8話 旅先での出会い
ピピピピ
時間は朝の4時手前。普段では考えられない時間にアラームが耳元で鳴り響く。しかし今日のアラームは待ちに待ったSEと言っても過言ではない。平日の不快指数100%超の騒音とは違うのだ。多少の眠気こそ残るが二度寝をしたいと思うことはなく、俺は顔を洗い動き出す。
余裕をもって起きたので朝食や持ち物のチェックものんびりと済ませ、俺は始発電車に乗るために家を出た。まだ夜が覚める気配はなく周囲は真っ暗で気温も低い。しかしこれから向かうのは雪国だ。服装に関しては念には念をいれて過剰な防寒着を纏っているので無双状態。寒さを感じることはないどころか少し暑さも感じていた。
「よっしゃ。いくぞ」
そうしてまだ人気のない街を歩き駅へたどり着いた。道中は酒に飲まれた若者たちがちらほらいるくらいでほぼ人はいなかった。そんな静かな街並みは非日常的な演出に見えた。今日という1日は俺が主役だ。そんな特別な雰囲気に気分が高まっていく。いつもと同じ駅とは思えない静けさの中、電車の到着アナウンスがかかる。心なしかいつもよりアナウンスが響いている気がする。電車は重低音を響かせ近づいてくる。そしてやや甲高いブレーキ音と共に停車する。ドアが開けばさあ、旅の始まりだ。
俺はほぼ人の乗っていない電車へ踏み込んだ。席はどこでも選び放題だ。適当に端の方に座る。電車は前へ、前へ、進んでいく。しばらく進んでも全く人は乗ってこない。そんな快適な空間で流れていく風景をぼーっと眺める。1時間くらい経ったころだろうか。少しずつ陽が昇り、街が目覚めていく。そんな様子を車窓から流れる景色の変化とともに堪能する。電車から見える風景が陽に照らされ鮮やかな色彩を帯びる。そして同時に少しずつ人が活動を始める。規則的に音を立て線路を走る電車はまるで生命の鼓動だ。こうして見ていると街がそして地球が生き物のように思える。
栄えている駅、住宅街の駅、かつては賑わっていた面影のある駅。様々な駅を停車し最初の乗換駅に到着する。電車から降りると陽は上っているものの北上したからか心なしか寒く感じた。乗り換えの電車が来るまでには多少時間があるのでお手洗いを済まし次の電車を待つ。
電車は当駅どまりの上り電車として今俺のいる場所に到着する。乗客を降ろし終えると下り電車へと切り替わり降り返しとなる。早速俺は電車に乗り込む。さすがに明朝ではないからか地元の人がちらほらと乗車し空席も多少あるがそれなりの乗車率になった。そんな電車はさらに北を目指し進みだす。前回来たときは、夕暮れ時だったので景色はあまり見えなかったが電車が次の駅、次の駅へと進むたびに開けた土地となっていることがよく分かる。この電車の中盤へと差し掛かるとスタート時点では見えなかった山々が広がり始める。ここから見える雪は、うっすらと雪を纏っており美しい。けれど乗客は慣れ親しんでいるのか景色に気にかけているようには見られない。またここまで来て気が付いたのだが乗客の上降車時に開くドアが社内に招き入れる外気は明らかに冷えてきている。そんな変化がどれも面白く感じられる。そうして今日最後の乗換駅へたどり着く。俺は降車して前回同様に乗り換えるために反対側のホームへ高架橋を渡り向かっていく。先ほどの乗車客の行き先を観察してみると意外にも自分と同じような行動をする人は多いようで多数の人が乗り換えをしていた。きっとそれぞれの休暇があり、皆今日という1日を楽しみにしていたのだろう。なんだかいいな。前回来た時とは全く違う周囲の光景を満喫しながらもう少しだけ俺は電車に揺られる。
そうして目的地、この前は無心で飛び出した駅へ到着した。天気はあの時とは違って晴れ。そして時刻もまだ午前。それ故に見える景色は全く異なる。もちろん前回の帰りも午前中で天気は晴れであった。しかしあの日は仕事が控えていた。今日は午後になろうが仕事はない。ストレスフリーで解放感に浸ることができる。下車してから、早速相変わらず短い電車にはそぐわない長いホームを端から端まで歩く。大多数の人は俺が降りた駅の手前のスキー場駅で降りていたためこの駅で降りた人は他にはいなかった。ホームの屋根がない部分にはしっかりと溶けずに残っている雪が積もっている。その雪を素手で触れる。
「冷た」
けれどその冷たさで何かのスイッチが入ったのか俺は童心に帰り残っている雪を集め球体を作り始めた。最初は小さいものをいくつか作ったがどうにも満足できず次第に大きな雪玉を作り始める。電車もしばらくは来ないことは分かっている。つまりこのホームは今だけは誰にも咎められない遊技場だ。俺は満足するまで雪で戯れた。気が付いた時にはホームの端に可愛い雪だるまが複数できていた。どうせなら電車が入線したときに乗客に見えるところに置こうと工夫をし、配置にもこだわった。これは俺なりのアートと言っても過言ではないだろう。
作品を作り上げた俺は、満足したため待合室で腰かける。さっきまでの雪との戯れによる心地よい疲れと共に俺は駅とそして周囲に広がる雪を纏った山々との空間に溶け込む。何時間ここでぼんやりしていただろうか。ようやく下り電車から人が1人下車した。言い方が悪いがこのような場所に似合わないギャルのようだ。女子高生だろうか。学校に行っていたからなのか制服を着ている。電車の使用者こそ現状見たところこの学生初めてだが地域の足としてこの地域でも電車が機能しているようだ。とは言っても学生さんが1人だけというのはやはり少子化、過疎化の影響がないとは言い切れないのだろう。などと社会的なことを考えていた時だった。
「ねえ、おじさん」
背後から誰かが誰かに向けてそう呼んでいた。俺は完全に無の境地に辿り着いていたようでいつの間にか俺の隣には別の人がいたようだ。この駅を使って電車に乗る人がさきいの女子高生以外にもいるようだ。よかった。電車を使う人はちゃんといる。
「ねえ。おじさんのことだってば」
俺の隣にいる人のことを指しているのかと思っていたがどうやら違うようだ。誰のことなのか気になり待合室を見渡すと、不思議なことに俺とさっき下車していたギャルの女子高生しかいない。これってもしや
「おじさんって、もしかして俺…?」
このギャルが不思議な能力保持者か何かで幽霊を見ている説もないとは言い切れない。「そう。おじさん」
彼女は俺に指を指してそう告げる。自分としてはおじさんと呼ばれる年代ではないと思っていたので突然そう呼ばれて困惑するとともに心が痛んだ。
呼ばれた人物が俺だったので改めて彼女に目を向ける。肩よりも長く伸ばした髪は薄い金色で念入りにケアをしているようで全く髪が痛んでいる様子はない。そして晴れているとはいえ、寒いこの地域でミニスカート。健康的ですらっとした生足がむき出しになっている。寒くないか?とか風邪ひかないか?とか本気で心配になるがそれよりも前にコレだけは言わなくてはならないと思った。
「あのな。誰がおじさんだ。俺はまだ20代だ。せめてお兄さんと呼んでくれ」
彼女は俺の顔をじっと見て観察する。なんだか恥ずかしくなってくるのだが…そうして結論が出たのか少しだけ微笑んで
「たしかにまだおじさんって感じまではいかないかもね」
そう言った。
「撤回ありがとう。俺の尊厳が救われた」
「尊厳って大げさな。」
「大げさじゃない。これは大事なことだ。まだ20代中盤なのに老けて見られるって結構傷つくんだぞ。まあいいや。それはそれとして、お嬢さんは俺に何の用でしょうか」
そう、誰かに急に話されること自体珍しいことであるのにましてや年下の女の子に、しかも女子高生に話しかけられるとなると警戒せざるを得ない。金でもだまし取る気か?
「そんなに警戒しないでよ」
彼女は俺との距離を縮めてそう言う。どうやら態度に出てしまっていたようだ。
「いや、君ずっとここにいるでしょ?私が電車降りたとき誰かいるのが珍しいなって見てたけどまだいるんだもん。こんな何にもないところにさ。不思議に思うでしょ」
言われてみればたしかに、このようなところで長時間ぼーっとしている人は珍しいだろう。しかしそこでさらに疑問が
「たしかに客観的に見れば不思議に思うのは無理ないと思うけど、どうしてわざわざ戻ってきたんだ?さっき電車から降りたってことはきっとここの近くに家があるんだろ?今から学校に戻るってわけでもないだろうし。次の電車だってまだ当分来ないだろ?」
「まあ、別にいいでしょ。私が何をしようとしたって。」
彼女の表情から時折覗いていた笑みが消える。地雷を踏んでしまったかもしれない。
「私はただ、この辺で見ない人がこんな駅にずっといるのが不思議だったの。もうすぐ天気悪くなるって話だしね。もし特に用事もないなら早めに帰った方がいいかもよ」
「お、おう。そうか。それはありがとう」
そっけない声で俺に言うが、心配してくれたのはありがたいことだ。たしかに言われてみるとこっちはまだ晴れているが遠くに見える空は大分どんよりしてきている。
「まあ最悪またうちに泊まってくれてもいいんだけど」
最後に何かボソボソ言っているがよく聞き取れないので、スルーしよう。なんか言い返されそうだし。時計を見るといつの間にかいい時間になっていたので
「そうだな。次の電車に乗って帰るよ」
「ん」
彼女はなぜか若干不満そうだが小さく頷いた。原因を探りたくもあるが、さすがに年の離れた女性に深くかかわってしまうのは問題だろう。俺は立ち上がり待合室から上り電車のホームへ向かう。一応この駅はユーザーこそ今日一日ではこの女子高生しか見なかったものの線路は2線で2面のホームとなっている。そのため今いるホームとは反対方向に移動しないといけないのだ。俺が移動を開始して十数歩進んだ時後ろから微かに声がした。
「ねえ」
俺は振り向く。するとなぜか彼女も俺と同じ方向へ歩いていた。
「どうかしたか?」
「まだもう少し電車来ないし来るまで付き合ってあげるよ」
そんな寂しい人間に見えるだろうか。俺と彼女は歩きながら会話を進める。
「いや別に大丈夫だけど」
俺はやんわりと断りを入れるのだが
「じゃあ私が話したいからってことで」
どうやらひいてはくれない様だ。電車の到着までおよそ10分。まあそれくらいであればいいか。
「君はどこから来たの?」
「埼玉だね」
ホームに到着し停車位置前に俺たちは立つ。
「じゃあ仕事は東京?」
「そうだね」
「ふ~ん。あのさ、東京ってどんなとこ?」
彼女は声を弾ませる。
「よくも悪くもにぎやかなところかな」
「何それ意味わかんない」
「そう。意味の分からないところだよ。東京は行ったことないの?」
「ないよ。だから聞いたんじゃん。東京っていったら華やかでなんでも揃うとこみたいなイメージあるじゃん。前にそんな話をしてた人もいたしそうなんだろうなって。かわいい服も楽しい遊び場もいっぱいあってみんな毎日楽しく暮らしてるみたいなさ」
なるほど。東京に憧れがあるのだろう。しかしつまらない大人になってしまった俺には夢を壊すようなことばかり頭に浮かんでくる。仕事とか仕事とか仕事とか。けれどたしかに学生時代はそんなイメージでそんなところだったと思い出し
「まあそういう一面も確かにあるね。若い人たちが生き生きしているところもたくさんあるよ。イベントごととかもたくさんあるしね」
それを聞いて
「いいな~。ここは何もないからさ。この電車でもっと進めば栄えた街もあるけどどこも夜はすぐお店しまっちゃうしこの季節なんて大雪になることが多いからまともに外に出かけられないし。こんなところから早く出ていけたらいいのに」
確かに雪は大変そうだ。前回来た時もそう感じたが、今日のように晴れていても解けずに残っているこの雪景色を見れば容易に想像がつく。それに年若い女の子が華やかな世界に憧れるのはきっと自然なことなのだろう。
「でも俺は、ここもいいところだと思うよ。余所者だからそう思えるのかもしれないけど。俺からしたら東京も東京で息苦しいところだから。」
俺目線で思ったことを1つだけ伝えてみる。
「こんな場所のどこがいいの?」
彼女がそう俺に問いかけた時、
まもなく電車が到着します。人気のないホームに自動音声が鳴り響いた。
「ああ、電車きちゃうね」
「だな」
2両編成の電車がスピードを落とし近づいてくる。
「話付き合ってくれてありがと」
「こちらこそ、さっきの答えだけど、この場所はなんか俺に心の余裕をくれて好きだよ」
最初は拒もうと思っていた彼女との待ち時間の会話だがいざ終わってみるとなんだか名残惜しい。電車は甲高いブレーキの音を響かせて停車する。俺は冷えた指でボタンを押しドアを開ける。少し名残惜しい気がする。
「じゃあ、待ち時間に付き合ってくれてありがとう」
俺は彼女にそう伝え電車に乗り込もうとする。閉めるのボタンを押してドアを閉めようとすると彼女は
「待って!」
と少し声を張り
「またね」
軽く手を振ってそう言った。またねなんてもう会うことなんてないだろうに。それでも突っ込むのは野暮というものだろう。
「おう。またな」
そう答えて俺も軽く手を降った。まるでタイミングを見計らっていたかのようにドアは自動で締められた。そのまま電車はゆっくりと進みだす。こうして俺と雪国のギャル女子高生との一期一会が幕を下ろす。これがエモいというものだろうか。心の中が熱くなるのを感じながら俺は空席に腰かけた。座った後俺はさっきまでしていた会話の余韻だろうか。どこか寂しさを感じた。まさか。相手は女子高生だ。そんなわけはない。俺は規則的に揺れる電車でそんなことを考えたのだった。
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