第25話 将棋部の入り口

 という感じで、俺と安君、それに菜摘は、離れた校舎にある将棋部の部室に向かっている。

 そこはクラブ棟とも呼ばれていて、体育会系や文科系の部室が雑居している。

 音楽室や家庭科室もあって、そこは吹奏楽部や合唱部、手芸部とかが、放課後に使っていたりする。


 なんで菜摘が一緒に来たいと言い出したのかは分からないけれど、断る理由も見つからなかった。


 『棋士皆誠きしかいせい』と扉に貼り紙がある部屋が、将棋部の部室だ。

 ノックをして引き戸を開けると、中には綺瀬崎さんが一人だけで佇んでいた。


「いらっしゃい。あれ、女の子も?」


「あの、すみません。私もついて来ちゃいました」


「……あ、あなた、この前の花火の時の……?」


 綺瀬崎さんがじっと菜摘の顔を覗き込む。

 どうやら顔を覚えていたようだ。


「はい、そうです。この前はどうも」


「ふふん。ありがとう、歓迎するわ。見ての通り、ここは今寂しいのよ」


 広い部屋の中にはいくつも机があって、その上に将棋板と駒が置かれている。

 壁際にある書棚には、将棋に関する書籍や雑誌がびっしりとあって、壁には有名棋士の写真なんかも貼られている。

 のだけれど、他には人がいなくて、がらんとしている。


「3月に三年生がいっぱい抜けちゃってね、今は部員が四人だけなの。文化祭で喫茶コーナーと対局コーナーとかをやりたいんだけど、ちょっと人が足りないんだ」


 約一か月後に迫ったサカノシタ祭は丸二日あって、部の部室でも催しがある。

 二日目の夜にはキャンプファイアを囲んで、ダンスの時間もあるんだ。

 その間を四人だけでまわすっていうのは、確かにきつそうだ。

 ずっとここにいてゲストへの応対をするのも大変だし、そうすると他の場所を見て回ったりもできないだろう。


「外の部員とかはどうしているんですか?」


 問うてみると、綺瀬崎さんは横に首を振る。


「うちは出入り自由の部活なの。だから部長か副部長の私が招集をかけないと、いつもこんな感じよ。座って、今お茶を入れるから」


 勧められるままに適当に座っていると、リンゴの香のする紅茶を出してくれた。

 部屋の中いっぱいに、甘い香りが広がる。


「こんな感じだから、勉強との両立はできると思うわよ。好きな時に、息抜きに来てくれたらいいわ。私だっていろんな対局があるから、いないことも多いし」


 これだとたしかに、のんびり気楽にやれそうだな。

 少し興味が沸いてきた。


「ねえ桐谷君、せっかくだから、一局指してみない?」


「……分かりました。俺が綺瀬崎女流二冠の相手になるとは思いませんが」


 せっかくここまで来たし、乗りかかった船だ。

 人と直接対局するのは、2年ぶりくらいだろうかな。

 将棋盤の上に一つ一つ駒を並べながら、心地いい緊張感が体の中を満たしていく。


「先手はそっちでいいわよ。持ち時間は、一手一分にしましょうか」


「分かりました。じゃあ行きますね。」


 初手を指す前の凛とした空気、少し強くなってからは、いつも心地よく感じるようになった。

 すうっと息を吸って、初手を2六歩と突いた。

 飛車の目の前にある歩を一つ前に動かす、よくある戦法だ。

 それから綺瀬崎さんが飛車を真ん中に移動させる、いわゆる中飛車という戦法で迫って来て、お互いに固く自陣の駒組を進める展開になった。

 ある程度手が進むと膠着状態になって、次の一手が難しくなる。

 けれど、ここは先手の利を生かして、こっちから攻めるべきだろう。

 腹を決めて、攻めの銀と桂馬を前に出した。


 30分ほどが経過して、俺の方は角が成った馬が敵陣を睨み、綺瀬崎さんは飛車が成った龍を作って、こっちの王様を狙っている。

 ―― 一手勝負かな。

 『詰めろ』といって、放っておくと王様が詰んでしまうよという状態にすべく駒を動かして、相手に手を渡した。


 そこから綺瀬崎さんの、怒涛の王手ラッシュが始まった。

 こっちは王様を逃がさないといけないので、攻めることができない。

 ひたすら逃げてかわしていたけれど、だんだんと追い詰められていって――


「参りました」


「以上、122手までね。いい勝負だったわ」


 さすがは今をときめく女流棋士、半端なく強い。

 せいいっぱい食い下がったけど、あとちょっと及ばなかった。

 でも、そのあとちょっとが、天と地ほどの開きがあるんだ。

 何度も見てきてきた味わった。

 なぜか俺の田舎には、将棋が強い人が多かったから。


「やっぱり強いわね、桐谷君。どこかで練習してたの?」


「いえ。田舎に住んでいた時、おじさん連中と指していただけですよ」


 とりたてて娯楽がなかった田舎では、将棋人口密度が高かった。

 その中には、昔は日本将棋連盟の三段リーグいたんだとか、プロアマが参加するオープン棋戦で準優勝をしたとか、プロ棋士に弟子入りをして一緒に住んでいたんだとか、嘘か本当か分らないことを口走るおじさんたちもいた。

 そんな中でちょこちょこやっているうちに、そこそこは指せるようになったんだ。


「是非入部して欲しいわ。桐谷君と、えっと……」


「あ、俺は、小野城安友おのしろやすともです!」


「そうそう、小野城君、二人ともね」


「は、はい、もちろんです!」


 安君はあっさりその場でOKした。


「そっちのあなたは、桐谷君のお知り合いね?」


「あ、はい。穂綿といいます。今日はちょっと、見学にきただけで……」


「そう、ありがとう。またいつでも来てね。最近では、将棋を指す女の子も多いのよ」


 また誘われてしまったけれど、どうにも決心がつかなくて。

 結局返事をしないまま、部室を後にした。

 安君はもう少し残って綺瀬崎さんに将棋を教わるというので、俺は菜摘と二人で教室の方へと向かう。


「ねえ菜摘、どうして将棋部を見に来たの?」


「それは……」


 少し言い淀んでから、


「見て見たかったの。礼司が熱っぽく語るものが、どんなのかなって」


「え、俺が?」


「うん。お祭りの日にあの先輩と話していたでしょう? なんかひたむきで恰好良かったよ。普段の礼司には無いくらい。さっきだって真剣に将棋をしているの、見とれちゃった」


 ―― へ……?

 そんな、俺なんか、そんな大したものじゃ…

 かいかぶりすぎだよ。


「はは……そうかな? まあ将棋を指していると、真剣な顔にはなるのかもしれないな。でも俺なんか、全然大したことないよ。プロ棋士同士の対局なんて、お互いに目が真剣で、集中しててさ。和服なんかを着て座っているのって、滅茶苦茶恰好いいんだよ」


「そうなんだ。じゃあ礼司、入部しちゃえばいいのに」


「そだなあ。そういうのもありかもなあ」


 東京に出て来てから、勉強以外には、たまに好きな本を読むことくらいしかしていない。

 ちょっと横道にそれてみるのも、いいかもしれないな。


「うん。将棋をしてる時の礼司、いい顔してたよ」


 その言葉に、心臓がキュンと跳ねた。

 女の子に自分のことを褒められたことなんて、今までになかったから。


「ねえ、もう帰るでしょ? 『ポプラ』に寄ってかない?」


「え、『ポプラ』?」


「うん。この前に寄った喫茶店の名前だよ」


 断る理由なんてないな。

 俺の小さい胸の中に、じんわりと温かいものが広がっていく。

 例え菜摘の本当の気持がここにはないとしても、一緒にいられるだけで、今は十分なんだと思った。





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