第30話 一日目を終えて
一年五組のスリラーハウスを堪能してから、他の場所も気まぐれに見て回る。
教室や部室での催しだけではなくて、外の小路や校庭にも出店があって、学校の近くにあるお店や商店街からも応援がきている。
イベントスペースでは楽器の演奏があったり、体育館では演劇やダンスパフォーマンスなんかもある。
たくさんあるので全部は見られないけど、面白そうに思ったら入ってみよう。
本当はこういうのは、友達とかと一緒に巡ることができたら楽しいんだろう。
けど今は、安君も流星も、それに菜摘や真友も、出し物の方で忙しくしているから、仕方がない。
流星のクラスの異世界ファンタジーカフェの前にも、たくさん人がいた。
興味はあったけど、まだ休憩には早いし、俺一人だけでコーヒーとケーキを所望するのってどうよと思ってしまって、今は外から眺めるだけ。
絵画や写真が展示されたコーナーとかならふらりと入れるので、そんなのをいくつかはしごする。
なにかいい匂いがするなと思って廊下をいくと、『たこちゃん』と書かれた看板があって、焼き物の音が聞こえてくる。
たこ焼きか、いいな。
まだ少し早いけど、ランチの代わりには丁度いい。
中に入って、十個入りのたこ焼きとたこせんと、コーラを注文した。
ソースマヨ味のたこ焼きは中がふわふわで、とても高校生の模擬店とは思えないほど美味い。
お腹が膨らんだところで将棋部の方へ戻って、喫茶コーナーの繁久君とバトンタッチした。
近所から来た子供とそのお母さんだろうか、対局コーナーで将棋盤を挟んで、綺瀬崎さんに笑顔を向けている。
将棋好きの男の子なんだろう、きっといい思い出になるに違いない。
しばらくするとその親子が喫茶コーナーに来てくれたので、飲み物とお菓子を出すと、男の子は嬉しそうにそれを口の中に入れた。
「まだ人は多くないけど、いい感じね。これで二日間、ずっと行って欲しいわ」
綺瀬崎さんが自分のコーヒーを入れながら、ほっと一息をつく。
今までずっと準備をしてきて、途中で部長がいなくなって、しかも学校以外でも将棋の対局もあって、大変だっただろう。
彼女の顔に、ほっとしたような表情が浮かぶ。
「あの、綺瀬崎さん。今はあまり忙しくないから、よかったらどっか回って来て下さい。その間、俺が見ていますから」
そう言葉を送ると、嬉しそうな笑顔が返ってきた。
「そう? ありがとう。じゃあお言葉に甘えようかな。クラスの方も気になるし」
「はい。ゆっくりしてきて下さい」
入れたばかりのコーヒーを飲み干すと、彼女は部室から出て行った。
たまに入室してくれる人がいるので、飲み物やお菓子を出したり。
暇な時間は安君とかと雑談をしたり、将棋雑誌を拾い読みしたりして過ごす。
午後のなると来場者も増えてきて、部員総出で忙しくなった。
午後からは対局コーナーの担当なので、椅子に座ったり立ったりしながら、対局中の将棋盤に目を落とす。
人手が足りないような時には、一人で二人を相手にしながら、何とか勝ちを拾っていく。
「俺はここのOBなんだよ。それにしてもお兄ちゃん、強いねえ」
「いえいえ、それほどでも」
「源さん、やっぱり5七角はいけねえよ。あそこはやっぱり守らなきゃ」
「うるさいよ。んなのはもう、分かってんだよ!」
目の前でおじさん二人が言い合って……
あれ? そう言えばこの人、どっかで……?
部室にいなかった綺瀬崎さんが戻ってくると、源さんと呼ばれたおじさんは、ぱっと立ち上がってそっちに向かった。
「き、綺瀬崎女流二冠ですよね? すみません、一緒に写真を撮ってもらえんですか!?」
平身低頭、顔を紅潮させて急に迫るおじさんに、後ずさりする綺瀬崎さん。
それでも、すぐに涼やかな笑顔を取り戻す。
「ええ、いいですわよ。あら、どこかでお会いしませんでしたかね?」
「は、はいい! 花火大会の時に、将棋コーナーで! 覚えていてくれるなんて、感激ですわ!」
ああ、そうだ。
この人、俺と綺瀬崎さんが初めて会った花火大会の日に、彼女と一緒に将棋をしていた人だ。
もしかして彼女を目当てに、ここへ来たんだろうかなあ。
制服姿の綺瀬崎さんと2ショットで写真を撮れるなんて、ものすごい僥倖だ。
源さんはずっと鼻の下を伸ばしたままで、何度も何度も頭を下げながら、部室を出て行った。
でもきっと、同じような人は多いんだろうな。
棋界のアイドルと触れ合えることができるかもしれない、貴重な機会なんだし。
それからもどんどんと人が増えていく。
綺瀬崎さんは大勢に囲まれたり、写真撮影のための列できたりして、全然動けない。
その分他の地味キャラ集団で、何とかまわしていくんだ。
やがて午後の遅くになって入場時間終了間際になると、人の群れは姿を消していった。
「はああ~……」
綺瀬崎さんがぐったりして肩を落とす。
よほど疲れたっぽい。
「お疲れさまです。一日目、終わりそうですね」
そう声をかけると、彼女はほっとしたように、部室全体を見渡した。
「そうね。みんなありがとう。今日はもうじき終わるから、あとはゆっくりと休んでね。明日もよろしくね」
「「「はい!」」」
みんなで声を上げて、夕暮れが迫る部室の中で、安堵の空気が広がった。
「……そうだ」
みんなが帰りかけたところで、綺瀬崎さんは何かを思いついたように、ぱっと顔を上げた。
「私はこれから、ご飯を食べに行くんだ。時間がある人は、一緒にどう?」
「……へ?」
「………あの……」
「…………ええっと………」
部員の方に向かって涼しい目線を送る彼女に、全員から、
「「「行きます!!!」」」
と、ぱらぱらと戸惑いの返事が。
「本当は明日が終ってから打ち上げがいいんだけど、明日はちょっと用事があって、ごめんなさい。だからちょっとだけ、今日やっちゃおう?」
「「「はいい!!!!!」」」
こうして将棋部員全員で、今日一日の奮闘を労い合って、明日への英気を養うことになった。
安君などは今までに見た事が無いほどに、笑顔で顔をくしゃくしゃにしている。
この中でも、やっぱり綺瀬崎さんの人気は絶大だ。
クラスの方も気になったけど、まあ俺なんかがいなくても大丈夫だろう。
それからみんなで、駅前にある食べ放題焼肉のお店へ。
「ここは私が奢るから。これでも対局料とかもらっているからさ」
そんなことがさらりと言えるなんて、やっぱり大人だ、綺瀬崎さん。
ここはみんなでありがたくご馳走になる。
「なあ礼司、綺瀬崎さんの明日の約束ってなにかな? やっぱり、一緒に踊った人と、どっかへ行くのかな?」
「さあ、どうなんだろうね?」
安君には適当に返事をしたけれど、多分そんなところなんだろうな。
それか、対局とか仕事とか、そんな用事があるのかもしれないな。
将棋部の宴の中に身を置いていて気が付かなかったけれど、実はこの時には真友から、大事なメッセージが届いていた。
『なっちが午後から帰っちゃって、連絡もつかないんだ。何か知らない?』
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