序章②(小学校2年生編)

第10話


 ……ん?

 

 あぁ。

 寝てたのか。

 

 ……

 なんだろ。

 してる。

 寝汗でもかいたかな。


 っていうか、

 まどかちゃん、どこいったんだろ。

 いつもなら、手を繋いで離さないまま寝てるのに。

 

 ……

 

 あぁ。

 トイレ、か。


 ……

 

 なんていうか、千景さんの気持ちが分かる。

 皮膚にマイクロチップを埋め込みたくなるわ。

 あんまり可愛すぎる娘っていうのも考え物だな。

 心配しかないもの。


 1年生のクラスでは女子が仲良くしてくれたようだけど、

 2年生で仲が悪くならない保障もない。

 なにしろ子どもだから。どんな理由で何が起こるか。

 

 2年生、か。

 まどかちゃんの自殺の日まで、あと1年半。

 

 できることはしているつもりだけど、

 どんな慣性が働くか分から

 

 「!」

 

 あ、トイレから出てきた。

 

 ……ん?

 

 「どうしたの?

  熱でもある?」

 

 顔、すっごく赤いんだけど。

 

 「な、な、

  ないもんっ!!」


 ……

 そこで逃げていくわけでもなく、

 眼を逸らしながら手はがっちり掴むのが

 まどかちゃんらしいというか。


*


 うーん。

 〇ザエさん時空にはならなかったか。

 残念なのか、そうでないのか。


 「きょうからみなさん2年生です。

  成長した自覚をもって謙虚にすごしましょう。」


 朋子ちゃん、ができてるわ。

 持ち上がり担任の心労かな。

 

 『はーいっ』


 絶対意味わかってないわな。

 特に男子共。

 っていうか、小2に謙虚って言葉使ってもな。

 

 この小学校のクラス替えは

 3年生と5年生の二回だけ。


 ……できれば3年生で

 まどかちゃんと同じクラスになっておきたいが、

 たぶん、無理だろうな。

 前世でも違ってたしなぁ。


 クラス分けはランダムに見えて、

 教員間の高度かつ緻密に政治的な意思決定だ。

 前世も今も、教員の覚えがめでたいとは言えないしな。


 そもそも、まどかちゃんは

 この学年ではトップレベルの容姿端麗な娘だ。

 クラス替えを希望して、妙なことを勘繰られても困る。

 下心などありはしないのに。


 ……。

 下心、か。

 

 まどかちゃんだと、

 やっぱり家同士の交際とかになるんだろうな。

 取り立てて縁のない母さんを県の外郭へ押し込めるくらいだから、

 相当力のある家なんだろう。


 夫婦間の関係が悪い状態で、互いに浮気をしていれば、

 娘の将来など微塵も考えないだろうが、

 夫婦間が修復されていくなら、

 中学に上がる前に県外の私立へ転入となってもおかしくはない。


 そもそも、千景さん達がこっちに住んでいること自体、

 不思議といえば不思議な

 

 「あなた、

  朝からなにたそがれてるのよ。」

 

 ……あぁ。

 

 「おはよう、かしわばらさん。」


 「う、うん。

  おはよう。」


 最近、コイツよく話しかけてくるんだよな。

 

 ……

 そういえば、女子と話してるのあまり見ないな。

 まぁ、哲学書なんて読んでるから、

 会話が合わないのかもしれないな。

 いま読んでるのもキュルケゴールだし。

 小2で絶望を感じるわけないんだけどなぁ。


 「その、たきがわくんね。」

 

 あぁ。

 いちおう、五十音は覚えたらしいんだっけ。

 幼稚園の年長さんになった程度らしいけど。


 「たきがわくんのお父さん、

  ようむいんさんになるんだって。」


 ……は?

 え、えっ!?


*


 「はは。

  ほんとうに偶然でしたよ。」

 

 たまたま入ったおでん屋台で、

 酔っぱらっていた滝川父と、校長がサシで飲むことになったらしい。


 「どうアプローチできるかと思案していた矢先でしたから、

  これは神の思し召しと思いましてね。」

 

 滝川父の生い立ちやら、仕事でやらかした話やら、

 妻に逃げられた話やらをひたすら聞き続けたら、

 最後は泣き崩れてきたらしい。

 

 無職だと。

 貯金ももうないと。

 心中するつもりでいたんだと。

 

 「そこまで言うなら、

  いっぺん死んでみたらどうですかと。」

 

 っ。

 言い方、キツイけど、

 でも。


 「ちょうど用務員が欠員になっていましたからね。

  私の一存でどうにかなりました、ふふ。」

 

 「……


  しんようして、いいの?」

 

 息子を虐待していた父親なんて、純然たる毒親じゃないか。


 「……

  ふふ。

  じつは私も、少々、不安ですよ。」


 来年、定年だろう。

 最後に不祥事を抱え込んだら、年金の給付額が

 

 「しかし。

  私は、賭ける価値があると思いました。

  君のおかげですよ。」

 

 ……え?

 

 「彼が心中を思いとどまったのは、

  友行くんが、変わったからだと。」

 

 ……

 

 「学校の外で、

  勉強を教えてもらっている姿を、

  偶然、見かけたようなのですよ。」

 

 ……あぁ。


 「こんなまともに生きている奴を、

  俺なんかが殺せはしない。

  俺なんかとは違うんだって。

  

  それで、悶々としはじめたようですから。」

 

 ……。

 

 「それまではほんとうに捨て鉢だったようですからね。

  君がいま頭の中で考えておられるであろう手順を、

  私も考えないではなかったんですがね。

  おかげで、いろいろといい夜になりましたよ。」

 

 ……なんて言っていいやら。

 

 あぁ。

 心が、洗われる。

 

 この人に賭けたのはただの偶然だったけれど、

 とんでもない上玉だったわけか。


 不適切そのものだけど。

 俺が死んだ時代では、間違いなく社会的に瞬殺されるだろうし、

 この時代でさえ、バレたらただじゃすまないことだけど。


 社会的地位のある人が、

 まるで無縁の周辺人を、高いリスクを取ってまで、護ろうとしている。


 「わかり、ました。

  ぼくも、しんようして、みます。」

 

 「ふふ。

  では、そうしてみましょう。

  ふたりだけの約束ですよ?」

 

 こんなに穏やかで肝の据わった上司を持てたなら、

 どんなにか良かっただろう。

 

 「!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る