第6話 静かな新学期のはずが

 あっという間の夏休みが終わって、今日から二学期が始まる。


 私立坂の上高等学校は、その名前の通り小高い丘の上にあって、最寄り駅から徒歩で10分ほど登坂が続いた先にある。

 白いシャツに学年ごとに色分けされたリボンを付けた生徒達が、徒歩や自転車で昇って行く。

 校則が緩くてのどかな校風だと思うけど、全国でも有数の進学校でもあるんだ。


 残暑と呼ばれる季節に入ろうかとしているけれど、まだまだ暑い。

 じっとりと背中に汗を感じながら坂を上り終えて、歴史を感じる佇まいの校舎へと向かう。


 一年二組の教室は、外壁の板が黒っぽくくすんだ、古めかしい校舎の一階にある。

 今年で創立百十周年だそうで、その年齢を刻んでいるんだろう。


 その教室に入って、

 ―― 一学期と変わらない光景だなあ。

 そんな当たり前のことを思いながら、窓際の一番後ろの席についた。


 和気あいあいと夏の思い出を語っているっぽい陽キャグループに目をやると、その中に穂綿さんがいた。

 蒼っぽく輝く巻髪がよく似合っていて、白くて整った顔から、眩い笑顔を振りまいている。

 短めのスカートの先から組まれた真っ白な素足が魅惑的で、ついチラ見してしまう。


「でさあ、田舎でうどんを食い過ぎて、腹を壊しちまってさあ」


「あんたの田舎ってどこだっけ?」


「香川だよ。ばあちゃんが住んでてな。讃岐うどんが美味過ぎて、一日で十杯ほど食っちまったんだよなあ」


「あはは、あんたばっかじゃない!? 食べ過ぎよそれ!」


 周りの生徒達のそんな会話に笑みを浮かべながら、穂綿さんはうんうんと頷いている。


 花火の日の浴衣姿とは全然違うな。

 でも、こっちのギャルっぽい恰好も可愛い。

 

 二人で夜空を見上げた時間を思い出しかけて、ぱっとそれを振り払った。

 あれは、あの時限りのイレギュラーなんだ。

 なにかの気の迷い、一夜だけの夢。

 まるで、ぱっと咲いて静かに消える、打ち上げ花火のように。

 何にもなかった高校一年生の夏休みの最後に一瞬咲いた光の花、俺にとっては楽しい思い出になりそうだけど。


 でもそれだけ、そこまで。

 これからはまた、静かな日常が待っている。

 

 それでいいんだ。

 こうして遠くから、楽しそうに笑う君のことを見ていられたら。


「よう、礼司!」


「あ、おはよう。安君」


 穂綿さんと外の生徒とを交互に眺めていた俺に声をかけたのは、小野城安友おのしろやすとも君、この学校でただ一人、友人と呼べる存在だ。

 少し髪が茶色っぽかったり、耳にピアスの孔を開けていたりと、一見すると陽キャサイドのやつなんだけど。

 でも、彼は北海道出身で、同じように片田舎から出てきたといった共通点があって、話すようになった。

 なぜか他にはあまり知り合いを作らないで、この俺と絡むことが多い。


「久びさだなあ。はいこれ、北海道の土産だよ。『白色の恋人』」


「おお、ありがとう。有名なお菓子じゃん。安君、北海道に帰ってたの?」


「ああ、一週間だけ親父の実家にな。久々牛の世話とかをさせられて疲れたよ。あとはずっとこっちにいて、バイトしてたけどな。お前はどうしてたんだ?」


「俺はずっと、こっちにいたよ。予備校もあったし、家の片づけなんかもしながらね。だからごめん、お土産とかはないんだ」


 夏休みは予備校の夏期講習があったり、家でおじさんに世話になっているお返しに掃除や片づけをしたりした。

 安君とは一度だけ会って、映画を見たりゲーセンに行ったり、一日街ブラをした。


 実家にも帰ろうかと思ったりしたけど、お金がもったいなかったし、大見えを切って都会に出てから四か月ほどでホームシックにかかったと思われるのも、なにかしゃくで。

 だからこの夏は、じっとモノトーンのコンクリートに囲まれた中で過ごした。


「いいって、そんなのは。じゃあ休み中は、どこにも行かなかったのか?」


「行ってたよ。予備校に買い物に、たまに近所の散歩とかさ」


「わはは! それ、いつもと全然変わんないじゃないか!」


 本当はもう一つ、花火大会に行ったのがあるけれど。

 でもそれを話すと色々とつっこまれそうだし、とりあえずは黙っておこう。


 その時に一緒だったはずの穂綿さんをチラリと見ると、相も変わらず友達とおしゃべりをしている。

 こっちとは、目が合うこともない。

 まあ、そんなものだろうな。

 あの夜は仮初の時間、特別だったんだ。


 二学期初日は体育館で始業式があって、それが終ると教室でのHRだ。

 今日は午前中だけで終わる予定だ。


「じゃあここからは、文化祭実行委員に引き継ぐからな!」


 どっしりとして重そうな体の筒木野つつきの先生、温厚そうな顔つきで二児の父親が、教壇の前で宣言した。

 このなりには似つかわしくない、体育担当でもある担任教師なんだけど。


 筒木野先生が教壇から降りると、クラスの眼鏡女子が代わりにそこに立った。


「では、秋の文化祭の準備について話します。このクラスの出し物は、ホラーハウスでしたね」


 この高校では年一回、『サカノウエ祭』という名前で文化祭が開かれる。

 クラスや部活で出し物をすることになっていて、この一年二組はお化けの仮装をしてホラーハウスをやるらしい。

 丁度ハロウィーンの時期にも近いからいいのでは、ということで。


「そろそろ準備を始めないといけないので、来週から週二日くらい、放課後に残って下さい」


 ちなみに、大まかな役割はもう決まっていて、俺は背景係。

 通路を囲む背景を作ったり、雰囲気を盛り上げる小物なんかを作ったり。

 背景キャラにはぴったりの、地味なお役目だけど。


 他にもお化けを演じるアクターや衣装係、総合演出や資材調達の係なんかもある。


「俺、魔王をやらしてくれよ。世界を統べる極悪魔王みたいなやつ!」


「お前それだと、ホラーじゃなくてファンタジーなんじゃないか?」


「なんだっていいじゃないか。要は仮装大会だろ? なりたい物になれたらさあ!」


「あはは、そうね。じゃあ私はかぐや姫にでもなろうかなあ」


 なんだかだんだんとホラーハウスからは離れていっている気がするけれど。

 陽キャたちで固められたアクター係の中には穂綿さんもいて、陽気に笑い合っている。


「……ということで、来週に総合演出の方から説明してもらいます。それで係ごとに、準備をお願いしますね」


 文化祭実行委員兼学級委員の女の子から、だいたいのスケジュールとかが説明された。

 学校と予備校、それに文化祭の準備とかで、当分忙しくなりそうだ。


 やがて一日の予定を終えて、下校の時間になった。

 夕方から始まる予備校までには、まだ時間がある。


 一旦家に帰って、読みかけのラノベでも眺めるかな。

 主人公のいさお君と、彼が片思い中のみさおさんとの仲が気になる。

 たまたま名前の呼び方が似てるねってことで仲良くなる設定って、そんなことあるのかよとは思うけど。

 でも日常の中での小さなきっかけから、どんどんと二人の想いが膨らんでいく様子には、ドキドキさせられる。

 今一番はまっている一冊だ。


 校庭脇の道を抜けて校門をくぐって、坂を下り始めたところで、はたと気づいた。

 ―― しまった、忘れ物をした。


 休み時間に社会科の参考書を眺めていて、それを机の中に置きっぱなしだ。

 たしか、今日の予備校の授業で使うかもしれないんだよな。

 仕方がない、もう一回戻るか。


 方向をくるりと180度変えると、今まで楽に足を運べていたのが、急に重くなる。

 坂道を昇り切って、また校門を潜って。


 生徒の姿がまばらな廊下から、一年二組の教室の中に目線を入れた。

 すると、


 ―― あれ? 穂綿さんに、それと……


 廊下から窓越しに覗くと、教室の中は二人きり。

 穂綿さんと、彼女と仲がいい美里原真友みりはらまゆさんがいた。


 開きかけの扉を開けて中に入ろうとすると、中から嬉々とした声が飛び出してきた。


「ごめんね、なっち。私、流星りゅうせいに告っちゃったの!」



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