第2話 先輩のお仕事

 対局自体は、下手したて(駒を落とされた側のこと)の高井さんが早々と自分の角を敵陣に侵入させて馬を作ったものの、攻撃の援軍をなかなか送り込めずにじりじりと僕の王様と金に中段の制空権を握られる展開となった。


 八枚落ちの攻略は、下手が最初に角を馬に成りかえてから、最強の攻め駒である飛車を続けて敵陣に侵入させられるかどうかが鍵になる。竜と馬の二枚を作られてしまえば、戦力になる仲間がたった金の二枚しかいない上手うわて(駒を落とした側のこと)の王様は、四方八方に睨みを利かされて逃げ場に困ることになる。そうなったらほぼ下手の勝ちみたいなものなのだけど、なかなか上手くいかず、角がいなくなったスペースに高井さんはと金を作られてしまった。


「あっ、……やっちゃった……」

 自陣にマムシのようにいやらしいと金を作られたことで、高井さんにかかる重圧はとてつもないことになる。上手にとって、一番欲しいのは歩を成りこませて作ると金だ。そうすれば、金一枚、戦力を増やすことができるし、一番価値の低い駒で相手の価値の高い駒と交換することもできる。これをやられると下手はとても苦しくなる。


「ううう……どうしよう、これじゃあ飛車も銀も取られちゃう……」

 一枚、また一枚とと金を重ねられ、ボロボロと駒を取られてしまう高井さん。もう、上手の必勝パターンに入った。上手の王様は金に守られていて安全。と金を使って駒得を重ねていく。


 棋力差があるから、駒を落としてハンデをつけている。なのに、下手が上手に無条件でボロボロと駒を取られてしまえば、決着がつくのは一瞬だ。


 高井さんの玉は逃げる間もなく僕の駒に包囲されてしまい、頭に金を打ち込まれたのを見て、

「……ま、負けました」

 萎れた声で高井さんはそう声にした。


「はい、ありがとうございました」

 さて、これが大会だったり普通の道場で指す将棋なら終わりでいいのだけど、あくまで指導対局なので、ある意味ここから本番みたいなところがある。


 どうやって、大差がついてしまった将棋を次以降、縮められるか。

 駒を取られないように。と金を作られないように。あるいは、飛車を敵陣に成りこませられるように。そうやって課題を箇条書きにしてクリアしていけば、自然と同じ手合いでやったら勝てるようになるものだ。それが、強くなるということ。そのヒントだったり道筋を教えるのが、今僕が任されている仕事。


「よし、最初から並べなおしてみよっか。角を馬にできたところまでは良かったけどね──」

 敵味方入り乱れた八一マスの上を整理して、初形に戻したのち、今しがたの一局の棋譜を最初からリプレイとして再現しはじめる。


「飛車を成るのに苦労しちゃったね。そこで時間かかっているうちに、僕の王様と金と歩で押さえ込まれちゃって失敗したんだけど」

 僕は盤上をちょうど高井さんが馬を作って、さあこれから飛車を成りこませに行こうとする局面まで戻す。


「竜を作ろうとする方針は大正解。間違ってないよ。ただ、飛車一枚で動きまわっても、上手は金で飛車の狙うところを守っているから、効果が無かったんだ」

「は、はい……なんか、手番を意味なくパスし続けているような気がしてて……」

「うんうん。そうなったら、どうすればいいかって言うと。一枚で無理なら、二枚で攻めればいいじゃない、っていう考えかた」


 僕がそう言うと、ちょんと高井さんの自陣深くに眠っていた銀を突いて起こしてあげる。


「攻めの基本は飛車角銀桂って言うくらいだからね。角はもう馬にしているからここでは考えないとして、残った飛車・銀と、余裕があれば桂なんかも使えるとあっという間に飛車を竜にできたね。例えば──」


 そして、起こしてあげた銀をサイドを駆け上がらせ敵陣に踏み込ませると、あっという間に金一枚で守っていたスペースは崩壊。盤上から上手の守り駒である金は消えた上に、最強の駒と言っても過言じゃない竜が誕生。これは理想論だけど、こうなってしまえば上手に勝ち目はない。


「ね? 一枚で守っているところには、二枚で攻め込めば基本的に突破できるんだ」

「な、なるほど……!」

「これが、数の攻めってやつ。最も基本的な攻撃の形と思ってもらっていいよ。ただ、注意しないといけないのは、数の攻めは攻め駒と守り駒を交換する攻めになるから、いくら数で勝っているからと言って」


 補足説明をするために、便宜的に盤上をあれこれと動かし、香一枚で守っている部分に飛車と角で攻めるシチュエーションを作って見せる。


「こんなときに攻め込んで竜を作れたとしても、相手に角っていう大駒を渡しちゃうから、一概に成功と言えないパターンもあるんだ。無論、強くなればこういう攻めが有効って読み切れる場合もあるけど、最初のうちは『駒損をする数の攻め』は避ける、って覚えておいていいと思うよ」

「わっ、わかりましたっ」


 それからもいくつかのポイントを丁寧に高井さんに話していくと、気づけば時間は夕方六時過ぎ。教室がお開きとなる時間だった。


「やべっ、教えるのに夢中になって時間のこと全く気にしてなかった」

「いっ、いえっ、全然。ものすごくためになりましたっ」

 一度辺りを見回してみると、子供たちはみんな帰っていて、代わりにこれまた見覚えのある制服を着た女子生徒がニヤニヤした顔を浮かべながら、


「さすが教室人気ナンバーワン講師の指導は伊達じゃないね。こんな丁寧に理論立ててわかりやすく説明できるのはさすが麦田くんだよ」

 彩夏さんがひょこりと僕と高井さんの間に割って入る。特徴的なショートカットの癖毛が視界の端に踊り出した。


「……もしかしなくても今日教室に高井さんが来たのは彩夏さんの差し金ですよね」

「差し金なんて人聞きが悪いー。偶然だよ偶然」

「いや、指名が入っている時点で確信犯ですよね」

「ああもう、うだうだ言わない。はいはい、私と久美ちゃんの差し金だよーだ」


 やはりか、やはりふたりが一枚噛んでいたのか。


「それで? どういうおつもりですか? 何の考えなしに僕のところに来させたりしませんよね、高井さんを」

「だってー、あまりにも麦田くんが有無を言わさない態度で団体戦辞めるなんて言うから、歩夢ちゃんすっかり責任感じちゃって。だから麦田くんに責任取ってもらおうと思って」

 ちょ、責任て。そんな言い回ししたら別の意味がっ──


「あれー? 翔ちゃん後輩の女の子に手出したのー? ひゅー、修羅場だ修羅場だー」

「手なんか出してないですって僕にそんなことできるわけないでしょう」

「幼稚園から煮え切らない幼馴染飼いならしている翔ちゃんが言うと説得力が違うよねえ」


 ねえなんで。なんで否定できたのに僕にだけダメージ入ってるの? おかしくないですか? 


「……お姉ちゃんの冗談はさて置いて」

 さて置かれたよ。僕のヒットポイント返して欲しいです。


「いや、変な物言いした彩夏さんのせいみたいなところはありますからね今の冗談」

「……久美ちゃんと私と、長谷川くんで話して決めた」

 さて置かれた後、至って真面目な表情をしたまま、彩夏さんは僕にそっと言葉を託す。


「麦田くん、歩夢ちゃんに、将棋を教えてあげてくれない?」

「……僕が、ですか?」

「そう。ゴール地点はふたりに任せる。今のままだと歩夢ちゃん、麦田くんのこと怖がっていい影響でないだろうし。麦田くんに将棋教えてもらって、棋力も向上して、人となりもわかってもらえたら一石三鳥でしょ?」


「……僕は別に、どっちでもいいですけど。高井さんが強くなったとしても、団体戦に出るつもりはないのは変わらないですし」

「麦田くんのことは、また別問題だし。そこまでは今は言わない。じゃあ、契約成立。今から麦田くんと歩夢ちゃんは師匠と弟子っていうことで」

 そこまで言われ、改めて僕は目の前に座っている後輩の女の子を見る。


「……そういうわけらしいから、これからよろしくね、高井さん」

「は、はいっ。よ、よろしくお願いします」

 そうして、なし崩しではあるけど、僕と高井さんの師弟関係は始まりを告げた。


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