第3話 数合わせなんかじゃなくて

「すみません、いつも甘えさせてもらって」


 シフトの時間が終わり、僕はそのまま「にゅうぎょく」で晩ご飯を食べていく。一応、まかないということになっている。春来さん曰く「これも福利厚生の一環ということで、食べてきなよー」とのこと。店主の春来さんのお父さんが用意してくださった、看板メニューのカレーライスを僕はパクパクと食べ進める。両親が共働きということで、家に帰っても晩ご飯がないことが多い僕の家。なのでこうしてバイトがある日は「にゅうぎょく」にお世話になっているというわけ。


「いいのいいの。将棋教室開くようになってから、喫茶のほうの売り上げも良くなってきてるから。つまり、我が家の家計を翔ちゃんは支えてくれてるってわけだよ」

「……また変な言い方を」

 この姉妹は真面目な顔で急所に冗談を差し込むから油断できない。


「彩夏をお嫁に貰ってくれてもいいんだよー、翔ちゃん」

「お姉ちゃーん、聞こえてくるからねー」

 実家の一部を用いて喫茶店を経営しているからか、居住スペースにも僕らの会話は聞こえているらしく、家にいる彩夏さんから突っ込みが入る。


「……ははは、一度持ち帰って検討させてください」

 苦笑いを浮かべながら、僕は一度コップに注がれた水を口に含む。


「しかし、翔ちゃんに弟子をつけさせるとは、久美と彩夏も思い切ったことするね」

「……まあ、団体戦で本気で勝利を狙うなら、チームメンバーの平均棋力の底上げは必須ですからね。今、メンバーで白星を計算できるのは久美ひとりしかいませんから」

 僕の他人事な分析に、渋い顔を作りながらも春来さんは何も言わずに洗い終えたグラスをふきんで拭いていく。


「……総文祭に行くためなら、高井さんの成長は必要条件ですよ」

「次の夏までに戦力にできるの? チラッと将棋見たけどほぼ始めたての初心者じゃないの?」


「……高井さん本人が望むなら、戦力にしてみますよ。それが、僕にできることなら、できることをするまでです」

「翔ちゃんがチームに残って貢献するって選択肢は無いの?」


「無いですよ。無いです。……春来さんだって、知ってるじゃないですか。……僕が、団体戦に苦手意識を持っていること」

「……そうだね。そう、だよね」

 なんてことを話していると、カランコロンと心地よいメロディが入口から店内に響き渡る。


「はい、いらっしゃいませー……って、久美じゃない」

「春ねえ、いつものください」

 夜もそこそこの時間にお店にやって来たのは、これまた制服姿の久美だった。努めて落ち着いた声音でカウンターに立つ春来さんに注文する。


「はいはい、いつものね。ちょっと待ってて」

 春来さんはすると、冷蔵庫からオレンジジュースとリンゴジュースの紙パックを取り出しては、ちょうど拭き終わったグラスに一対一の割合になるようきっちりブレンドする。


「……出たな、久美ブレンド」

「はい、いつもの」

「ありがとう、春ねえ」

「……案の定、八手も得する前に捕まったよ」

 残っていたカレーを一気に平らげては、グラスに残っていた水も飲み干す。そんなタイミングに合わせてか、


「はい翔ちゃん。食後のアイスコーヒー」

「……すみません、ありがとうございます」

 僕がいつも「にゅうぎょく」で飲むアイスコーヒーを出してくださった。


 アイスコーヒーと、久美ブレンドをそれぞれ片手に、カウンター席に並んで座る僕と久美。普段なら軽口のひとつでも叩き終わっている頃合いだろうけど、それもない。


「……夏ねえから聞いた?」

「高井さんのことだったら、聞いた」

「そっか。あゆちーのこと、よろしくね」

「……できることはするよ」

 探り探り、久美は僕にかける言葉を迷いながら、カラカラとグラスに浮かぶ氷を揺らす。


「えっと……その」

 スイスイと瞬発力高くいい手が直感で指せる将棋が特徴の久美も、盤外に出てしまえばその長所もなりを潜める。


「だっ、団体戦のこと、まだ認めたわけじゃないからっ。わたしっ」

「大丈夫。高井さんはしっかり戦力にして夏を迎えるから。札教大札幌ときっと勝負にはなる」

「そ、そういうことが言いたいんじゃなくてっ」

 カン、とグラスがテーブルを叩く甲高い音がお店に響く。久美もちょっと熱くなったことを認めたみたいで、恥ずかしそうに首をすくめてみせる。


「……むぎくんは、わたしとの約束、どうでもよくなっちゃったの?」

 いじらしく、ちょっとだけ湿気を帯びた久美の声は、自信なさげに僕の耳朶を撫でていく。


「どうでもよくなったから、もう団体戦辞めるなんて言うの……?」

「……どうでもよくなんてないから、辞めるんだよ。団体戦を」

 アイスコーヒーを一気に飲み干しては、僕はカバンを肩にかけて立ち上がる。


「まっ、むぎくん、まだ話はっ」

「……もう、背負えないよ。僕の指し手に、チームの勝敗なんて重荷、もう背負えない。、久美だって。……だから、辞めるんだよ」

 駄々をこねる子供に言い聞かせるように、僕は久美に説き伏せる。


「春来さん、ごちそうさまでした。また今度のシフトもよろしくお願いします」

 カウンターに残って、ネット中継されているプロ棋戦を見ていた春来さんにひとこと挨拶だけ残して、僕はお店を後にした。今回も、久美が追いすがることは無かった。


 翌日。帰りのホームルームが終わって、将棋部の部室に向かうと、すでに鍵は解錠されていて、ひとり真面目な面持ちで駒を並べている高井さんの姿がそこにあった。


「お疲れ様、早いね、高井さん」

「おっ、お疲れ様ですっ……。きょ、教室すぐ隣なのでっ」

「そっか。久美は掃除当番プラス数学の小テストで補習になったから遅れるって」

「……洸汰くんは、今日は予備校行く日みたいで」

「おっけ。なら僕らだけか。都合はいい」

 高井さんの正面に座った僕は、一枚のプリントを机の上に置く。


「高井さんに将棋を教える、とは言ったけどさ。どこまで教えればいいのかまだふわっとしているから、そこらへんちゃんと擦り合わせたいなって」


 初段になりたいのか、それとも初心者の域を越えたいだけなのか。はたまた総文祭に出られるくらいになりたいのか、プロになりたいのか。もっとも、最後に関してはお願いする相手を間違えているとも思うけど。そういったところの認識を揃えないと、高井さんは初心者卒業したいだけなのに、僕は勘違いしてガチで教えてすれ違うなんて悲劇も起きてしまう。


「……え、えっと。その。団体戦に出て、足を引っ張らないくらいにまでは、なりたい、です」

 答えを待っていると、カチャリと眼鏡を直した高井さんは、恐る恐る僕にそう漏らした。


「おっけー。じゃあ、その目標を一旦具体的なものに変えてわかりやすくしよう。今、高井さんの目の前に置いたプリント、何かわかる?」

「こ、今年の全道大会の混合団体の、メンバー表と、予選リーグ表……ですか?」


「正解。……足を引っ張らない、っていうのをどのくらいの程度で高井さんが考えているかはわからないけど、とりあえず指し分けくらいできるレベルってことでいいかな」

 勝率五割をキープできる団体戦の三番手なら、まあ足手まといとは言えないだろう。


「は、はい」

「……と、なると。今年の混合団体の予選四回戦で指し分け以上を記録した選手に印をつけていくと、大体の傾向が見えるわけだね」

 そう言って、僕は蛍光ペンで該当の名前に印を書き加えていく。


「……これで、全員かな。全勝は、札教大札幌の藤ヶ谷をはじめ何人かいるけど、正直ここらへんのレベルはまだ無視していい。一敗勢も、まだいいや。問題の二勝二敗勢だけど……」

 ゴクリと生唾を飲み込んで言葉の続きを待つ高井さん。


「僕の意見になるけど、強くて二段あるかないか。弱くて3~5級ってくらい」

 今の高井さんは、どう見積もっても15級とか、そういうぶっ飛んだ級位だろう。そこから5級に伸びるのも簡単な話ではない。……さらに。


「……厳しいことを言うと、総文祭を本気で目指している久美のいる豊園高校で『足を引っ張らない』を目標にするなら、どうしたってその先の決勝トーナメントも考えないといけない。当然、トーナメントだとレベルは格段に上昇する。ぶっちゃけ、級位者だとほぼ確実に『足を引っ張る』ことになる。……つまり、少なからず初段の力は欲しい、と僕は考える」

 続けて告げた僕の意見に、高井さんは耳を痛そうに顔をしかめる。


「……それが、どのくらいの棋力なのかと言うと」

 僕は、昨日の八枚落ちの初期配置から、銀・桂・香・飛の七枚の駒を足して、それでも落とされたままの角を駒箱にしまった。


「僕相手に、角落ちで勝てるようになる強さ」

 今の僕は、大体四段くらい。高井さんが目指す初段とは、みっつ段位が離れている。


 一般的に、段位差ひとつなら平手で先手を渡すハンデ、ふたつなら左の香車を落とす「香落ち」、そしてみっつなら「角落ち」が適切だとされている。他にも考えかたはあるけどひとまず。


「昨日、八枚で負けたところから、ここまで駒を増やしても僕に勝てるようになれば、きっと団体戦で極端に足を引っ張るなんてことはなくなる。……どう? 高井さん」

 目の当たりにした現実に、高井さんは椅子に座ったまま身じろぎしてしまう。


「一年で初段まで強くなるのは、正直言って簡単じゃない。目標を下方修正したいなら、僕はそれでもいいと思う」

「……いえ。目標は変えません」

 あまりにも高すぎる壁を前に、僕はそんな逃げの一手を提案しかけた。でも、高井さんははっきりした口調で、僕に決意を示した。


「……もう、今年の夏みたいな思いはしたくないんです。私には、居場所はここしかないから。だから、仲間に必要とされるメンバーに、なりたいんです。数合わせなんかじゃなくて」

「……そっか。高井さんがそこまで言うなら、わかったよ。僕も、そのつもりで将棋を教える」


 広げていたプリントをカバンにしまい、再び目の前に並んでいる自分の駒を駒箱にしまっていき、王様と金だけにする。

「それじゃ、とりあえず一局指そっか」


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