第19話 安堵

「ジャファル・クルスーム?クルスーム?クルスームの息子か……。

 それが?モヘレブに!?」


 都尉に頼まれた文官キラルが、幽閉されているモヘレブ太守のもとに、ガパからの使者としてやって来た男の男の名を告げると、太守は目を見張って驚いた。


「クルスーム……クルスームか……」


と呟き戸惑う太守を伺っているキラルに気づいて


「問題ない、事情は会ってから聞こう。もちろん通してくれ」


と口早に伝えた。


 キラルは太守と太守を見張っているバジェの私兵に一礼すると退室し、玄関にいる都尉の元に急いだ。




「キラル!ちょうどよいところに来た!

 これからキプォス司教に滞在いただく部屋の用意を頼めるか?」


 キラルが持ち帰った太守からの回答も聞かずに、都尉が別件を命じてきた。


「畏まりました。

 ガパからお越しいただいたクルスームさまの件ですが、太守から『お通しせよ』とのことでした」

「分かった。ありがとう。

 部屋の中の細かいことはランラに依頼すればいい」


 都尉が頷きながら笑顔を見せた。

 太守代理になって以降、難しい顔ばかり見せていた都尉に穏やかさが戻ったことに、キラル自身も安堵したことに驚いた。次から次へと細々こまごま依頼をしては、たまに前にした依頼を忘れる都尉に辟易することもある自分が、だ。

 都尉とともに張り詰めていた緊張がふとほどけ、気が軽くなった。

 我が物顔で官邸を我が物顔で占拠し、太守の代わりに都尉にあれこれ申しつけるジェゼッフォ・バイロウは気に食わなかったが、仕事は仕事と割り切って気持ちを押し殺していたことに気づいた。


「キプォス司教、お部屋のご用意ができるまでこちらへ……」


 キラルが待機用の応接室に案内しようとすると司教は穏やかな声で礼を言う。


「ありがとう。

 しかし、私は他に避難している者がどうしているのか気になっています」

「市内のドォズナ教徒とともに、我々が保護しておりますのでご安心ください。避難者と同じく、司教のお身体が心配です。ひとまずお休みいただけませんか」

「お気持ちは嬉しいのですが、私は彼らと共にあることが使命ですので」

「そこをなんとか、私の顔を立てていただけませんでしょうか」


 懇願する都尉に司教が折れた。


「……では、今夜だけ。私の無事を聖堂の者たちに伝えていただけますか」


 都尉は大きく頷いてキラルの方を振り向いた。

 都尉が言葉で命じるよりも先に、キラルは「畏まりました」と頷いた。

 キラルは一礼して司教の右腕をとり、座して待機できる部屋に誘導した。




「司教がご無事で何よりでした」


 司教とキラルを見送る都尉の背後からクルスー厶の声がした。


「聖堂の火災はモヘレブ門外からも見えていましたから、消火活動と避難指示はたいへんだったでしょう」


 と都尉に労いの言葉をかける。


「被害が聖堂だけにとどまったのはせめてもの救いです。

 全焼してしまったのがとても悔やまれますが……」

「いえ、大惨事になるところを食い止められたのは間違いありませんよ」


 クルスームが続ける。


「太守官邸にまで被害が広がっていたら、どうしたものかと思っていました、内心。

 たいへんお忙しいところお時間を裂いていただき、ありがとうございます。

 不謹慎ですが……厩も助かりました。ドゥーニアが気に入ったようです。長らく主人に会えていないので、気難しさが増しているので」

「あの見事な牝馬……彼女は、クルスームさまのものではないのですか?」

「ええ、あいにく彼女は知り合いのものでして。主人か、主人と主人の腐れ縁で一緒にいる私以外の者に心を許しません」


 クルスームがクスクス笑った。

 世間話をしながら二人は玄関ホールから歩き出し、階段を昇り始めていた。


「ところで、太守にはお会いできますか?」

「ええ。『ぜひ、お会いしたい』とのことです。太守は二階奥の応接室におります」

「お会いするのは久しぶりです」

「太守とは会ったことが?」


 歩を進めながら、都尉は、クルスームの頭の先からつま先を、二度眺めた。

 見たところ二十歳に満たない目の前の男に会った記憶は都尉にはなかった。

 会ったことがあるならば、自分が昇任する前のことか、と都尉は思った。


「ええ、多分。お会いしたと言っても、子どもの頃父に連れられてモヘレブに来たとことがある程度の記憶ですので……久しぶりというのは語弊がありますね。私の記憶のなかに朧気にあるような、ないような」


と言って、クルスームはまた微笑んで見せた。

 今はその瞳も笑っていることに、都尉は安堵した。

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