『証と印』
『雪』
『証と印』
鏡の前でひっきりなしに首を擦るキミを遠巻きに眺めていた。旅行カバンに詰め込まれていた洋服を持ち出してきてはまた仕舞い、首を擦りながら、別の洋服を持ってきてはの繰り返し。毎度の事ではあるのだが、キミのその困った表情というものはどうしてこうも私を昂らせるのか。洗面所とリビングの往復回数が二桁を越えた辺りで、ベッド脇のテーブルに積んでいたトートバッグから取り出したややマイナー気味のアクセサリーショップの紙袋を片手に、未だに「何か」と戦っている最中のキミの元へと向かった。
「別にキミが気にする必要は無くないかい? どうせ誰も気にしやしないよ」
私達だってすれ違う人の見た目なんて余程目を引くような奇抜さが無ければ、気にも止めないだろう? そう告げて、キミの後ろに立つ。それはそうなんだけどねぇ……とキミは困り顔のまま言葉を濁す。
「第一、私からキミへの親愛の証だよ? 何が不満なんだい?」
後ろから抱き締めるようにキミにもたれ掛かり、指をそっと首筋に這わせる。キミの艶かしい悲鳴に邪な感情が鎌首をもたげた。このまま押し倒してしまいたい衝動が沸き上がるのをぐっと堪え、そのままキミの首筋にそっと口付けを落とす。
「これだけ目立つ位置だとね……。流石にこのまま外を出歩くのはちょっと……」
鏡に映るその綺麗な首筋に刻まれた跡を擦る。雪のように真っ白な肌にくっきりと浮かぶ噛み跡。昨晩から今朝に至るまで、私の欲望の限りを尽くした証とも呼べるキズが幾重にもわたり、キミの肌へと刻み込まれていた。私はキミの答えなど分かりきった上で、どうにも意地の悪い笑みが浮かぶのを隠しきれずに、私は構わないんだけどねぇ? と告げてみるが、キミは自分が気にするんだよ、と呆れたように答えた。
「でも困ったねぇ、チェックアウトの時間は差し迫っているのに、未だに出る準備も出来ていないとなると……」
心にもない事を口にし、私はキミの羞恥と困惑の混じるその言動を楽しむ。キミの笑顔は勿論素敵だが、真骨頂はその困惑と羞恥の表情だと私は思う。キミのその表情が、仕草が、私をこうも狂わせる。
「……なんとかして欲しいです」
諦めたようにキミは言う。この何にも代え難い優越感に浸りながら、私はそれを取り出してキミに見せ付ける。
真っ黒なレザー製のアクセサリー、所謂チョーカーと呼ばれるネックレス。装飾も最低限、正面に金属のチャームが来る程度で飾り気の少ないシンプルなものだった。
キミの顔が羞恥で真っ赤に染まる。おやおや、一体何を考えているのやら。そんなキミの中の葛藤など素知らぬ顔で、チョーカーの止め紐を手解き、キミの首にそっと当てる。そこそこ幅があるものを選んだので、私が付けた噛み跡も(大変不本意だが)十分に隠すことが出来るだろう。
あのさ、とキミは意を決したように切り出す。続く言葉を待っていると消え入りそうな声で、外で付けて大丈夫なやつだよね…? とキミが聞いてきた。
そんな言葉にやれやれとため息を零して、私は床に落ちた紙袋を拾い直してキミに見せてあげる。
「これは普通のアクセサリーショップのものだよ。あんまりしている人は居ないかもだけれど、れっきとしたファッションだし、キミの偏った知識でそういうアイテムだと決め付けるのは良くないよ」
ヘンタイ、我ながら意地の悪い嫌味な声を持って、キミの耳元でそう囁く。
「決め付けてないもん!!」
涙目になったキミに少しばかりやり過ぎたなと謝罪し、肩で息をするキミを落ち着ける為に暫くの間、頭を撫で続ける。何とか宥めたところで、漸くチョーカーを付ける作業に掛かる。チャームが真正面に来るように位置を整え、良い位置に当てたらそのまま止め紐を借り結びする。呼吸が出来るか、擦れたりしていないかを確認し、仕上げに掛かる。
「そう言えばキミはチョーカーの語源と、その成り立ちを知っているかい?」
止め紐を結びながら私はキミに問い掛けた。先程までの態度は何処かにいってしまったらしく、上機嫌なまま少しも悩む素振りも無く、知らなーいと間延びした答えを返す。これからの告げる内容でキミがどんな表情を見せてくれるのか。おおよその想像は付くとはいえ、やはり楽しみなのは否定出来ない。止め紐の余りを整えて、キミの後ろ髪を手櫛で整えてあげる。
「チョーカーは元々『choke』って英単語が語源になっているんだよ」
「チョークって黒板に文字を書くあのチョークのこと?」
そんな的外れなキミの答えにやんわりと首を横に振る。
「残念だけどそのチョークでは無いかな。喉とか首を絞めるとかそういう意味の言葉だよ。実際、ネックレスなんかと比べると首にピッタリと合わせるからそういうところから来ているのかもね」
「ふーん、そうなんだ。なんかもうちょっとやんわりした表現にしてくれたら良いのにね。首を絞めるって直球過ぎるような……」
「ちなみになんだけど、チョーカーって昔は処刑器具としての一面もあったらしいよ。もしかしたら、そういう歴史を踏まえて付いた名前なのかもね? 知っているかい? 革製品は乾燥で収縮するから濡れた革製の紐をこんな風に巻いて磔にしておけば、時間経過と共に首が締まっていくんだよ?」
チョーカーの上に指を滑らせ、キミの耳元でそう囁くと真っ青になって慌てて首を振る。
「やっぱりいい、外す!」
案の定というか百点中百点どころか百二十点くらいの想像通りな反応で思わず吹き出してしまう。けれど、キミにそう言われると外したくなくなるのが性というもので、ニコニコと笑みだけ浮かべたままチョーカーに掛かるキミの指にそっと手を掛けた。そのまま、指を離させてキミの正面に回り込む。
困惑と恐怖で小刻みに震えるキミの頭をポンポンと軽く叩く。
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。現代の革製品は昔ほど低品質じゃないからね。収縮もそこまで酷くないし、ましてや普段使い程度では首が絞まったりしないよ」
それに、と私は言葉を紡ぐ。私だって愛するキミを手に掛けるなんてことはしたくないからね。もっとも、キミが私を裏切ったりしなければという前提条件こそ付くが。 ……ふふふ、心配せずともキミにそんな度胸が無いのは分かっているよ。それにこれでも愛されているという自覚はちゃんとあるからね。
「ほら、冗談では無く本当に時間が迫ってきたよ。後は君の散らかした衣服だけだから、早く仕舞って出発しよう?」
おずおずといった様子で頷くキミを見送り、私自身の身なりを整える。チョーカーの意味はいくつか存在しており、キミに教えたのは参考となる情報源がほとんど無い眉唾物の話だ。本来の意味は最も有名であろう『束縛』と『所有』を暗に示すというものだ。キミがそれに何時気付くのか、また気付いた時にどんな反応を見せてくれるのか、それが楽しみで仕方が無い。
視線を移した先、旅行カバンに荷物を詰め終えたらしいキミの首元を彩るチョーカーに心が躍る。どうかした? と、小首を傾げて声を掛ける無防備なキミの唇に思わず口付けをする。
キミが可愛いからつい、ね? そう告げてキミに背を向けた。きっと今頃、キミは真っ赤になって蹲っているんだろうな。そんな事を考えていると、また笑みが零れる。そんな歪な愛を噛み締めて、私はホテルのドアノブに手を掛けた。
『証と印』 『雪』 @snow_03
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます