む、麦田さんだって、私からすれば全然っ」
「……いいよ、気遣わなくて。久美だって、僕みたいな暗所に住んでいる奴を相手するより、もっと上を目指せるんだからさ。……別に、団体戦にこだわらなくたって──」
瞬間、ベランダのほうからガタン、という音がした気がして、咄嗟に僕は後ろを振り返った。
「……気のせい?」
けど、そこには誰の姿もなく、いやそれが当然なのだけど、妙な違和感が迸ることになった。
「ど、どうかしましたか……?」
「ううん、なんでもない」
きっちり一時間、僕は高井さんに将棋を教えたのち、通話を終了。テスト勉強に移った。さすがに久美もテスト前だからか、僕を将棋に誘うことは、この週末に関してはなかった。
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