第7話 暁月夜の追跡者

 ジルは宿を出て左右を見回したが、すでに人影はなかった。


 ――左……かな?


 右に行くと海しかないはずだ。

 左へ向かい、四つ辻で右に目をやるとクレメンテの後ろ姿が見えた。暗い路地裏を走る白い服を着たクレメンテ背中を追う。心許ない月灯りのなか、建物の影で見え隠れする姿を見失わないように走った。

 クレメンテの先にいるであろう、二人の兵士はジルには見えない。


 丁字路を左に曲がるとクレメンテが立ち止まっていた。

 足音で気づいたようだ。クレメンテがジルのをほうを振り向いた。


 ――クレメンテ!


と声を掛けようとしたが制止された。

 クレメンテの視線の先に、腰を落として二本の長槍を構えるサレハの姿が見える。


 サレハが見つめる先には、ゆらりゆらりと風に吹かれたように揺れる細長い影が見えた。その揺れる影は奥からひとつ、またひとつを増えて三体になった。黒い地面から這い出てた地獄の使者のように、闇の中をゆっくりと蠢く影に目を凝す。

 それは黒装束を頭からつま先まで身に纏った人間だ。


「……暗殺者アサシンか」


 サレハの唇がそう呟いたように見えた。

 不敵な笑みを口元に浮かべているが、額からは一筋の汗が伝っていた。見開かれた眼は、目の前にいる三体の暗殺者を見つめていた。これまでとは打って変わった殺気だった眼だ。

 月魄亭で暴漢に対峙するのとは明らかに異なる、張り詰めた空気が、離れているにも関わらず伝わる。

 ゆらゆらとサレハに近づく暗殺者の影は、長槍が届くか届かないかの距離、約5メートルのところで、歩みを止めた。


 合図はなかった。


 三人の暗殺者が消えた。夜の闇よりも黒い影だけが残る。

 瞬きせぬうちに1、2、3回。光が舞った。

 暗殺者が一斉に動いた。

 気づいたと同時にサレハの声がする。


「一人!」


 右手の槍で正面から走ってきた暗殺者のみぞおちを突き刺し、外側に思い切り振り投げた。暗殺者の体躯が槍から離れて宙を舞う。血しぶきが大きく弧を描いて飛散した。地面に投げ出された暗殺者はピクピクと痙攣し、動かなくなった。


「二人目!!!」


 一人目を突き刺したのと同時に右から奇声を上げて斬りかかってきた暗殺者を左手の槍で右下段から上段へ袈裟懸けに薙ぎ斬る。二人目の暗殺者は建物の壁に背中を打ちつけられ、ずるりと地面に落ちた。ごふりと音がした。血反吐を吐いたようだ。

 すでに二人殺られているにも拘らず、三人目の暗殺者もひるむことなく、サレハの左背後に回って腰を落とし、脚に向かって切りかかってきた。サレハは遠心力を利用して左手にぐるりと向き直り左腕に装着している盾で攻撃をかわすと、右手の槍を背中に戻して、腰の半月刀をすらりと抜き、暗殺者の首筋を掻き切った。動脈から飛び出した鮮血がサレハの顔をべたりと濡らした。

 

「ナギル……上!!!」


 背後のナギルの方を振り返って、叫んだ

 半月刀を一振りし、滴る返り血を落とすと同時に駆け出していた。


 サレハの後ろで構えていた刀を鞘に戻そうとしていたナギルめがけて、建物の上からさらなる暗殺者が、ナイフを下に構えて落下してきたのである。


「――――っ!!!」


 カタンカタンと音を立てて、暗殺者の持っていた凶刃が月光を反射させて地面を滑る。


 クレメンテが投げたナイフが、暗殺者の手の甲に刺さった。

 しかし、暗殺者に躊躇とまどいはない。

 刺さったナイフを引き抜くや、抜いたナイフでナギルの首を目掛けて跳躍する。

 ナイフがナギルに届くより前に、踏み出したサレハの半月刀が、暗殺者のナイフを握った腕を斬り飛ばす。残った片腕でサレハの喉に掴みかかる暗殺者の胴を真横に裂いて捨てた。

 サレハが刃についた血液を振り払う。

 ひと息ついて、興奮とともに、刀を鞘におさめた。


「クレメンテさん、こんなとこまで追いかけてきたの?」


 ナギルはクレメンテとジルの方に首を向けた。

 ……と同時に、半月刀をひらりと抜きがら二人のほうにするすると踏み出した。

 そして一閃、舞う。


 ――カチィィィィィィィィン!!!


 金属同士の当たった音がした。


 クレメンテとジルが振り返ると、翻った銀の長髪とローブがナギルの背中にふわりと揺れていた。

 ナギルが半月刀を地面に倒れた暗殺者に突き立てている。

 サレハが薙ぎ払い血反吐を吐いていた二人目の暗殺者だ。

 その手元には50センチほどの筒が転がっていた。暗殺者は最後の力を振り絞り、吹き矢を放ったらしい。ナギルは矢を絶ち、返す刀で賊にとどめを刺した。


 暗殺者の胸から半月刀を引き抜くナギルの姿が、ぼうと輝いて見えた。

 ナギルの華奢な体躯が纏う青白い光は、きっと月のせいだと、クレメンテは思った。闇夜を煌々と照らす光は、月の光だけなのだから。

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