第18話 ガパからの使者

「ターワバ大聖堂が燃えているのは市外からも見えておりましたので、司教のお身体を心配しておりましたが……これは一体?」


 ジェペフが門兵とともに官邸玄関に向かうと、扉の前に、朽葉色の長髪とゆったりとした衣を靡かせる若い男が扇を携えて立っていた。傍らに伴った黒い牝馬がブルルッと鼻を鳴らした。

 かたちのよい唇から白い歯がこぼれるが、くすんだ青紫色の両眼は冷ややかにエドアルドの顔をとらえている。


「モヘレブでは見ない顔だが、名前は?キプォス司教の知り合いか?」


 警戒するバジェが男の質問を遮る声も鋭い。


「人に名を尋ねる際は、まずは名乗っていただきたいのですが……私のほうが若輩ですね。要らぬ意見を口にしてしまったご無礼をお許しください」


 男は微笑んだ口元を崩さないまま


「胸につけている印からモヘレブ産業振興会頭とお見受けします。私は太守からのご依頼でガパから参じました、ジャファル・クルスームと申します」


と答えて、一礼した。


「あなたはガパからお越しいただいた……お一人ですか?」

「取り急ぎ早馬で馳せ参じました。まずは、ワゼギム殿にお目通りをお願いしたく……」


 バジェの顔が引き攣る。


「モヘレブ都尉を拝命しております、イリム・ジェペフです。太守の代理を仰せつかっておりまして……」

「太守の代理?」


 遅れて挨拶したジェペフの言葉にジャファル・クルスームが顔を顰める。


「ええ。太守がモヘレブで起こった事件の報告書をお送りした後、産業振興会バジェ会頭から太守の更迭要請を……」

「更迭要請?私がガパを発った後にあったのかもしれませんが……太守に更迭に値する不手際があったのですか?」

「太守は中央政府に報告書をお送りするとともに対応の伺いを立てておりましたが、会頭がその必要はないと……」

「帝国東部への兵士及び物資の供給は港湾都市モヘレブに対する皇帝陛下直々の要請ですので」


 ジェペフを怒りに満ちた目で睨みつけながら、バジェが言葉を遮った。


「なるほど。

 私はモヘレブ太守の要請に応じ、ジェゼッフォ・バイロウ氏の許可なく奴隷とする異国民を逃し、私兵を傷害した罪に問われているクレメンテ・ドゥーニとその共犯者の確保のために参りました。

 太守の更迭理由と対応については判断の権限がございません。

 太守がモヘレブにいらっしゃるならばお目通りをお願いしたいと存じます」


 クルスームの言葉にバジェが口を開いたが、その前に、クルスームが言葉を継いだ。柔和な微笑みが、顔に張り付いている。


「太守の更迭は要請されている段階で、決定されたわけではないと認識しております。都尉にご判断をお願いします」

「太守は応接室におりますので、伺わせます。キラル!こちらへ」


 ジェペフは振り返ると、安堵のため息をついた。

 重く胸にのしかかっていたわだかまりが晴れたのを感じる。

 キラルと呼ばれた若い文官が傍に来たので、太守の意向を聞いてくるように命じ、門兵には


「クルスームさまの馬を厩に……」


と命じたところ、クルスームは固辞した。


「ドゥーニアは従う者を選びます。気難しいので、案内いただければ、私が連れていきます。

 それと都尉にご判断いただきたいことがもうひとつあります」


 クルスームがバジェの私兵に拘束されているキプォス司教にチラリと視線を移し、続けた。


「ドォズナ教徒のみなさまには重要な巡礼の地であるとともに、エラム帝国屈指の歴史的建造物でもあるターワバ大聖堂が消失したのは、宗教的にはもちろん、歴史・文化的にも大きな損失だと思っております。失火か放火か、火災の原因の究明は必須でしょう。

 キプォス司教は証人でしょうから、裁判が終わるまで都尉のもとで保護されたほうがよろしいのではないかと思いますが、いかがですか」


 ジェペフは一瞬言葉に詰まった。

 言われて気付く自分の浅はかさを恥じる。火災の原因究明は必要だ。


 失火か、放火か――


 ことはすでに知っていた。

 ジェペフは都尉として、その大きな罪をう必要があると、今さら気づいた。


「異端審問会への諮問要請はすでにお送りしたのに何を言う!?速やかな対応が必要だ!!!」


 ジェペフの眼前で、バジェが顔を真っ赤にして怒鳴った。

 突然現れた若造に、自分を邪魔されることに我慢ならなかった。


「諮問を要請され、その後、受理の報告がまだないのでしたら、急がずともよいと思います。よろしければ、モヘレブ太守、あるいは都尉に意見書を書いてもらいましょう。ターワバ大聖堂の火災の原因究明のほうが重要ではないですか?司教個人が異端かどうか諮問するよりも。ドォズナ教団にとっても、エラム帝国にとってもです。ターワバ大聖堂は焼失してしまったので、当面新たに司教を置く必要もありませんよね」


 眼差しは冷徹そのもののまま、クルスームがにこりと笑顔を見せる。

 バジェは若輩者に言い返すことも叶わず、余裕を見せられたことに、憤懣やる方なく、地団駄を数回踏んだ。

 怒り心頭で言葉が出ない。


「勝手にしろ!!!」


と怒鳴ると、馬車に向かっていった。

 クルスームは残されたバジェの私兵に


「キプォス司教はご高齢ですから、お身体にご負担を掛けしないように。都尉のご指示に従うのがよいと思います。

 私はドゥーニアを厩に連れて行かねばなりませんので、しばらく失礼いたします」


と言い残すと、自ら門兵に厩への道案内を頼んで着いて行った。

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