森澤骨董商店

嘉倉 縁

チケット


 ここは森澤骨董商店。


 店内にはあらゆるいわく付きの骨董品が並んでいるが、客には自分が必要なたったひとつの品物しか見えないという不思議な店だ。

 店にいるのは、主人の老人男性とその孫の少年――僕君の二人。


 主人公はこの僕君、十五歳だ。おじいちゃんではないよ。間違えないでおくれ。

 僕君の「僕」も名前ではない。

 彼は自分を僕と呼ぶので、僕君、と仮にしておこう。

 さあ、そろそろ開店の時間だ。



          ◉



 店の外では、電柱に止まった蝉が、ひどく鳴きちらす夏だった。


「いらっしゃいませ、何をお求めですか?」

「…………は?」

 気がつけば、男は何もない店の中に立っていた。

 いや、店だという根拠も定かではないね。

 男の前には、和装にエプロンという、大正時代の女給のような格好をした少年がひとり立っているというだけの話だ。

 淡い栗色の髪に、栗色の瞳をくりくりとさせた彼は、両手に盆を持っており、茶器がひと揃い、紅茶が淹れたての状態でその上にのせられている。

「えーと……」

――ここは一体、何屋だ? 彼は紅茶を持っている、喫茶店だろうか。

 それにしては店内はがらんどうで、カウンターにはレジスターが載せられているのが目に入るばかりだ。テーブルも、椅子すらもない。

「あー簡素シンプルでよいお店ですね」

「どうもありがとうございます」

 そこで言葉につまった男に、少年はにっこりとほほえみかけてくる。歳の頃は……十五、六……といったところか。

 やはり、喫茶店でいいのだろうか。

 桃色の着物を着た女給――姿の少年もいることではあるし。

「――じゃあ、メニューでも……」

「ありません」

 少年は良い笑顔できっぱりと、男にかぶせ気味で否定した。

 二人の間にしばらく沈黙が流れる。

「――するとここは喫茶店では……」

「ありません」

 きっぱりはっきり、否定され、男はどんよりとしてしまったね。

「表に『骨董』って、看板が出てたでしょう、お客サン」

 苦笑混じりに指摘され、男は小さな声を上げた。

「あ」

 どうやら記憶の端っこに、最前くぐったばかりの看板が思い返されたようだ。

「ああ――そういえば、そうだったかな……しかし僕は、営業の最中で……そうだ、あまりに夏の陽射しがきつかったものだから、喉が渇いて、どこかで一休みをと……」

 男は肩に提げた営業鞄を床に下ろし、額の汗を拭った。

「どうぞ」

 その様子に気の毒に思ったのか、少年は盆を差し出すと、男に紅茶をすすめる。

 夏なのに湯気が見えるほどの熱さだった。

――熱い……。

 正直に顔に出しながら男は、少年にたずねた。

「あの、本当にここは喫茶店では……」

「ありません、よりどりみどりの骨董屋です」

「よりどりって、ここには何もな…………いッ?!」

 男は、突然視界の先に浮かぶ小さな紙片を見つけ、驚きのあまり茶器を落としたよ。

「あ チャイナボーンが……」

 少年がはじめて動揺を見せたが、男はそれどころではなかったね。

「うッ……浮いてる?! バカな?! さっきからここにあったのか?」

 男は紙片に歩み寄ると、仕掛けを確かめるべく手に取り……絶句してしまう。

「!」


 ――これは、あの時の航空券。



          ◉



「すまんな、遠藤。俺たちは懲戒免職でたったいま即日解雇になった。皆で上海へ行くぞ!」

 

「は……はあ?」

 その日、午前中の外回りから戻り、午後の打ち合わせの用意をしていた自分は、突然オフィスに戻ってきた部長に、そう謝られた。

「俺たちって、部長、多摩さんも? 武ノ内君も?」

「そうだ、今社長に呼び出されていって来た」

 部長の後ろには、書類やファイルを抱えた多摩さんと、同じく段ボールを抱えた武ノ内君が立っている。

 元々片付いた営業部ではなかったが、どおりであちこちに書類が散乱していたわけだ。

「自分もですか?」

「いや、お前は違う。俺たちに荷担してなかったからな」

「一体何を――」

「社の書類をな、複写してた――」

「なんでそんなことで……」

「参考にしようと思ってたんだが、たまたまそれが機密書類だったんだ」

「ええええッ?! そんなことしてたんですか??! 業務上背任ですよ?!」

「多摩さんが、そのまんまデスクに置いといたから、社長に見つかって、やあ、やってくれるよ……」

「いやー、部長、ついうっかり……」

 丸眼鏡の奥にいつもの悪戯な笑いを浮かべ、多摩さんは悪びれもせず頭をかいている。

「で! 部長! それがなんで上海に……」

「ここに航空券が四枚ある。どうだ、来るか? 向こうで会社を興す算段はもう立ててある。予定の七割進行というところだが、危ない橋ではないだろう。どうだ? 遠藤、お前も来るか?」

「僕……」

 そこで、自分は言葉を飲んだ。


「僕は行きません」


 行きたかった。


「僕は……皆さんと違って、制作上がりのにわか営業です。商売の事なんてろくすっぽ……それでも、誰かが売らなければ――」


「そうか! GOODBYE!」


――GOD BREASE WITH YOU(神のご加護があるように)、それが、GOODBYE(さよなら)の語源であることを後日、知った。



          ◉



「あの時の――」

「……それを、お求めになられますか?」

「え? これ……売り物なんですか? ――というか、部長、これ売ったのか?!」

 男の最後の方の疑問はまるっと無視して、少年は応えた。

「ええ、チケットはなかなか人気のあるジャンルなんですよ。たとえば開催前日にして中止となった伝説のコンサートの未使用券、あるいはその日を最後に亡くなられた女優が立った舞台の半券……」

 さえぎるように、男が聞いた。

「この航空券を買えば、あの日に戻れるのですか?」

「いいえ。それはただの骨董で、期限切れの航空券でしかありません」

「――おいくらですか?」

「今、あなたが心に思われた、そちらの高い方のお値段です」

「ずいぶん値がはるのですね」

「ハイ」

 少年は手を打って、にっこりと微笑んだ。

「何しろ需要あってのお値段ですから。欲しいという思いがあればあるほど、物の価値は上がってくるのです」

「それでは――やめておきます」

 男も、にっこりと笑って、航空券を少年に返した。

「今はまだ、後悔がその値をつり上げているようです。いつか、値が安くなる日が来るでしょう。その時に……」

「そうですか、それでは――またのお越しをお待ちいたしております」

 男は、お辞儀を一つすると、店を出る。ドアベルがカランと鳴った。入ってくる時に、そんな物はついていただろうか?

「そうだ! 茶碗!」

 男は不意に、自分が落として割った茶器を思い出した。

「すみませ……」

 振り返って、男は思わず店を凝視した。

 外観は、古ぼけた「森澤骨董商店」という額看板が掛かった石作りの古めかしいビルで、驚いたのは、そのショーウィンドウからのぞける店内が、所狭しと古道具がひしめき合っていたからだ。


 それも一瞬。


『よりどりみどりの骨董屋です』


 不意に少年の声が頭をよぎったとおもうと――派手なクラクションが響き渡り、男は我に返った。

 そこは、いつも通る会社近くの交差点だった。

 忘れていた汗がじわりとこめかみをつたい、喉元に落ちる。

――まぼろし?

 ハンカチを取り出そうとポケットに手を入れると、ワイシャツの袖に先ほど取り落とした紅茶の染みが、まだよい香りを漂わせていた。


『――またのお越しをお待ちいたしております』


交差点の信号が変わり、人々が歩き出す。

男も、一歩、前へと踏み出した。



          ◉



「どうした、客か? 紅茶はまだか?」

「ああ、おじいちゃん。それが変なんですよ。店に入ってくるなり、ここは何屋だとか、物が何もないだとか、挙句に物が浮いているとか言い出すんです」

「そう云うもんだ。気にするな」







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