第8話
――アリシラの記憶――
「お姉様、私のお兄様を下品に誘惑するのはやめていただきたいのですけれど?」
非常に不機嫌な口調で私にそう言葉を発するのは、私の婚約者であるノラン様の妹であるルルナだ。
この王宮の中で私の顔を見るたび、彼女はこのような嫌味たらしい口調で攻撃的な言葉を投げかけてくる。
それがここに来てからの日常であり、当たり前の光景だった。
「えっと…。何度も同じことを言うけれど、私はなにもしていないの。この婚約だってノラン様の方から話をされたものだし、私の方から彼に近づいたわけじゃないのだけれど…」
「そんな話信じられないわ。だってお兄様、お姉様との婚約は本当はしたくないって言っていたんですもの」
…その話こそどこまで本当なのかわからないけれど、確かにノラン様の私に対する普段の接し方を見る限り、裏でルルナに対してそう言っていそうではある。
というのも、ノラン様は自身と血のつながった妹であるノランの事を心の底から溺愛しているのだ。
たとえ事実が黒であろうとも、彼女がノラン様に白だと言えば事実は白になるし、黒だと言えば事実は黒になる。
「ねぇお姉様、もういい加減この王宮から出ていってくださらないかしら?私もお兄さまもお姉様の事が嫌いだってことに気づかれていないのですか?普通の神経を持つ人だったら、私たちに気を遣ってすぐにいなくなってくれていることと思いますよ?なのにずっとここに居座り続けるだなんて、お姉様はよっぽど正確に難のある女だって周りから思われてしまいますよ?本当にそれでいいのですか?」
…これもまた、毎日のようにルルナが私にかけてくる言葉。
彼女にしてみれば、兄であるノラン様は自分の事を溺愛していてどんな願いもかなえてくれる。
そこに婚約者という立場で割って入ってくる私の存在が面白くないというのは、誰の目にも明らかな事。
だからこそこんなわかりやすい形で、私の事を追い出そうとしてくるのだろう。
「私だって、ノラン様から出ていくよう命じられたなら素直に出ていくわ。無理強いをしてまでここに居座る理由は私にはないのだから」
「じゃぁ出ていけばいいじゃない。お兄様はこっそりと私にお姉様の愚痴をたくさん言っているのよ?出ていくにはこれ以上ないだけの理由があるじゃない」
「……」
それについて、私にはある心当たりがあった。
というのも、これはただの噂話だけれど、私とノラン様の婚約を手引きした人物はノラン様ではなく、彼のお父様であるグライス様だと言うのだ。
ノラン様は厳格なお父様から言われたことに逆らうことができず、渋々私との婚約を受け入れる決断をとった、という話がうっすらと聞こえてきたことがあった。
しかしそれが本当なら、私がここから出ていくことは国王様の逆鱗に触れてしまう行為になるかもしれない。
私がノラン様との婚約にこだわりがないながらも、自分の勝手でここから出ていけないことには、そういった理由があった。
「黙ってないで何か言ったら?…言われたとおりに出て行ってくれないのなら、またお兄様に泣きつこうかしら?この間は私の部屋の中を盛大に荒らしてくれたわよね?その件でお兄様からはこっぴどく叱られてしまったのでしょう?次はどんな怒られ方がご希望かしら?」
さっき言った、彼女が黒と言ったら事実が黒になるという話。
それをまざまざと証明するのが、いま彼女の言った話だ。
彼女は自分の部屋を自分で荒らし、それを私によってされたことだと言ってノラン様に泣きついた。
溺愛する妹の事を疑うすべなど知らないノラン様は、ルルナから言われたことを一方的に聞き入れ、私に対して激しい口調で叱責を行ってきた。
そしてその行いは今に始まったものではなく、ルルナが少しでも機嫌を損ねるようなことがあったなら、彼女は何かと理由をつけて私の事を自分をいじめる犯人に仕立て上げ、その度にノラン様に泣きつきに行っていたのだった。
「…まぁ、今度という今度はよく考えておいた方がいいかもしれませんよ、お姉様?次に私が泣かされるようなことがあったら、お兄様は今度こそお姉様の事を婚約者の座から引きずりおろして、大衆の前でみじめな婚約破棄を演出するかもしれませんからね?そうなるくらいならご自分から消えられた方がましかと思いますので♪」
…まるでそうなることがもう決まっているかのような口調で、ルルナは私にそう言葉を発した。
そして私がノラン様から大勢の人の前で婚約破棄を告げられることとなるのは、それから間もなくのことだった。
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