第1章

第1話 決意表明

 全道大会が終わり、混合団体は札教大札幌が六年連続の優勝を果たし、夏休み中に開催される総文祭への出場権を獲得した。他校を全く寄せつけない圧倒的なチーム力は、北海道内では敵なしだろう。さらに恐ろしいことを言うなら、現メンバーに三年生は含まれていない。


 つまり、来年もこのチームが北海道に君臨するということ。それだけで、他校を絶望の渦へと誘うことだろう。


 全道大会が終わると、すぐに高校竜王戦の北海道予選が入る。こっちの大会は、二日間かけて行われる総文祭予選と比べると、一日開催の上に個人戦しか種目がないため、大会としての規模がこじんまりとなりがちだ。模試の日程と被る高校もあるからか、参加しない三年生も多いため、盛り上がりはさほど大きくない。全国大会の枠もひとつしかないしね。


 そんな高校竜王戦北海道予選も終わり、ひとまず夏の高校棋戦がひと段落した初夏のある日の放課後。将棋部部員全員が揃った部室で、僕は先日固めた決意を表明していた。


「僕、来年の団体戦にはもう出ないことにするよ」

 刹那、それぞれが思い思いのことをしていた部室の空気が止まり、かと思えば、


「む、麦田さんが団体辞めるのって、もしかしなくても私が弱すぎるからじゃ……」

 対局後に泣きじゃくり彩夏さんに慰められ、竜王戦予選でも六連敗を喫して入部してからの公式戦一六戦全敗となった高井さんはガクガクと震えながらそんな弱気なことを口にするし、


「……む、無理っす、麦田先輩の代わりにメンバー入りとか、俺には荷が重すぎます」

 総文祭予選では男子個人で出場も、決勝トーナメントには残れなかった一年生の長谷川洸汰こうたも顔色を青くさせる。しまいには、


「えっ、え? 団体戦、出ない、って? むっ、むぎくんっ、どどどっ、どういうことっ?」

 幼稚園のときから一緒に将棋をやってきた腐れ縁オブ腐れ縁の幼馴染、札幌豊園高校のエースの米野久美よねのくみが、もう教科書通りに狼狽してみせる。


 そんな三者三様のリアクションをしてみせるなか、部長引継で来ていた三年生の彩夏さんだけが何も言わずに状況を見守っている。


「……どうもこうも、言葉の意味通りだよ。もう、団体戦には出ないから、構想から外して欲しいってこと。それだけだよ」

「や、やっぱり大会当日に熱出してオーダーに穴開けるような女とは組めないってことかな?」

「……別にそういうことじゃないんだけど」


 僕が団体戦を辞めると言い出したことを受け入れられないのか、久美は薄茶色のショートヘアから覗くまんまるの瞳をあわあわとさせながら見当違いな理由を並び立てる。


「だ、だって、軽い調整くらいのつもりで詰将棋の早解きトライアル100問やってたら、気がついたら空が白み始めてたんだもん」

「しかもお母さんから聞いたけど、風呂から上がってろくに髪乾かさないでそのまま夜更かししたんだって? そりゃ熱も出すって」

「……だって、ドライヤーしてると片手塞がって詰将棋の本のページめくれないから」


 と、このやり取りだけでもわかるとは思うけど、この幼馴染、確実に人間としてのネジが何本かぶっ飛んでいる。まあ、今に始まったことではないのだけど。


「とにかく。久美がどうこうって話じゃないんだ。もちろん、高井さんの棋力の問題でもない」

 横道に逸れた話題を強引に僕は戻すと、流れ弾を喰らった三つ編みヘアーの高井さんは、縁が細い丸眼鏡を俯かせてしまう。どうしたって自分に責任があるという意識は拭えないのだろう。


「ただ……僕自身が、もう団体戦をやりたくないって、だけだよ」

 でも、何度も言うように他人どうこうの話じゃない。これは、僕の問題なのだから。


「じゃあっ。一緒に総文祭行こうって約束は? むぎくん団体戦辞めたら、どうなっちゃうの?」

 再度、僕に詰め寄る久美。長年一緒に将棋をやってきた僕の突然の裏切りに理解が追いついていないようだ。

「……無理だよ。僕に、その約束を叶える力があるなんて、思えない」

 力ない僕の答えを聞いてハッと息を呑んだ久美。


「僕はもう、降りるよ。部活自体は続けるし、個人戦は参加する。でも、そういうことだから」

「あっ、む、むぎくんっ」

「……これから将棋教室のバイトあるから、今日はもう帰るよ。それじゃ」

 荷物をまとめて、そそくさと部室を後にする僕。


「ちょっ、まっ、まだ話は終わってないってむぎくんっ、むぎくん、むぎくんってばー!」

 閉めた部室のドア越し、放課後の廊下にそんな久美の呼び止める叫び声が空しく響き渡ったけど、僕の足は止まらなかった。


 まだ六月だというのに、札幌でも陽射しの強さは勢いを増していて、駐輪場まで向かう道すがら、額に汗を浮かぶのを感じながら僕は自転車の鍵を意味なくぐるぐると回していた。


「それで? 久美との話もそこそこに早逃げしてきたってわけだ、翔ちゃんは」

「別に逃げたつもりはありませんけど」


 やって来たバイト先は、学校から自転車で十分程度の距離にある個人経営の喫茶店「にゅうぎょく」の一角。パーテーションで区切られた区画のなか、アンティーク調で統一されたテーブルに将棋盤と駒、さらに対局時計もセットしていく僕。


「さっすが、『捕まらない王様を捌く』と言われるだけあるね翔ちゃん。玉の早逃げ八手の得とも言うし、翔ちゃんとしては久美に構うより逃げたほうがお得と判断したわけだ」

「……どうせ八手も稼ぐ前に追いつきますよ、久美のことだから」


「まあねえ、久美、翔ちゃんのこと大好きだからねえ」

「……好きのベクトルが少々歪んでいるように思えるのが難点なんですが」


 僕と話している女性は、本間春来はるきさん、二三歳。いや、本来は先生と呼ぶべきか。札幌豊園高校将棋部OGで、彩夏さんの姉にあたる。現在は女流1級の肩書を持っており、プロの女流棋士として文字通り「将棋でお金を稼いでいる」方だ。


 そして、僕と久美に将棋を教えてくれた人でもある。

 普及活動に力を入れており、対局がないときはこうして実家の喫茶店のスペースを間借りして子供向けの将棋教室を開いていたりする。

 この将棋教室がなかなか人気を博しており、僕も手伝いをしているというわけ。


「……別に久美だって、総文祭だけが全てなわけじゃないじゃないですか。ゆくゆくは久美も本腰据えて女流を目指すことになるだろうし、高校棋戦だって団体だけじゃなくて女子の個人戦だってある。女子の個人戦で出たら、久美はきっと北海道じゃ敵なしですよ。僕みたいな、モチベーションを失った奴と将棋やったって、時間の無駄なだけです」


 ジャラジャラとゴム盤にプラスチック製の駒を初期配置に並べながら、ぼんやりと僕は呟く。


「翔ちゃんの言うことも一理あると思うよ。正しいか正しくないかで言えば、正しいと思う。正しいと思うけど、それだけではないと思うよ」

「それだけじゃないって」

「こればっかりは乙女心というか女心というか。翔ちゃんには簡単に教えられないっていうか」


「……なんですかそれ」

「そーれーに。モチベーションが無い子が将棋を誰かに教えようなんて思わないでしょ? 今日も頼むぞー翔ちゃん。なんだかんだで翔ちゃんの指導、評判いいんだから」

「……善処します」


 夕方四時ちょうど。続々と教室に参加する子供たちがやって来ると、物静かだった喫茶店にも活気が生まれてくる。六面用意した将棋盤はあっという間にほとんどが埋まり、下は小学一年生、上は中学生までの子供たちが駒音高く将棋を指している。


 春来さんの教室のスタイルとして、来た子同士で基本的に実戦をさせて、余ってしまった子が出たりなどしたとき、必要に応じて僕や春来さんが指導対局をする、という形を取っている。

 曰く、「翔ちゃんと久美はそうやって強くした」らしい。


 特に小学生くらいの子は実戦やりたがるからそのほうがやりやすいのは確かなんだけどね。


「むぎくんせんせー、今日こそ六枚落ちで勝つから覚悟しろー」

 早速余った子が手合いカード片手に僕のもとに駆け寄って来ては、正面に勢いよく座る。


「はいはい、先週教えたことをしっかり実践できたら、上手くいくから頑張ろうね」

「はーい」

 なんてふうに余った子たちと駒落ちで指導対局を何局かこなしていると、受付に座っていた春来さんの声がふと聞こえてくる。


「翔ちゃーん、初めてさんいらっしゃって、ご指名みたいだからお願いしてもいい?」

 教室も一時間程度経った頃合い。初段くらいの小学三年生の子と指し終わってひと息ついていると、春来さんからそんなオーダーが届いた。


「初めてなのに、僕指名ですか……? 珍しいですね」

 この将棋教室に来る初見さんは女流棋士である春来さんを目当てに来ることがほとんど。だから、初めて来た人に対してはまず春来さんが指導対局をするのが通例になっているのだけど。


 物好きな人もいるんだなあ、どこの馬の骨かわからない男子高校生を指名するなんて。

 不思議に思いながら、駒を初期配置に戻していると、

「……よ、よろしくお願いします」

 教室に参加する人にしてはやけに大人びている、しかも女の子の声が聞こえて僕は耳を疑った。だから、つい僕は盤を挟んで対峙した彼女の顔を凝視してしまった。


「な、なんで……ここに」

 彼女の顔は、よく見覚えのあるものだった。

 同じ高校の制服、見慣れたリボンとスカートの柄、そして自信なさげに俯いて反射する丸縁眼鏡のレンズさえも。


「高井さんが、いるの?」

 間違いない。今僕の目の前に座っているのは、高井歩夢その子だ。


「……え、えっと、麦田さんに、将棋を教わるためで」

「うん、そうなんだろうなってことはわかる。わかるけど、ちょっとタンマ──」

 一旦席を外して、僕はカバンにしまっているスマホを取り出して連絡をつけようとする、が。


「翔ちゃーん、『待った』はなしだよ、なし。ご指名なんだから、ちゃんと教えたげるんだよー」

 側で子供たちの手合い(組み合わせ)をつけている春来さんにやんわりと注意されてしまう。

 そ、そんなこと言われたって。こんなの絶対彩夏さんか久美の入れ知恵じゃんかよおお……。


「……わ、わかりました、わかりましたよ……」

 曲りなりにもこれでお給料を貰っている仕事なので、やれと言われたらやるしかない。それが例え同じ高校の後輩の女の子が相手でも。


「手合いは、何か希望あったりする?」

「い、いえ……お任せします」

「んー、そっか。なら……」

 高井さんの言葉を受け、僕は自分の飛車角銀桂香の合計八枚を落とした。いわゆる、王と金と歩だけで戦う「八枚落ち」と呼ばれる手合い。


「とりあえず、これでやってみよっか」

 僕の棋力はネット将棋基準になるけど、三、四段程度。対する高井さんは高校入学から将棋を始めたほぼ初心者だ。手合いとしては十分だろう。


 落とした駒を一旦駒箱のなかに戻して、僕と高井さんは盤を挟んで向かい合い、

「「よろしくお願いします」」

 一礼とともに、対局を始めた。


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