第14話 悲しい過去

 菜摘が戸惑っている様子を目にして、良子が悪戯っぽい目を向ける。


「お、怪しいなあ。もしかして図星?」


「そ、そんなこと……」


「隠すな隠すな、素直に言ってみ?」


 良子は片耳に手を当てて、それを菜摘に近づける。


 だめだ、もう誤魔化せそうにない。

 菜摘はもう一度逡巡してから、仕方なくて覚悟を決めた。


「俊也、だよ」


「…………」


 やっぱりだ。

 その名前を口にすると、良子の表情がさっと曇った。


「……本当に?」


「うん……ごめん、よっちゃんも、だよね……」


「……気づいてたんだ……」


「そりゃあ、見てれば分かるし……」


 俊也は隣のクラスの男子で、朴訥として平凡だけれど、二人とも仲が良かった。

 体育の合同授業の時にたまたま話をしてから、よく三人でつるむようになった。

 良子は分かりやすくて、俊也の何気ない仕草に見とれていたり、からかわれて顔を赤らめたり、なにかにつけて彼に触ったり……

 だから、菜摘はその名前を出すことをためらった。

 ずっとばれないようにしてきたけれど、でも彼女も、ずっと胸に秘めておくのはつらかったのだ。


「そっかあ。私たち、同じ男の子を好きになったんだ」


「うん、ごめんね。今まで黙ってて」


「ううん。謝ることじゃないよ。私だって、はっきりと口にはしていなかったしさ」


 二人は見つめ合って、不器用に笑い合う。


「でもさ、私たちは、ずっと友達でいようね? 俊也に告白したくなったら、その前に、なっちゃんには相談するようにするから」


「分かった。私もそうする」


「約束だよ!?」


「うん、約束!」


 硬く指切りまでした約束だったのだけれど。

 それからしばらくして、菜摘は信じられない噂を耳にした。


『俊也と良子が付き合ってる』


 菜摘の心中は穏やかではなかった。

 自分が密かに思っていた男の子が、他の女の子と付き合っている?

 しかもその女の子は、お互いに抜け駆けをしないように約束し合った親友?

 信じたくなかったし、いてもたってもいられなかった。


 どうしようかと悩んだ末に、菜摘は俊也を呼び出した。

 噂を確かめるために問うと、その答えは聞きたくないものだった。


「ごめん。噂は本当だよ。良子と二人きりになった時に、告白されたんだ。それで……」


 胸が痛くて悲しくて、言葉が出て来ない。

 裏切られた……そんな、よくない感情も湧いてくる。

 本当なら親友の幸せを祝ってあげないといけないのにとも思いながら、心がそっちの方に向かない。


(……駄目だ……このままだと、よくないことを言ってしまいそう)


 そう思った菜摘は、せいいっぱいの背伸びをして、俊也に言葉を放った。


「そ、そう。よかったじゃない。二人でお幸せにね! 私たちはもう、会わない方がいいじゃんね!」


 自分がいると、二人の邪魔になる。

 それに自分だって、幸せそうな二人を眼に入れて、平気でいられる自信は無い。


 好きだった人と、親友、その二人を同時に失ったように思えて、頭の中が真白になる。

 泣きだしそうになるのを堪えながら、俊也の方に背を向けて立ち去ろうとすると、彼の声が後を追って来た。


「待ってくれ菜摘! 実は俺さ……お前のことが好きだったんだ!」


(……なにをいっているの……?)


 背中越しに投げ返された言葉の意味が、菜摘には理解ができない。


「でもお前、人気があるだろ? だから俺なんかじゃ駄目だってずっと想っててさ。それで良子に告白された時に、こいつと付き合えばお前のことを忘れられるかもって思ったんだ。でもそんなことはなくて、やっぱり俺の頭の中はお前のことばっかりでさ。こんなの良くないよな、良子にも悪いし」


「な……何を言ってるの? 今更そんなこと……!!」


 儚く笑う俊也の方を振り向いて、菜摘は言葉を荒げた。


「俺、正直に話して、良子に断るよ。これ以上嘘はつけないしさ」


「ちょっと待ってよ! そんなことしたら、良子がどれだけ悲しむか分からないの!?」


「もちろん、悪いとは思ってるし、これは俺の責任だ。だけど、このままずるずるといくと、もっと彼女を傷つけるような気がするんだ!」


 俊也の目はしっかりとしていて、その意志の強さが滲み出ていた。

 菜摘は、それ以上は何も言えなかった。


 自分のことが好きだと言ってくれた言葉は、彼女の心には届かない。

 それよりも、良子が可哀そう、良子に申しわけがない。

 自分が俊也とこんな話をしたばっかりに。

 そんな暗い想いばかりが、胸の中に広がっていた。


 それから日が経つにつれて、菜摘は違和感を覚えていった。

 クラスの友人達がよそよそしくて、挨拶をしても返してくれない。

 話しかけようとしても、無視して何処かへと去られてしまう。


 そして、奇妙な噂も耳にした。


『菜摘が良子の彼氏を取った』

『たくさんの男子をふっておいて、よりにもよって友人の彼氏と付き合った』

『好き勝手していて気に入らない。お高くとまったかぐや姫様』


 どこでどう、そんな間違った噂が広まっていったのかは分からない。

 誰かに俊也とのやり取りを見られて、誤解とかされたのだろうか。

 俊也と良子との間でどんなことがあったのかも分からない。


 良子と話がしたいと思っても、それからはずっと無視されて、結局話をすることはできなかった。

 ただ一言、「あなたとの約束を破ったことは謝るわ。でも、あなたのことだって、私は許せない」、そんな言葉を除いては。

 菜摘がふった男子からも、そんな男子に気を寄せていた女子からも、そしてその友達からも、冷たい視線が浴びせられた。


 菜摘は学校の中で孤立した。


(私が何をしたっていうの? ただ俊也と会って、事実を確かめただけじゃない? 良子には悪いことをしたかもしれないけれど、でも、なんでみんなからこんな目で見られないといけないの?)


 そんな想いを聞いてくれる者は、周りには誰もいなくなった。

 そんなことがあって俊也とも会いづらくて、二人の仲が進展することもなかった。


 そんな中で菜摘は心を病んでいって、長い間学校を休むことになった。

 中学三年生になってクラス替えがあっても、周りの空気はあまり変わりはなくて、ずっと辛い日々を送った。


(なんだか疲れたなあ……どこか遠くへ行きたいなあ……誰も、今の私のことなんか知らない、遠い遠いところへ……)


 そんなことをずっと想いながら、中学校生活を終えた。




 ◇◇◇


「そんなことがあったからさ。せめていっぱい勉強して、知ってる人がいない高校に入りたいなって想ったんだ。それで、今の高校にいるんだよ」


 微かに笑みながらたんたんと話をしているけれど、その瞳には悲しみが宿っている。

 

 思いもよらない告白だよ。

 今の明るい穂綿さんに、そんな過去があったなんて。


 俺はクラスに馴染めていなくて、陰キャボッチとして教室の片隅にいる。

 寂しかったり孤独を感じることはあるけれど、だからといって、気持ちを病んでしまうようなことはない。

 原因は俺の方にもあるのだし、それなりには過ごせている。


 穂綿さんはなにも悪くないように思う。

 でも、語彙力にも乏しい俺には、なかなかかけてあげる言葉が見つからない。

 そんな自分が悲しくて、腹立たしくて。

 でも……思ったことは、やっぱり伝えたい。

 きっと穂綿さんだって、勇気をもって、俺に昔の悲しい思い出を語ってくれたに違いないんだ。


「あの、穂綿さん……」


「ん?」


「うまく言えないけどさ、穂綿さんは悪くないよ。それなのに、辛かったね」


 不器用に言葉を伝えると、穂綿さんはうっすらと涙ぐんだ。




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