閑話休題〜そしてはじまり
ここは森澤骨董商店。
店内にはあらゆるいわく付きの古道具が並んでいるが、客には自分が必要なたったひとつの品物しか見えないという不思議な店だ。
主人はたいてい不在で、店番をしているのは、これまたいわく付きの一五歳になる主人の孫がひとり。彼の一人称は僕なので、ここで仮に彼を僕君と呼ぶことにしよう。
僕君は男だというのに大正時代の女給のような格好で、栗毛の頭の上にちょこんと頭飾りまで乗せている。
今日はなぜ、僕君がそんな格好になったのか、事の顛末をお話ししよう
◉
ヒグラシがともかく鳴いていたんだ。
僕君の父親の葬儀がとりおこなわれたのは、そんな季節だ。
母親は僕君が生まれる時に、入れ替わるように息を引き取り、中学三年生になるまで、父親が男手一つで育てていたのだが――その父親も、死んでしまったのだ。
父親が勤めていた先のスナックで、チンピラにビール瓶を頭に叩きつけられ、あっさり亡くなって遺体が届いたのが三日前。
今日は一学期の最後の日だったので登校した僕君が、学校の荷物を持って帰宅したら、家中に差し押さえの札が貼られていた――父親はどうやら借金もしていたらしい。
「ごめんください」
午後四時過ぎ、じりじりと西陽が差す僕君の住むボロアパートの玄関先で、ドアをノックする人物があった。
昨日葬儀を終えたばかりだったので、誰か忘れ物を取りに来たのかと、僕君はドアを開ける。
「はい、どちらさまでしょうか」
通夜、葬儀は、父親の大学時代の友人二人と、バーテンダーとして働いている店の店長さんやら仲間のホステスさんらが、全てをとりおこなってくれたので、だいたいの知人らの顔は覚えていた。
ところが、ドアの向こうに立っていた人物は、まるで見覚えのない、メガネにオールバックの、父親と同い年くらいに見える中年男だった。
「君が森澤君の息子さん?」
「――はい、そうですけれど、どちら様ですか?」
「申し訳ない、本当は通夜にも葬儀にも出たかったのだが、丁度裁判が佳境で……ようよう今日になって、抜け出してきたんだ……ああ、ごめんよ。私はね、君のお父さんのね、大学時代の友人だ」
そう言うと、その中年男は、品のいい名刺入れから名刺を出した。
『喬木法律事務所』――の隣には『喬木裕太』と、名前があった。
「タカギ――ユウタさんとおっしゃるんですか? そうですか……ありがとうございます。お焼香……なんですが、家中差し押さえられてて、今、何もさわれないんです」
「ああ、それはおかまいなく……そうだね、まずは、ご焼香の方から、させてもらおうかな……」
遺影の前に父の友人だという喬木さんを通すと、彼はタバコと灰皿を取り出して、遺影前の畳に二つをおいた。
「火をつけてもいいかな」
彼は、そう言って、ライターを片手に僕君を振り返る。
「どうぞ」
と短く答えると、喬木さんはしげしげと僕君をながめ――君はお母さん似なんだね、と言って、タバコに火をつけた。
「ゴ……ゴッホォ……やぁ。ごめん、私自身はタバコを吸わないものだから」
そういって火のついたタバコを灰皿へ供えると、なにやら両手をあわせ、お祈りしているようだ。
しばらく、部屋の中に紫煙が漂っている。
――ああ、父さんが吸っていた煙草だ、と、僕君が気がついた頃、喬木さんは短くなったタバコを灰皿に押しつけて、こちらへ振り返った。
「それでね、今日私がきた理由なんだけれど、もしも君のお父さんに万一のことがあったら、君の面倒を見ることになっているんだ。君をお父さんの実家へつれていくことを約束していてね――」
「父の実家?! そんなところがあるんですか? ボクはてっきり、これで天涯孤独だと……」
「いいや、君のおじいさんがいるよ、それと、おじいさんのご兄弟も近くに住んでいるはずだ」
「そう……だったんですか……そんな、それだったらそれで、息子の葬式ぐらいくればいいじゃないですか……!」
「うん、それはね、君のお父さんとおじいさんとは喧嘩していて、絶縁状態だったんだ。……実はお恥ずかしい話しなんだけれど、私も、君のお父さんとは喧嘩していて……まっすぐな奴だったろう? 君のお父さん……ただ、学生時代に私たち仲間の四人で賭けをして――葬儀に二人、村上ってのと奥田ってのが来ただろう? それと私と君のお父さんの四人でね。それで、君のお父さんが勝ったものだから……これ、誓約書。私らは法学部だったんだ。そう悪くない学校だったんだよ? それなのに……いや、これは余計な話だった。ともかくこれを見てくれ、信じてもらえるかな?」
差し出されたルーズリーフには、父親の字で、こう書かれていた。
――親友なる諸君! この間、バイト先のホステスの愛するするユカリちゃんとの間に愛息が生まれて――ユカリちゃんと死に別れたのは断腸の思いだったけれど、それでも俺の元には息子が残った! 名前はまだ決めていないけれど、この子を、もしも俺に何かあったら君たち三人にお願いだ! 俺の後始末と、この住所へ俺の子を連れて行ってくれ! オヤジとは仲が悪いままだけれど、孫はかわいいって云うからな、きっと面倒を見てくれるはずなんだ。よろしく頼む! 以上
「……すみません、こんな、学生時代の悪ふざけみたいな誓約書なのに……」
一通り目を通し終わった僕君は、実に申し訳なさそうに喬木さんを見たね。
「いいんだ。未成年の君をほうっておくわけにも行かないし。さて、では行こうか」
「どこへですか?」
「このままだと君は借金まみれだ。法律上の手続きをとって全ての財産を放棄することにして借金もチャラにした。だから、ここにももういられない。これから君をおじいさんの元へ連れて行くけれど。ごめんね」
振り返った喬木さんは手にハンカチを持っていたんだ。
「んぐッ! ンぐぐっ!」
僕君はそのハンカチで口元をふさがれると――そこですっぱり意識を失った。
「行き先は、秘密なんだよ」
◉
「……あの女そっくりじゃないか! あんなのとツラをつき合わせて暮らしていくなぞ、真っ平御免だ!!」
「まあまあ兄さん、そう息を荒げないで」
「うるさい! ヨシカズ! 貴様に駆け落ちで商売女なんぞに息子を奪われた父親の気持ちがわかってたまるか!」
「タカカズ兄さんだって悪いでしょう! 大人げなく勘当なんかするから、やむなくスナックでバイトして苦学生を――」
「そんな良い話なものか! だいたいあれは途中で退学しとる!」
――なんだろう、何だか言い争う声が……
「シッ! どうやら目を覚ましたようですよ。ともかくこの子に罪はないんですから」
「ん……む……」
僕君が目を開けると、そこは広い和座敷のようだった。
枕元に、老人が二人座っている……どちらも見分けがつかないくらいそっくりで、異なる点と言えば片方は着物、もう片方が洋装という位だった。
どちらも眼鏡をかけており、僕君はその顔の中に父親の面影を見たんだね。
「え、あの、もしかして、僕のおじいさん……ですか?」
と、二人に尋ねた。
「知らん」
「兄さん!」
着物を着た方の――ヨシカズさんが、タカカズさんをたしなめた。
「ごめんね、兄さんも悪い人じゃないんだけど、寝耳に水で君のお父さんの訃報を聞いて、取り乱しちゃってて……」
「取り乱してなんておらん! わたしは帰るッ!! そこの小僧はお前が面倒を見ろ!!」
「兄さん!」
タカカズさんは立ち上がると、ドスドスと部屋を出て行ってしまったね。
「やれやれ」
ヨシカズさんは溜息をつくと、僕君ににっこりと微笑みかけた。
「心配はいらないよ。今のが君のおじいさん。
クスクスと笑うヨシカズさんに、僕君は困惑した。
「あ、あの……あの、僕やっぱりご迷惑なんじゃ……あ! 喬木さんにあの、ボク連れ戻してもらって何処かの施設に……」
「ひとさまにこれ上迷惑をかけてはいけないよ」
ヨシカズさんはそういうと、ぽんと大きな掌を僕君の頭に乗せたんだ。
どれだけ僕君がほっとする温もりだったことだろうね。
「今日からうちの子になりなさい。兄さんともおいおいね、ワタシが話をつけるから。大丈夫。なんたって君のお父さんのお父さんなんだ、きっと分かってくれる。それに、喬木さんはもうお帰りになられたしね」
その時ね。
ぽろりと涙がこぼれたんだよ。
僕君は、ひとりぼっちになってしまってどれだけ心細かったことだろうね。
そうしてそれから、僕君はヨシカズさんのところでお世話になることになったんだ。
◉
「え。これを僕がですか?」
「着のみ着のままでウチに来たろう? いつまでもそんな同じ制服姿というわけにもいくまい。幸いここは呉服屋だ。着物ならたんと揃ってる。好きな物をあげよう」
僕君がヨシカズさんのお宅にご厄介になって、三日ほども経った頃だろうか。
ちょっとちょっと、と僕君が呼ばれたのは、お客様の試着に使う広間で、そこは足の踏み場もないほど華やかな着物が一面に広げられていた。
「でもヨシカズさん、これって着物に疎い僕でも分かります……コレ全部女物ですよね?」
それも、振り袖だ。
「当たり前だ! 呉服屋が華やかな着物を扱わないでどうする! 男物なぞ興味無いッ! 着物はやっぱり女物でなくちゃ!」
「それがどうして僕につながるんですか!」
「呉服屋の者が不潔な身なりでどうする。もっとこう、あれだ、華やかに!」
「ヨシカズさんはちゃんと男物をお召しじゃないですか……ズルイ……」
「何か云ったかね」
「いえ……」
悲しいかな、僕君は居候の身分、強く言い返せなかったんだね。
店の女の子達にあれが良いこれが良いと、あちらやこちらを弄ばれながらも、きっちり着付けの終わった僕君は、もとから整った顔立ちでもあったので、それはそれはなかなかの仕上がりだった。
といっても僕君にしてみれば――
「こんな…ピンクの花柄なんて……」
の一言で片付けられちゃったんだけどね。
「おお、なかなか似合ってるじゃないか、ちょっと行って兄さんに見せておいで」
「じょ、冗談ですよね! こんな格好、ただでさえ僕、何だかタカカズさんには嫌われてるっていうのに……」
そこへ、パタパタと慌ただしく、一人の店の者が顔を出した。
「店長、風が出てきたので、店の前が砂埃になる前に水を撒きますね」
「ああ。頼むよ」
「あ、あの、それ、ボクがやります!! やらせてください!」
渡りに船だったね。
僕君は転がるように店先に出ると、学校指定の紐靴をつっかけて柄杓と桶をひったくった。
「本当にもう、ヨシカズさんも人の悪い……」
なれない着物をさばききれず、強風に振り袖をとられながらも水を撒き始めると、突如突風が巻き上げた砂埃に僕君は思わず目を閉じた。
――っぷ。それにしても今時道路が舗装されてないなんて、どれだけここは田舎なんだろう……
僕君がそう思いながら目を閉じたまま柄杓で水を撒くと、途端に女性の悲鳴が上がった。
「きゃぁ!」
「わっ! す、すみません! 水を掛けちゃいましたか?!」
慌てて目を開けると、そこには大正時代の矢羽根絣に袴姿のハイカラさんを絵に描いたようなお嬢さんが、お使い物なのか風呂敷包みを片手に、袴にはねたしぶきを払っているところだった。
「もう、気をつけなさいよ……!」
勝ち気な面立ちのお嬢さんは、ふと僕君に目を留めるとまじまじとその出で立ちに目をやり、突然――
「来なさい」
と、僕君の手を取った。
「え? え? あのちょっと、ぼく水撒きが……」
「だから来なさい! 森澤屋の新作を着てそのまんま水撒きなんてありえないわ! 小間使いなら小間使いらしく身支度って物があるでしょう!」
「や、そんな、そうですけど、あの……どこへ……」
「すぐそこよ! 『倫敦館』って、知らないの? この町にたった一軒のB&Bよ!」
「び、びーあんどびー? ってなんですか?」
「ベッド・アンド・ブレックファスト(英国風安宿)よ、そんなことも知らないの? さあついたわ、ちょっと待ってて」
お嬢さんの言う通り――お嬢さんと言っても、僕君とはそう歳は変わらなそうで十七、八と言ったところかな。長い黒髪に色白のキツめな別嬪さんだ。
呉服屋の前の通りをしばらく歩くと、和風な街並みに不似合いな洋館が見えてきた。一階はカフェのようで、洋扉に消えて行った彼女に、僕君は呆気にとられながらぽけっとその場に立ちすくんでいると、しばらくしてお嬢さんが手に何かを持って出てきたよ。
「はい、これ身につけて」
差し出された白い布の山。僕君は店の前で受け取ると、バタンとお嬢さんはまた洋扉の内へ。仕方なしに僕君はその場でごそごそと渡された物を身につけ始めた。
――これは、エプロン。こっちは襷かな。これは……帽子?
頂き物の山からとりあえず、その白い物を頭に乗っけて、エプロンを身につけたところまでは良かったのだけれど、僕君、どうしても襷だけは自分でどうにもできず、閉口しきって洋扉を叩いた。
「すみません、僕、襷ってしたことがなくて……」
「まああなた、全部身につけたの?」
「え、だって……」
「きっちりしてるのね。そう云うところはワタシ好きだわ」
というと、お嬢さんは襷を受け取って、僕君の振り袖を綺麗にまとめて結び上げた。
「さあ、これでいいわ。冗談を真に受ける人って、嫌いじゃないの。最近新しい人が森澤屋に居候してるって聞いてたけど、きっとアナタの事ね」
「噂になってるんですか?!」
「小さな町だものね。まあ、がんばって。ワタシは
お嬢さんは僕君の頭に乗った小さな白い物を、ぴっと引っ張って整えると、そう言ってにっこりと微笑んだ。
かくして、僕君は今の出で立ちで過ごす事になったんだけど、なんてことのないお話だったね。ごめんよ。それではこのつづきはまた今度。
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