チケット Ⅱ



 ここは森澤骨董商店。


 店内にはあらゆるいわく付きの骨董品が並んでいるが、客には自分が必要なたったひとつの品物しか見えないという不思議な店だ。

 店にいるのは、主人の老人男性とその孫の少年――僕君の二人。

 主人公はこの僕君、十五歳だ。

 おじいちゃんではないよ。間違えないでおくれ。

 僕君の「僕」も名前ではない。

 彼は自分を僕と呼ぶので、僕君、と仮にしておこう。

 店は閑古鳥が鳴くほどでもなく、客もほどほどにやってくる。

 今日もまたひとり――


          ◉


 

「いらっしゃいませ」


 カランとドアベルが鳴ったので、僕君はいつも通り入ってきた客を出迎える。

 見れば客は、歳は七十前後、身なりのいい銀髪の老紳士だ。

 彼は、店内を見渡すと、あったあった、と宙に浮かぶチケットに歩み寄った。

 チケットが浮いていることも、店内ががらんと何もないように見えることにも――彼は全く気にしていない様子だ。

「お探しものでしたか?」

 目当ての物に飛びついた客へ、僕君は声を掛けた。

「うん? うん、なに、ここの前を通ったら、このチケットがショーウィンドウから見えたものだから。しかし驚いたな、こんなものが売っているなんて」

 ボク君が客の手の中を覗き込むと、それは古い映画の座席指定されたチケットだった。

「懐かしいな。昔ね、ある女性を射止めようとこの映画でデイトをね、目論んだのだのはいいけれど、ボクは仕事で待ち合わせに行けなくて……彼女に待ちぼうけを食らわせてしまったんだ。その時の席だよ、うん、覚えてる。悔しかったな。D-3番と4番席。うん、このチケットと同じ席だ」

 老紳士は老眼のせいか、チケットをいささか遠ざけながら確認し、うんうんとしきりと頷いている。

「それを、お求めになられますか?」

 ボク君はそう云うと、老人の手からチケットを受け取った。

「うれしいね。これも売り物かい? ぜひ買わせてくれないか。幾らだね?」

 老紳士はもう懐に手を伸ばしている。

「今、あなたが心に思われた、そちらの高い方のお値段です」

「ホントかい! ずいぶん高くついたもんだ!」

「ハイ、何せ需要あってのお値段ですから。欲しいという思いがあればあるほど物の価値は上がってくるものです――今お包みしますね。けれど、本当にいいんですか? これはただの期限切れのチケットでしかありませんが……」

 僕君は、代金を受け取ると申し訳なさそうに包まれたチケットを老紳士へと手渡した。

「何か記念になる映画だったんですか? それともその女性──」

 口ごもる僕君に、老紳士は笑いながら首を横に振った。

「いやいやいや、何ね。その映画館、今はもうもう潰れててね。それが新しく雑居ビルになって――ちょいと大きなビアホールが入ったんだ。席には番号がふられてるもんだろう? そこもちょうど、テーブルがアルファベットで分けられていて、さらに席ごとに数字がつく番号なんだ。だからね」

 そこで老紳士はちょいと悪戯っぽい目をすると、軽く咳払いをした。

「ビアホールに席番を指定して予約を入れて……これをその時の女性――ボクの奥さんに手紙で渡して、もう一度デイトを待ち合わせよう。そう云う魂胆なんだ。今度のボクらの金婚式に」

「それはそれは、おめでとうございます。いつなんです?」

「来週の日曜日。六月一六日さ、ジューンブライドというヤツでね。ハイカラだろう?」

 ジューンブライドがなんだかよくわからなかった僕君は、深く頷くしかない。

「そうですか、それでは、またのお越しをお待ちしてます」

 そして、この店の不思議さに、全く気づかないまま興奮気味でいる老紳士を、温かく送り出した。

 まあ、こんな客が来る日もあるだろう。



          ◉



 けれど僕君、腑に落ちない点が一つだけあった。

「タカカズさん」

「なんだ?」

「今日って十一月ですよね」

「いいから、客の言うことは一々気にするな」

 こう言われれてしまうと、僕君もなんだかどうでも良いことのような気がしてきてね。

「はい、わかりました」

 と、承知したんだ。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

森澤骨董商店 嘉倉 縁 @yoshikura_en

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ