第20話 東方の覇者
「モヘレブ太守の要請により、皇帝陛下の命を受け、ガパから参りました。
恐れ入りますが、私人の立会はご容赦ください」
モヘレブ太守が逃げ出さないよう監視していたバジェの私兵に対し、クルスームはにこやかに退室を促した。
「クルスーム殿、遠路遥々お出でいただくとは……。どうぞこちらへ」
若い使者を出迎え、モヘレブ太守ヒドーサ・ワゼギムは席を勧めた。
「太守、ご無沙汰しております」
「君と初めて会ったのは……私が太守に就任したときだから12年ぶりかね。儂も歳を取るものだ!あの時、親父さんの後ろに隠れていた少年が使者として来てくれるとは」
「恐れ入ります」
「宰相の……いや、タサでの出来事はこちらでも聞き及んでいる。君も心中穏やかではないだろう」
太守の言葉で都尉は「クルスーム」という名前を思い出した。
先般タサで処刑された宰相が、シハーネ・クルスームである。目の前の若者はその息子であり、自分が太守の就任時の祝の席に、父に連れて来られた少年だ。
太守の言葉を俯き加減に聞いていたジャファルの表情が、一瞬憂いを帯びたのを都尉は見逃さなかった。
張り付いたような微笑みもなく、ジャファルは
「私は、モヘレブ太守ワギゼムさまの要請を受け、クレメンテ・ドゥーニとその仲間の捜索の部隊の先鋒として参りました」
と口火を切った。
「加害者に、傭兵13人をひとりで相手にした帝国兵がいたと伺っております」
太守が頷いた。
「私は主、タサ太守アブー・ルルーシュから、ナギル・ルルーシュ及びサレハ・イスマーン追討の命を受け、首都ガパに参じておりました。
そこに、ワギゼムさまからのサレハ・イスマーンと見られる特殊部隊の派遣要請がありましたので、中央政府から先鋒を仰せつかった次第です」
「タサからの追討令が……」
「ええ。前太守の暗殺容疑もございますので」
「しかし、君は宰相の息子。文官だとお見受けするが、君ひとりでナギル・ルルーシュやサレハ・イスマーンの相手はできないだろう?」
はは、とジャファルが笑った。
「そうですね。ナギルはまだともかく、サレハは無理です。追討令とは申し上げましたが、私は二人を見つけ、投降を説得するのが主な役割です。
サレハを止められるとすれば……そうですね、イスマーン将軍ぐらいでしょうか、タサだけでいうならば。私の説得にも応じず二人が交戦するならば、一連隊以上は用意しなければならないでしょう」
太守が顔を曇らせた。太守の代わりに都尉が尋ねる。
「それでは……イスマーン将軍は?」
「モフセン王国出兵後、消息不明です」
太守と都尉は黙ることしかできなかった。
エラム帝国、東の要衝・タサからモフセン王国への援軍出兵は20年以上前から断続的に行われていた。
タサの東側には、北の険しい山岳地帯を上流とするゾコフ川が流れており、その対岸以東はモフセン王国だった。
大陸中央に位置するモフセン王国は、対外的には中立を貫いていた。西に位置するエラム帝国とは同盟を結び、また、北から東にかけて広がる未開の地の蛮族たちに対しては、経済支援や交易などの表向きの友好関係の構築に加え、時にはスパイを送り込むなど謀略を巡らせる、巧みな外交戦術を取ることで、大きな争いを回避していたのである。
そもそも複数の氏族に分かれての争いが絶えなかった東方の蛮族たちには、エラム帝国はもとより、モフセン王国にさえ、本格的に攻め込めるほどの統率の取れた軍事力はなかったのが一転、ひとりの男の出現で情勢が大きく変化した。
その男の名前は、レオニード・アニシェフ。
出自は不明である。
アニシェフが文字通り、蛮族の王ロルフ・ゲソスの首を獲ったのである。
ロルフ・ゲソスは凌遅刑に処された。生きながら手足を釘で大木に打ち付けられ、首から上だけ残して皮を剥いだ上、絶命するまで一刀ずつ切り刻まれる凄惨な最期を遂げた。残された頭部は豚の餌になったという。
アニシェフ率いる軍勢は銀十字が描かれたフルヘルムを
大鎌、あるいは斧、槍、大剣を閃かせながら黒い一団が通ると、肉塊が累々と横たわる。それが人だったのか動物だったのか――原型をとどめていない亡骸からは判別できない。
大陸のほぼ中央を南北に流れるザロス大河の支流のひとつは、氏族のひとつマルムボリの血で濁り、
この顔のない黒い軍勢は日に日に膨れ上がり、大陸の東半分を恐怖による支配で飲み込んだ。
620年、レオニード・アニシェフはクドリンにて「皇帝」となる宣言を行い、ウェセロフ帝国を建国した
屍をうず高く積み重ねた高台に、頭蓋骨を積み上げてつくった玉座を置き、大剣を携えて戴冠したレオニード・アニシェフが、飲んだのは断首したばかりの首から滴る赤ん坊の鮮血だった――そんな噂も
この新帝国皇帝は、大陸の東半分では飽き足らず、さらに西方のモフセン王国に攻め込んだ。
12年前、ヒドーサ・ワゼギムがモヘレブ太守に就任した際、クルスーム宰相との話題も、モフセン王国への援軍派兵の本格化についてだったことを、太守は思い出した。
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