第5話 打ち上げ花火

 その後も縁日を見て回ったり、河原を歩いて夕闇に染まりゆく川面かわもを眺めたりしていると、とっぷりと日が暮れた。

 暗い中、河川敷を吹き抜けていく風が心地よくて、露店や提灯から洩れ出る灯りがほんのりとして、幻想的な景色を作りだす。


「足、大丈夫?」


「うん、平気。これ履きやすいよ。ありがとう、桐谷君」


 買ってきたサンダルが足に合ってるかどうか不安だったけど、どうやら大丈夫なようだ。


「きゃあ!?」


 不意に穂綿さんがよろめいて、俺の手にしがみつく。


「だ、大丈夫?」


「うん、ちょっとつまずいちゃったみたい」


 河原には石がたくさあるので、躓かないように注意していたけど、彼女は足をとられたみたいだ。


「あはは。なんか今日、こんなの多いね?」


「うん、そうだね。暗いから気を付けてね」


「……ねえ、もう少しこうしてていいかな? 足元が見えにくくってさ」


「あ……うん、いいよ」


 ドキドキ音を奏でる心臓を気取られないように、できるだけ澄ました顔をして頷くと、穂綿さんは俺の腕をぎゅっと引き寄せた。

 柔らかくてほんのりと温かい、そんなものが腕から脳みそに伝わって。

 だんだんと頭と体が麻痺していくような甘い感覚が広がって。

 全身がとろけていくように感じる。


 そのまま花火の観覧スペースまで移動すると、たくさんの人ですし詰めだった。


「うわあ、やっぱりすごい人だなあ」


 八月も終わりに近づいていて、この界隈での夏祭りは、今日が最後だと思う。

 それもあってか、河川敷沿いに設けられた観覧用の場所は、もう人でいっぱいだった。

 もっと早く来ていればよかったのかもだけど、こんなに大きなお祭りに女の子と来たのなんて初めてで、気が回らなかった。


「毎年こんな感じなんだよねえ。ねえ桐谷君、ちょっと場所を変えてみない?」


「え、ここじゃなくて、別の場所ってこと?」


「うん。ちょっと遠いけど、穴場的なとこがあるんだよ」


 そうだな、断る理由なんて全然ない。

 花火も見たいけどそれよりも、俺なんかと一緒に過ごしてくれている穂綿さんに、できるだけ楽しんでもらいたい。

 だから、彼女の思うようにしてくれたらいい。

 それに、穴場ってどこなんだよっていうのも気になるし。


「いいね、そうしようか」


「ん、決まりね! 行こ!」


 穂綿さんが、早く行こうよと即すように、掴んだままの俺の腕をくいっと引っ張る。

 人で溢れかえった花火の会場から、少しずつ離れていく。


 なんだか、周りからの視線がちらちらと熱いな。

 いつも綺麗な穂綿さん、しかも今はしっとりとした浴衣姿なんだ。

 周りの男子女子の目を惹かないわけがない。

 俺だって駅のホームで、彼女の横顔をチラ見していたんだ。


 憧憬、羨望、嫉妬……その視線にどんな意味が込められているのかは分からないけど。

 今までに感じたことがない圧がこっちにも伝わってきて、気ぜわしくて落ち着かない。

 でも、何だか誇らしくも感じて。

 そんな穂綿さんの隣にいられることが。

 たとえ今だけだとしても、モブキャラにとっては、千夜一夜にも匹敵する気分だ。


 穂綿さんに連れられて子供のように身を任せていると、夏祭りの会場からは離れて、駅の方向へと向かっている。

 相変わらずすごい人波に押し返されそうになるけれど、激流を鮭がさかのぼるかように、しっかりと腕を組み合って進んでいく。


「ふう、やっと抜けたねえ」


 人の河から外れた場所まで移動してから、穂綿さんは能天気な声を上げた。


「そだね、大変だったね……」


 俺は人込みが苦手でそれに酔ってしまって、じっと穂綿さんにはしがみ付かれていて。

 そんな非日常の中で、木偶人形のように、されるがままになってしまっている。


「ねえ、どこへ行くの?」


「もうちょっとこの先だよ」


 市街地を抜けた先には、緑の木々に覆われた小山があって、穂綿さんはそっちの方へと歩いていく。

 この先は確か、お稲荷さんがあったっけ……

 実際に行ったことは無いけれど、スマホの検索アプリでぼんやりと眺めてたことはあるので、予想がついた。

 

「あちゃあ、今年は人が多いなあ。SNSとかでもばれちゃうもんなあ」


 頂上へと昇る道にはちらほらと人がいる。

 ペアの浴衣姿の男女や、普段着とつっかけの姿で近所からふらっと来ました的なおばさんとか。


 軽く汗をにじませながら坂道を昇ると、赤い鳥居があって、その先には境内が広がっていた。

 常夜灯が点々と灯っていて、夜の静寂を迎えて静かな空気……

 ではなかった。


 花火大会の会場ほどではなくても、たくさんの人たちが団扇やスマホを片手に、その場で屯っていた。


「ごめんね。去年はもっと空いてたんだけどさ。やっぱり噂って、広まるんだよね」


「そっか。まあ仕方ないよね。でもさっきのとこよりは、空いてるよ」


 最近はSNSも普及してるから、映えるスポットなんかはたちまち広まってしまうんだろう。

 穂綿さんは残念そうにしているけれど、河川敷の会場よりは断然過ごしやすい。


「もっと前はさ、近くのビルの屋上に、非常階段から上がれたんだよ。でもそこも噂になっちゃってさ、今は閉鎖されちゃったんだよねえ」


「それってもしかして……ビルの人には内緒で、屋上まで上がってたってこと?」


「うん、楽しかったよお。最初は他にだれもいなくてさ。友達とお菓子を食べながら花火を見て、買ってきた花火なんかをやってさ」


「ちなみにそれって、いつの話?」


「まだ小学校のころだったかな」


 ……それってさらっと言ってるけれど、もし見つかったら、即補導ものなんじゃないだろうかな?

 もしかして穂綿さん、昔は結構やんちゃしてたの?


 そんなことも思いながら過ごしている間にも、どんどんと人が集ってくる。


 こんなに人はいなかったよな、田舎のお祭りは。

 星がよく見えない夜空の下で、ふと昔の光景が頭に甦った。


 昔住んでいた田舎では、春夏秋冬を通して、色彩が豊かなイベントが色々とあった。

 夏のお祭りもあって、ここよりは断然小さかったけれど、それでも空に浮かぶ星の数は比較にならなくて、天の川銀河を自分の目で見ることができた。

 神社の境内で縁日を堪能した後は、友達と一緒に近所のおばさんの家に集まって、スイカをかじりながら、夜遅くまで線香花火をやった。

 そんな日だけは夜更かしを許してもらえて、少年の心が躍った。


 遠くなったな、もう……


『バーーーン!!!!!』


 炸裂音が響いて、空がぱっと明るくなった。


「あ、始まったよ!」


 川の向こう側の空に、いくつもの大輪の光の華が咲く。

 その光はここまでも届いて、空を見上げる俺と穂綿さんの顔を明るく照らして、そして儚く消えていく。


「綺麗だね……」


 穂綿さんの言葉に吸い寄せられるように、顔を横に向けた。

 そこには、両手を胸の前に組んで、明滅する夜空を見上げる穂綿さんの姿。


 ……え?


 一瞬、息を飲んだ。

 暗闇の中で時折浮かぶ彼女の横顔、その白い頬に、光る筋が見えたんだ。


 ……泣いているの、かな……?


 暗くてよく見えないけど、多分泣いている。

 なぜなんだろうか、それは俺には分かる術はない。


 そして、そんな穂綿さんの横顔に目をやりながら、今までに感じたことがない、甘酸っぱくて熱い気持ちがこみ上げた。

 それが何なのか、今の俺には分からなかった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る