第2章

第24話


 「はじめまして。

  お母様、でいらっしゃいますよね。」

 

 っ!?

 

 こ、コイツ、

 めっちゃ余所行きの声を出してやがる。

 

 「私、皐月愛香と申します。

  満明君のクラスメートです。」


 榛色の目を少ししぱたかせながらも、

 少し朗らかなくらい通る声で、言い切る。

 その姿は、あまりに堂々としている。

 

 「先日、満明君に救護して頂きましたので、

  その御礼に参ったまでです。

  自宅にあげて頂けるとは思いませんでしたが、

  ご厚意に甘えました。」

 

 っ!

 あ、あいつ

 

 ぐっ!?!?

 

 (母さんが帰るまでなら、いいよ。)

 

 ま、間違って、ない。

 無理にあがったわけじゃ、ない。

 

 (あがって、いい?)

 

 あいつから申し出たことを、言わないだけで。

 整然とミスリードを誘ってる。とんでもねぇ8歳児だな。

 

 「御礼は済みましたので、

  これでお暇させて頂きます。

  大変お邪魔致しました。」

 

 一分の隙もない笑顔を母さんに振りまいた皐月は、

 軽く一礼すると、ひび割れた切子のように固まる

 まどかちゃんの横を通り過ぎ

 


  「!?」

 

 

 っ。

 

 あ、

 あい、つ。

 

 母さんの死角になる場所で、

 まどかちゃんに、なにか、耳打ちをしていった。

 

 「あぁ。」

 

 呆然とするまどかちゃんから目線を外しながら、

 リビングのドアの前に立った皐月は、

 


  「さっきの話、本気にするから。」

 


 っ。

 

 さっきの話って、

 なんの、どれの、話だ?


 「じゃね、

  満明君っ。」


 作為しか感じないはずなのに、

 ナチュラルにしか見えない笑みを満面に浮かべた皐月は、

 さっと手を振ると、リビングから廊下へ繋がるドアを閉めた。


 台風、一過。

 

 後に残された、

 母さんと、俺と、まどかちゃんは

 メデューサに睨まれたように固まっていた。

 

 「……。

  

  みつ、あき。」

 

 っ。

 か、母さん?

 

 「な、なに?」

 

 「……

  まどかちゃんを、

  部屋に入れてあげないの?」

 

 !

 

 母さんの声は、石化を解いてくれた。

 弾かれたように動き、冷たくなりかけたまどかちゃんの手を取る。

 

 「!」

 

 「まどかちゃん、行こうっ。」


 「……

  う、うんっ。」

 

 ふぅ。

 顔に表情が戻った。

 さっきまで放送事故みたいな静止画だったからな。


*


 部屋に入り、息を整える。

 6帖の個室。整頓された書棚と勉強机。

 俺の人生の中では頂点の環境だ。

 

 見慣れた景色が俺を落ち着かせてくれる。

 身分不相応な贅沢な部屋だよなぁ。


 結局、俺の人生では、自力でここまでたどり着けなかった。

 部屋の記憶も曖昧だったしな。

 ゲーム買ってからは、ずっとゲームしかしてなかったっけ。


 書棚の中身も増えなかったし、

 小3の頃だと、もう家族の会話も減ってたしなぁ。

 なんてもったいない。

 まぁ、いっぺん死なないとわからないわな、そんなの。


 ……

 

 (さっきの話、本気にするから。)


 あいつ、

 なんで、あんなことを。

 だいたい、なんの話を。


 いや。

 

 「まどかちゃん。」

 

 「!

  う、うん。」

 

 集中、しないと。

 だいたい、失礼だ。

 いくらからって、

 いまは、目の前にいるんだから。

 

 っていうか。

 

 「まどかちゃん、塾は?」

 

 言うなり、

 まどかちゃんの顔が、昏く曇った。

 

 「……あの、ね。

  帰されちゃった、の。」

 

 ……

 は?

 

 え、

 そんなこと、あるか?

 向こうだって、プロだろうに。

 黛家の子女を預かってるっていうのに。

 

 「……

  

  その、ね。」

 

 ん?

 なんか、表情が

 

 「……

  が、ふたり、来て。」

 

 ……は?

 

 「先生、

  だいじょうぶだから、って。」

 

 っ!?

 な、なん、だ?

 

 わから、ない。

 聞いたことも、見たこともない。


 知ってるわけがない。

 前世の俺の知識は、「まどかちゃんが小3で自殺した」だけだ。

 マジでアドバンテージゼロだな。

 

 っていうか、それって。

 んな、バカな。

 

 う、わ。

 泣き、そう。

 涙が、つぅっと垂れて。


 だめ、だ。

 そんな顔、させられっこない。

 

 「……!」

 

 あぁ。

 まどかちゃんのこんな顔、久しぶりだなぁ。

 1年生の時以来かもしれない。

 

 っていうか、なんで。

 そもそも、いったいなにがあったんだ?

 千景さんと相談しないと。


 「……。」

 

 ん?

 

 「どうしたの、まどかちゃん。」


 

  「……

   おんなのにおいがする。」


 

 は?

 

 ……

 

 !?

 

 う、うわっ!

 

 なんか、顔で服を左右にぶるぶる擦ってる。

 

 「……よしっ。」

 

 ……

 猫、ですか。


*


 「……

  思ったより複雑ね。」

 

 え?

 

 「佳純ちゃん。

  あぁ、まどかの英語塾の先生ね。

 

  通話しても、連絡がつかないの。

  もう、引っ越してるかもしれないわね。」

 

 ……

 はぁ?

 

 「彼女を推薦したのは琢磨君なんだけど、

  一度会って、悪い感じもしなかったし、

  授業はちゃんとやっていたから、ありがたかったんだけどね。

  

  はぁ、困ったわねぇ。

  このへんだと、いい家庭教師も見つからないのよ。

  ちゃんと発音を教えられる人が少ないのよね。」

 

 そっちか。

 それは確かに困るが。


 でも、所属不明の黒い服の輩が近くに来たのに、

 誘拐歴のある絶世の娘を持ってるのに、どうして。

 

 ……あぁ。

 そういう、ことか。

 

 俺は、まどかちゃんが小3で自殺しちゃったことを知っている。

 僅かな事案でも警戒を怠れないと感じている。

 誘拐事案は終わったと考えている千景さんとは

 警戒感が違っていても不思議はない。

 

 ない、が。


 「……。」

 

 ん?

 

 「ふふ。

  私、まどかに嫌われたくはないのよ。」

 

 は?

 

 「琢磨君に連絡してくるわ。

  まどかをよろしくね。」

 

 ……いまは、いいか。

 

 「はーいっ。」

 

 「……

  その顔、ほんとかしらね?」

 

 うげ。

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