閑話休題~はじまりの続き



 ここは森澤骨董商店。


 店内にはあらゆるいわく付きの古道具が並んでいるが、客には自分が必要なたったひとつの品物しか見えないという不思議な店だ。

 主人はたいてい不在で、店番をしているのは、これまたいわく付きの一五歳になる主人の孫がひとり。彼の一人称は僕なので、ここで仮に彼を僕君と呼ぶことにしよう。

 いまでこそふたりは、仲がそんなには悪くはないのだけれど、僕君がこの町にやってきた当初は、祖父であるタカカズさんは僕君にろくに口もきかなかったね。

 今日はそのことについてお話ししよう。


          ◉



 僕君が、お祖父さんの弟のヨシカズさんにお世話になって、ひと月は過ぎたろうかね。

 暑かった夏もとっくに終わり、夜がすっかり涼しくなって、蝉に変わって地を這う虫たちの声が鳴り響き始めた頃だ。

 そんなある日の朝。

「あの、ヨシカズさん、本当に僕、ここにいていいんですか?」

「ああいいよ? どうしたんだい、急に」

 ヨシカズさんの呉服屋は、こんな小さな町の一体どこから人がやって来るのかと思うほど、来客のある大きな店構えの日本家屋だ。店の中を立ち振る舞う人間も多い。住み込みの使用人は老若男女。それからまだ顔を合せたことはないけれど、書生さんも一人抱えていると聞いている。

 今、使用人達と並んで座り、食事を取っているこの大広間も畳敷きだ。

 大きな卓は特になく、一人一人、時代劇でしか見たことのないような朱塗りのお膳で食事が運ばれてくる。

 ほかほかと湯気を立てるお椀がのった膳を前に、僕君は正座した膝の上で両拳を固く握った。

「こんなに大勢の人がいらっしゃるのに、僕まで……」

 僕君は頼み込んで、一応店の手伝いをさせて貰っていたんだけれど、お世辞にもお店の役に立っているとは思えなかったんだ。僕君もそれが身にしみていたもんだから、長くお世話になるうちに、ただ甘んじてお世話になっている事に、ついに耐えきれなくなってしまったんだね。

「なあに、今更子供の一人や二人、増えたところで変わらんよ」

「でも……」

「うーん」

 ヨシカズさんは腕を組んで唸る。

 今日は普段使いの米沢紬の着物姿で、一方の僕君は墨色の結城紬に紺色の帯だ。

「うちのごはん、新米だけど、おいしくない?」

「え? そんなことは! とても美味しいです」

「だよねえ。じゃあ、お布団が寒い?」

「あったかいですよ???」

「それとも誰かに意地悪された?」

「そんな人いません!」

 思案顔のヨシカズさんはもう何も思いつかないのか、じっと僕君の顔を見る。

「その……僕、タカカズさんと話がしたくて……」

「あーあ、そういう」

 おずおずと切り出した僕君にヨシカズさんは、わざとらしくそう云うと、ニヤリと笑ったんだ。

「待ってたよ。君がそう言うのを」

「え?」

「まあ思っていたより早かったけどね。今日は君のお父さんの四十九日だろう? もし君がそう言い出さなかったら、兄さんのところへ理由をつけて行かそうと思っていたんだ。上物のお線香が用意してあるから、私からだと言って、タカカズ兄さんのところへ持って行くと良い」

 途端に、それまで緊張していた僕君の顔が晴れ上がったね。

「あ、ありがとうございます!」

 そうして、僕君は店の前の掃き掃除を終えると、お使い物の風呂敷包みを抱えて、教えられたとおり、タカカズさんの店へと向かったんだ。


          ◉



 タカカズさんの古道具屋『森澤骨董商店』は、町外れの四つ角にある石作りの二階建てで、それはそれは年代を感じる店構えだったそうだよ。

 通りに向いた店の二面には、大きなショーウィンドウがあって、店内に所狭しと、アンティークな物が並んでいるのが見えたね。

 僕君は石段を二つ上がって、ドアベルの下がった両開きの扉を前に、深呼吸をしたもんだ。

 それから、意を決して、扉を押した。

「ごめんください!」

 店の中は、古道具から漂う──ナフタリンと言って分かるかな? 昔の防虫剤なんだけれど、その匂いと、それにまぎれてうっすらと煙草の臭いがしてね。

 僕君は緊張しながら、店の奥を、カウンターへと進んだんだ。

 すると、カウンター奥のドアが開いて、パイプを片手にタカカズさんが顔を出した。

 そうして、僕君を見るなり顔を顰めたよ。

「なんて格好してるんだ?」

 今日は女物の着物こそ着ているけれど、エプロンも頭飾りも取ってきた。

 僕君は一瞬怯んだけれども、気を取り直して、言った。

「森澤屋はヨシカズさんの使いで来ました。うちの父の四十九日に、お線香をタカカズさんに贈りたいそうです」

「物怖じしないところも、お前の母親そっくりだな」

 忌々しそうに呟くタカカズさんに、僕君はついにこらえきれなくなって、言った。

「そんなに僕は、母に似てますか!」

「ああ?」

 タカカズさんが自分を嫌ういわれを聞いていた僕君は、理不尽だと腹を立ててしまったんだ。

 なぜなら。

「僕は、生きている母に会ったことがありません! ずっと父と二人で暮らしてきました。そんな、どんな人だかまったく知らない母に僕が似ているからと責められても、僕には直しようがありません!」

 タカカズさんはそれを聞いて考えを改めたのか、険しかった表情が少し、和らいだ。

「ああ、そうだったな……」

 タカカズさんはパイプを一口吸い付ける。

 煙を吐き出しながら、まるで記憶も一緒に吐き出しているようだったよ。

「わたしも、一度しか合ったことはない。あの馬鹿息子が、嫁だと言って連れてきた商売女は、お前のようにふわふわの栗毛で、チャラチャラヘラヘラしているかと思えば、妙に気の強そうな目をしていた」

「母もこの町に来たんですか?」

「ああ、馬鹿息子が、目隠しをして連れてきちまった。普通の人間は連れ込むなと、口を酸っぱくしていっておいたのに」

「普通の人間?」

「ああ、お前はまだ知らなくていい話だ。どれ、ヨシカズの選んだ線香とやらを貰おうか」

「どうぞ、こちらです」

 僕君は、カウンターの上で風呂敷包みを解いて、中の品を取り出した。

 それをタカカズさんの方へすべらせた後。

 僕君が風呂敷を畳んで左手で袂に突っ込むのを見て、タカカズさんは聞いた。

「お前、左利きか?」

「? はい? 父も左利きだったので、『格好良いだろう? そのままでいい!』と小さい頃に言われて、そのまま直しませんでした……あ」

 僕君は、タカカズさんが左手にパイプを持っていることに気がつく。

「あの馬鹿息子は子供の頃、右手で折り紙を切っていたかと思うと、疲れたと言って今度は鋏を左手に持ちかえて器用に恐竜を切り抜いていた。物なんぞ好きな方で持てば良い。そう思って直させなかった」

 タカカズさんはそう云うともう一度パイプを吸って、僕君を見た。

「この線香をヨシカズが選んだのなら、さぞや凝ったお香なんだろう。どんな香りか気になるか?」

 丸い眼鏡の奥でタカカズさんは、じっと、僕君を見つめて、待っている。

 返答を。

「き、気になります!!」

「わかった、じゃあ奥へついてくるがいい」


 そうして僕君は、この日から、タカカズさんと一緒に暮らすことになったんだよ。

 良かったね。

 この続きはまた今度。









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