第29話

 

 「……

  ずるいなぁ、もう。」


 ……はは。

 こまっしゃくれたガキの特権よなぁ。

  

 「……

  千景さんはね、

  物凄いピアニストだったんだよ。」

 

 え。

 そう、だったのか。

 

 「おんだいでてるって言ってたね。」

 

 「あぁ。

  オーストリアの一流大学へ国費留学もしてたんだ。」

 

 え゛

 それって、

 音楽家にとっては、超エリートコースじゃん。


 「世界的なコンクールで、受賞するはずだったんだ。

  でも、審査員が、どうしても、

  白人に取らせたかった。


  それでも2位になるかと思ったのに、

  入賞自体、なくなってしまったんだよ。」

 

 あぁ……。

 見えない天井、か。

 千景さんの学生時代だと、まだ20世紀だもんなぁ。

 

 「父親との約束でね、

  コンクールを取れなかったら、

  支援を打ち切るって。」

 

 ……。

 

 「でも。

  あの人はね、

  泰然としてたんだよ。」

 

 え。

 

 「『わかってたわ。

   圧倒的に勝たなきゃいけなかった。

   その迫力が、私にはなかった。

   それだけのこと。

  

   私には、もともと才能はなかったのよ。

   人の心を震わせるような力がね。』」


 ……

 なんか、眼に浮かぶなぁ。

 

 「違うって、言いたかった。

  きみのピアノは、情熱的で、激しくて、

  昏くて、儚くて、天賦の表現力の塊なんだと。

 

  でも、言えなかった。


  千景さんは、心で、泣いていた。

  号泣してたと思う。

  

  それなのに、

  3歳から追っていた夢を、奪われる瞬間まで。

  彼女は、背筋を伸ばして、平然と、笑っていた。

  優勝者に拍手までしてね。


  僕に見せる強がりが、

  僕には、いたたまれなかった。」

 

 ……それで、か。

 

 千景さんにとっては、

 いまは、もう、余生なんだ。

 人生で、自分の一番輝ける瞬間が終わった後の。

 

 だから、専業主婦としての無為の時間を、

 平然とやり過ごして生きていられるわけか。


 (私がいい加減に生きてきすぎちゃったんだけど。)


 ……。

 

 でも。

 

 「じゃぁ、おじさん。

  ちかげさん、たいせつにしないとだよ?」

 

 物質面では実家の支援があったところで、

 精神面では、千景さんは、ほぼ完全に孤立しているだろう。

 親からも、親戚からも。

 

 あぁ。

 

 だから、千景さんは、

 あの家に、住んでるのかな。

 

 古きヨーロッパを模して、閉じ込めたような家の中に。

 この国と、俗世と隔絶して、自分が歩むはずだった道を。

 

 「……。」

 

 ああ、もうっ。

 ウジウジした絵になる顔してんじゃねぇよ。

 

 「おじさん、

  こんなにびだんしなのに、

  やってること、すっごくかっこわるいよ?」

 

 「っ!」

 

 なんていうか、

 こんな綺麗なオトコに生まれて、

 なに不自由なく生きてるはずなのに、

 こういうことってあるんだな。

 

 ……

 すれ違いの山、だったのかもしれないな。

 千景さんも、琢磨さんも、まどかちゃんも。

 

 ……ほんと、わっかんねぇなぁ、恋愛って。

 

 でも。

 

 「それとも、おじさんって、

  まどかちゃんが、

  ほかのおとこの子になっても

 

 あぁ、

 眼が尋常じゃなくなったわ。

 わかってるんじゃん。

 

 「なら、

  いまだけをみてよ。」


 「……。」

 

 「むかしのことがばれちゃったら、

  えへへー、ごめんなさーいって

  言えばいいんだよ。」

 

 「……

  それが許されるのは

 

 「一生、だよ。

  だって、おじーちゃん、そうだもん。」

 

 ひさびさのおじーちゃんバリア。

 

 「……

  きみのおじいさまは

  痴呆が激しいようだけど。」

 

 ……はは。

 こっちはしっかり調べられてるか。


 「そうだよっ。

  もうちょっとでだいがくせいにもどるよ。」

 

 こないだまで会社員だったからな。

 毎回新鮮な話が聞けて飽きないわ。

 会話にでてくる人のロールプレイをし続ければいいだけだし。

 

 「……はは。」


 ふぅ。

 10キロ以上走ってる甲斐があるわ。

 山の中なんだよ、施設。

 街中に建てるカネがないもんだから。

 覚悟しないと行けるトコじゃない。


 ま、そっちはそっち。

 

 「わかげのいたり、なんていっぱいあるよ。

  ふうぞくでおかねかせいだひととか、

  もとぼうそうぞくだったひとが

  こっかいぎいんやってたりもするでしょ。」

 

 「……あれは、ヤクザな仕事だからで。」

 

 「いまの、つげくちしちゃおうかなぁ。」

 

 「んぐっ!?」

 

 ……はは。

 やっぱり、繋がってるか。

 狭い世界だもんな。


*


 「ずいぶん、危ない橋を渡らせたようだけど?」

 

 うわ。

 眼が笑ってないな、千景さん。

 そこはさすがに母親か。

 

 「……。

 

  ふふ。

  怒ってるわけじゃないのよ。

  言い出したの、琢磨君だものね。」

 

 全部分かっててやってるな。


 「うん。」

 

 「……まったく。

  きみ、ほんとに大概ね。」

 

 どうしてそういう話になるんだか。

 それなら。

 

 「ねぇ、ちかげさん。」


 「なぁに?」

 

 「ちかげさんって、

  たくまさんのどこが好きなの?」

 

 子どもらしく無遠慮に聞いてしまう。

 興味深々な顔で。

 

 「……。」

 

 あ、考えてる。

 あんまり言われたことなかっただろうな。

 

 「やっぱり、かお?」

 

 「……

  ふふ。

  

  正直に言ってしまうなら、それが一番ね。」

 

 あら、やっぱり。

 マジで羨ましい。

 

 「でも、顔がいいだけのオトコなんて、

  世の中、履いて捨てるほどいるわよ。」

 

 そう言い切れるのが黛家の令嬢か。

 

 「……

  ふふっ。」

 

 ん?

 

 「そうね。

  弱いところ、よ。」

 

 んん??


 「弱いのよ、彼は。

  まぁ、優しいって言ってもいいかしら。

  

  弱くて、頼りなくて、

  でも、その頼りない手で包んでしまう。

  だからほっとけないのよね。」

 

 ……。

 

 「おとなのあい、だね。」

 

 「あら。

  ……そんないいものじゃないけど、

  まぁ、そうかもしれないわね。」

 

 まんざらでもない、ちょっと照れた顔してる。


 あぁ、

 この人にとって、

 この余生は、悪いものではないんだ。


 だからこそ、

 琢磨さんが浮気をしたと思ったら、

 耐えられなくなってしまったわけか。

 

 なら。

 

 「ねぇ、ちかげさん。」

 

 「こんどはなぁに?」

 

 「ちかげさんは、

  たくまさんのだいがくせいのころを、

  どれくらいしってるの?」


 「……

  そう、ね。

  

  交際関係は派手だったし、

  危ない仲間もいたみたいね。」

 

 ぜんぶバレてんじゃねぇか。

 

 「……

  それも、全部、優しさからよ。

  だからタチが悪いんだけど。」


 ん?

 

 「ふふ。

  琢磨君のこと、調べちゃったのかな?

  このは。」

 

 は?

 

 「なんでもいいわ。

  まどかの面倒、ちゃんと見るのよ。」

 

 「うんっ!」

 

 ごまかしの最大限ショタパワー。

 最近こればっかりな気が。

 

 「っ……

 


  ほんと、末恐ろしい子ね。」

 

 いや。

 これ、あと10か月しか持たないから。

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