第24話 はめられたっぽい
「うわあっ!?」
おいおい安君、そんな悲鳴のような声を上げなくても。
いきなりの綺瀬崎さんのご登場に、彼は目ん玉をひん剥いている。
まるで幽霊にでも出会ったかのように。
俺だっていきなりの彼女のご登場に、動揺している。
そんな様子を見て、彼女は涼しげに小首を傾ける。
「あら、お邪魔だったかしら?」
「い、いえ、そんなことはないです。どうぞ!」
失礼が無いように答えて、座りやすいように椅子を引いた。
「ありがとう」
将棋界のホープ、今注目のアイドル的存在でもある綺瀬崎さんが、そこに座った。
安君とはよくここには来るけれど、綺瀬崎さんを見かけた記憶はあまりない。
彼女は俺の隣の席で、長い黒髪をすっとかき上げて、味噌ラーメンに箸を付けた。
「うん、ここは久々だけど、このラーメンはやっぱり美味しいわ」
「綺瀬崎さんは、あまりここには来ませんよね? 普段はお弁当とかなんですか?」
「そうなのよ。母がいつも作ってくれているから。けど今日はそれができなかったので、こうしてね。でもお陰で、桐谷君に会えたわ」
「はは……はい……」
目の前で視線を泳がせている安君は、全く食が進まず、口をぱくぱくさせている。
これがどういう状況なのか、理解できないみたいだ。
無理もないよな、俺だってよく分らないんだよ。
周りの席からの視線も熱い。
綺瀬崎さんは女流棋士として実力も知名度もあって、例えそれがなかったとしてもクールな美貌の持ち主、きっと人気は高いだろう。
そんな彼女と、今は一緒にご飯を食べているんだ。
「ねえ桐谷君、将棋部への入部のこと考えてくれた?」
そのことか、この前やんわりお断りしたつもりだったんだけどな。
ここはもう一度、はっきりと言っておこうか。
「あの、やっぱり忙しくて、ちょっと無理かななんて……」
すると、最後の一言を口にする前に、綺瀬崎さんはお箸を置いて、桃色のハンカチを取り出した。
「冷たいわ、桐谷君。泣いちゃおうかしら……」
「ええっ!?」
ハンカチで目頭を押さえ始める綺瀬崎さん。
そんな、こんなとこで、いきなりそんな……
周囲の視線が冷たく感じる。
もしかして、俺が彼女を泣かせたって思われているんじゃ……?
そんなに酷いことは言ったつもりはなんだけど!
「あの、綺瀬崎さん、顔を上げて下さい!」
声をかけても俯いたままで、こっちには答えてくれない。
「あ、あの!」
そんな中で、目の前に座る安君が声を上げた。
「俺、将棋に興味があったんです。素人でよかったら、入りたいです! 礼司、一緒に入ろう!」
-- はあああああ???
もう半年ほどの付き合いになるけれど、安君にそんな趣味があるなんて、全く聞いたことがないんだけどな。
「ありがとう、桐谷君のお友達。優しいのね……」
「はい! 俺こいつと同じクラスの、
「小野城君、未経験者でも歓迎よ。とっても嬉しいわ」
「ありがとうございます、恐縮です!!!」
なんだよ、その夢見る少年のような瞳の輝きは!?
……しかしなんなんだこれ? だんだん外堀を埋められているような……
俺だけ、すこぶる居心地が悪くなってきてるのだけど。
「桐谷君、部員が少なくて、文化祭の準備も大変なの。力を貸してもらえないかしら……」
さめざめと沈んだ声が、すぐ隣から流れてくる。
目の前からは、熱い闘志が宿った男の視線が刺さってくる。
いつものらりくらりとしているくせに、一体どうしたんだよ、安君?
まるで別の人のようだぞ?
まわりもざわつきだして、冷たい視線が集っている。
だめだ、このまま泣かれるのはまずい……
「あの、分りましたから! ただ、もうちょっと考えさせて下さい!」
崖っぷちに追い詰められた気分で仕方なくてそう応えると、
「あ~、痛かった。コンタクトってゴミが入ると大変なのよね」
……あれ?
「綺瀬崎さん、今泣いてたのって……」
「ハードコンタクトって、目にゴミが入ると痛いのよ。ソフトの方に変えてみようかしら。それより二人とも、一度部室の方に来てもらえるかしら?」
「は、はい、もちろん! なあ、礼司!」
「…………」
なんだかはめられたようにも感じるけど、ここは断れるような空気じゃなかった。
善は急げの諺があるように、早速今日の放課後にお伺いをすることになってしまって。
予備校の振り替えは、また別の日になりそうだな。
その日の授業が無事に全部終わってから、
「礼司い~、どっか寄って帰ろうよお!」
教室の一番後ろの窓際席に向かって、真友の声が飛ぶ。
クラス中の視線が一斉にこっちを向くから、居心地が悪いんですけど。
「ダメよね礼司は。予備校があるんだもんね?」
後ろから、菜摘の声が追い駆けてくる。
「ああ、その予定だったんだけどさ、今から将棋部に行くことになったんだよ」
「将棋部?」
「うん。将棋部の副部長から誘われていてね」
「お、それってもしかして、この前教室に来てた人? 綺瀬崎さんだよね!?」
真友がそう言うと、菜摘がピクリと反応する。
「この前って……?」
「ああ、この前一緒にいた時に、たまたま会った人がいるだろ、将棋のコーナーで。その人、うちの高校の将棋部の人だったんだよ。それで、ここに話しに来てくれたんだよ」
菜摘は視線を宙に泳がしてから、「あっ!」となった。
「……そう。あの時の綺麗な女の人だよね。確か女流棋士とか言ってた?」
「うん。将棋部の副部長さんらしくて、一度見に来てって言われててさ。それで今日これから行ってくるんだ」
ふ~んといった感じで、菜摘が小首を傾ける。
真友は興味が沸いたのか、目をらんらんとさせる。
「なんでうちの教室にって不思議だったけど、そういうことだったんだねえ。凄いじゃん、礼司! あのクールビューティーな綺瀬崎先輩に、直々に声を掛けられるなんてさ!」
「知ってたの、真友?」
「あったり前でしょう!? テレビや雑誌とかにも出てて、超有名人じゃん!」
そうなんだな、やっぱり。
名前は知っていたけど、同じ高校だってことは知らなかったし、そこまでは詳しくはない。
「やるじゃん礼司、ワンチャン玉の輿狙えるかもよ!?」
いやいや、そんなラノベっぽい展開なんか、絶対ないし。
多分彼女は、俺がなにげなくしゃべったことで興味が沸いただけなんだ、きっと。
それに、勧誘に必死なのかもしれない。
「という訳でさ、安君と一緒に将棋部へ行ってくるよ」
菜摘と真友の後ろには、小さく縮こまった安君がいて、情けなく笑っていた。
「ねえ礼司」
「うん?」
「それって、私もついて行っちゃだめ?」
菜摘の口から、予想もしていなかった言葉が漏れた。
えっ、何で、菜摘?
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