第23話 変わりゆく日常

 真友まゆと二人きりで、かなり話し込んでしまった。

 家に帰ると、もうかなり遅い時間だった。

 明日は学校なので、ひとまず風呂に入ってから、自分の部屋に向かった。


 六畳ほどの広さで、ベッドに勉強机に、参考書とラノベが入り混じった本棚、それに収納用のクローゼットが壁の中にある。

 日当たりはいいとは言えないけど、居候の身分には勿体ない場所、自分だけの居心地がいい城だ。


 ベッドの上でごろりと転がって、今日一日の疲れを解放する。

 都会でのダブルデート、楽しかったけど、こんなのは初めてだったので、気も使ったし体も疲れた。


 スマホを手にすると、いくつかメッセージが入っていた。

 今までは、たまに実家に暮らす母さんか、安君くらいからしか来ることがなかったので、こんなのは珍しい。


 一つは今日のダブルデートメンバーのグループRINE。

 『今日はお疲れ様』のメッセージが飛び交っている。

 何も参加しないのも申し訳ないので、こっちからも同じようなメッセージを返した。


 二つ目は美空みそらから、実家で暮らしていた時の同級生、幼馴染の一人からだ。


『今年の秋祭り、お神輿をかつぐことになったよ。女の子は私一人なんだけど』


 目を瞑ると、懐かしい思い出が蘇ってくる。

 毎年秋、山の木々が赤に染まりゆくころ、豊穣を祝う神事がある。

 その日は町中総出で、神社から町をぐるりと練り歩くお神輿を見送ったり、途中で酒や餅を振舞ったり、子供たちは楽しそうにお神輿を追いかけたりした。

 夜になると神社の境内が解放されて、小さいけれど縁日なんかもあって、夜通し騒ぎ明かした。

 大人たちは酒で顔を赤くして笑い合い、子供たちは近所の人が用意してくれたお菓子や手料理を摘まみながら、走り回った。


 中学生以上になるとお神輿を担げるのだけれど、けっこう人気が高くて、抽選になることもある。

 あまり力がない俺は希望したことは無かったのだけれど、悪友たちはこぞって参加していた。

 美空はそれに選ばれたらしい。

 

『よかったじゃないか』


『うん、ありがとう。礼司は帰って来ないの?』


 美空からの返信に、どう返してよいのか悩む。

 懐かしくはあるけれど、こっちでの生活だって大事なんだ。


 返事は保留して、次は……


『今日はありがと。楽しかったな。縫いぐるみはお風呂で洗って乾かし中。名前をつけようかと思うんだけど何がいいかな』


 それは菜摘からで、俺だけに宛てたメッセージだった。

 名前か、そうだなあ……

 黄色くてまん丸で、細目で笑っている仔猫。


『こっちこそありがとう。まんぷく丸ってどう?』


 ぼんやりとした頭に浮かんだ言葉を送ると、またスマホがピコンと鳴った。


『まんぷく丸ってどっから来たのよ? あんま可愛くなくない?』


 メッセージには、白いタオルの上でよれよれびしょびしょになっている、縫いぐるみの写真が添えられている。

 情けなく顔が歪んでいて、なんだか可笑しい。


『完全なひらめきなんだけどさ。お腹がふっくらでほんわかしてるから、そんな感じかなって思ったんだけど。菜摘はなにかないの?』


『ジュリエッタってどう? 私が好きな漫画に出て来るキャラと似てて、その名前なんだけど』


 この真ん丸でへちゃれた猫がジュリエッタで出てくるのって、どんな漫画だよと思うけど。

 けど菜摘がそう言うのなら文句はない。


『うん。いいんじゃない』


『決まり! この子は今日からジュリエッタ♡♡♡』


 それから、軽い内容の言葉をいくつか交わして、最後に『おやすみ』と送り合ったんだ。




 ◇◇◇


「はああ~……」


 月曜日の昼休みの学食で、目の前に座る安君が溜息をつく。

 気のせいか、死んだ魚のような目をしている。


「どうしたんだよ、元気がないな?」


「お前、俺を置いてどっかへ行ってしまいそうだな」


「え? なんのことだよ?」


 カツカレーを頬張りながら憂鬱そうにしている安君に、問い返した。


「お前さあ、今朝姫様たちと仲よかったよなあ?」


「姫様?」


「穂綿さんと美里原さんだよ。一体いつに間にそうなったんだよ?」


 ああ、今朝の出来事は、俺にとっても衝撃的ではあった。

 いつものように背中を丸めて、誰とも目を合わさずに席に向かおうとしていると、


「おっはよ~、礼司!」


 横から声がしたかと思うと、真友がさっと駆け寄ってきて、背中をバシンと叩いたのだ。


「なによお? 朝から辛気臭い顔しちゃって。なんか悪い物でも食べた?」


「いや、別に。月曜の朝は、大概こんな感じだから……」


 学校が嫌いなわけじゃないけれど、それでも休み明けはやっぱり気分が乗らない。

 これから一週間、たくさん気を使わないといけないことがあるだろうから。

 それより、何の用だろ……?


「そっかあ。じゃあ元気注入してあげる。えい!」


 ばしん!


「うわわ!」


 真友の両方の手で、両方の頬を叩かれた。


「はい、元気注入!」


 うわ……なんだこれ、どう反応したらいいんだ?

 憂鬱な月曜日の朝に、美少女からほっぺを触られた。

 何かの罰ゲームか、これ?


 真友の後ろから、菜摘も近寄ってきた。

 さらさらの髪が微かに揺れていて、緋色の瞳が輝いている。

 今日も超絶に綺麗だ。


「おはよう、礼司。その鞄、重そうじゃん」


「あ、おはよう。今日は学校が終ったら、寄る所があるんだ」


 日曜日にダブルデートがあったので、その日の予備校の授業を今日に振り替えたんだ。

 そのための問題集や参考書も持ってきてるので、鞄がぱんぱんにふくらんでいたのだ。


「そう。もしかしてお勉強?」


「うん、そうなんだよ」


「すごいねえ。まだ高一なのに、頑張ってんじゃん」


「まあ、勉強はしっかりするって約束で、東京に来たからさ」


 たったそれくらいのやりとりだったのだけれど、この教室の中では、超レアイベントだった。

 二人の美少女が、教室の片隅にいるモブ男子に駆け寄って絡んだんだ。

 好奇と欺瞞の視線が集中したのは、言うまでもなかった。


「いや、実は昨日な……」


 昨日の日曜日の出来事を簡単に話すと、安君の手はわなわなと震えて。

 盛大な溜息を吐いた。


「……よかったな礼司。俺は遠くから、お前のことを見ているから」


「そんな大げさな……たまたま一回、そんなことがあっただけだよ」


 そう、それだけだ。

 それで俺が変わったわけでも、何もないんだよ。


「こんにちは、ここいいかしら?」


 不意に、鈴の音のように綺麗な声が舞い降りた。

 となりの席が空いていたので、多分そこに……


 見上げると、そこには綺瀬崎さんがいて、澄み切った微笑を浮かべていた。



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