第4話 もう一つの出逢い

 小腹を満たすために、フランクフルトやカステラなんかを摘まみながら、縁日を巡る。

 薄暮の空に提灯の光が灯って、お祭りの空気が盛り上がる。


 穂綿さんが嬉しそうに、ヨーヨーを上下に揺らす。

 そして……なんか、近くない、かな……?

 俺の肘と彼女の浴衣の袖が何回もすり合って、そのたびに勝手にドキリとする。

 袖すり合うも他生の縁、そんな諺があるけれど、それって本当だ。

 すぐそばから見上げられて、柔らかな笑顔を向けられて、思考が何回も麻痺しかかる。


 こんな時間が訪れるなんて、思ってもみなかった。

 神様、仏様、ご先祖様、一体だれに感謝すればいいんだろう?

 だれかは知らないけど、俺はあなたに、最大限の謝辞を送りたい。

 例え一睡の夢のような時間であっても、これだけで、俺の夏は良かったと思える。


 露店と露店の間に、広めに開けていて、縁台がいくつか並んでいる場所があった。

 縁台の上にはおじさんたちが座っていて、何かに目を落としている。

 その周りには見物人もいるみたいだ。


「あれ? あれって将棋かな?」


「あ、そうね、それっぽいわね」


「ちょっと覗いてみていいかな?」


「うん。いいけど……?」


 『お好み将棋休息所』と看板があって、いくつかの場所に別れて、将棋の対局が行われている。

 おじさんたちが囲んでいるのは、やはり将棋盤と駒だった。

 その輪の中の一つに加わって眺めていると、対局しているおじさんが、顔をしかめていた。

 その相手はどうやら、若い女の子のようだ。


「みんな、助けてくれよお。この子滅茶苦茶強いよ! どうしたらいいかな次?」


 将棋の次の一手を周りに訊くなんて本当はありえないけど、でも、そんなくだけた場所なんだろうな。

 見ていて、心の中がほっこりしてくる。


「やっぱり6五桂じゃないか、源さん? 王様を攻めた方が早いよ」

「いや、ここは銀を前に出して、飛車先を伸ばしたらいいんじゃないか?」

「無理するよりも、自分の王様を固めたらどうだ? 金を寄るとかさ」


 外野と一緒に色々と言い合っているけれど、なかなか手が進まない。


「将棋かあ。私全然分かんないなあ。桐谷君は分かるの?」


「うん。ちょっとだけならね」


「じゃあ桐谷君なら、次はどうやるの?」


 穂綿さんは気分もそぞろげに訊いてくる。

 9×九のマス目全体を見渡して、何げに口を突いて出た。


「そうだね、ダイレクト向かい飛車か。俺だったら、3四歩かな」


 ぼそっと口にすると、それは周りのおじさんたちにも届いたみたいだ。


「お兄ちゃん、それは無いんじゃないか? 相手の王様からも遠いし、守りにもなってない。相手に手番を渡すようなものじゃないか?」


 そんな風に言われて、それもそうかなと黙り込む。

 所詮、一高校生の思い付きなんだしな。


 源さんと呼ばれたおじさんは全然別の手を指して、それからあれよあれよという間に、敗勢が明らかになった。


「参りました。お姉ちゃん、強いねえ」


「当たり前だろ源さん。その子、綺瀬崎きせざき女流二冠だぜ」


「……なにいいい!? 本当か!!?? そんなの、早く言ってくれよお!!」


 負けを認めて投了した源さんが情けなく叫ぶと、周りから『わはは!』と笑い声が上がる。


「ありがとう。楽しい対局でしたわ」


 相手の女の子は軽く頭を下げると、縁台から腰を上げた。

 そして何故か、俺の目の前で足を止めた。


「こんばんは。あなた、さっき3四歩って言ってなかったですか? どうしてそう思ったの?」


 ―― うえ!? なんだろこれ、何か気に障るようなことでも言ったかな……?


 同じ年格好くらいの女の子、大きくて黒い瞳から涼しい視線を向けてくる。

 背中まで届くさらさらの黒髪が、提灯の灯りの下で艶めいて見える。

 氷のように透き通る肌、すぐ横にいる穂綿さんにも負けないくらいに。

 ひざ下までのスカートをはいて、ぴんと背中が伸びて、凛とした立ち姿が綺麗だ。

 その端正にととのった顔立ちの中で、薄紅色の唇をきゅっと結んでいる。

 いわゆる、クールビューティって形容詞が相応しいかも。


「あの……そっちの飛車がさ、攻防に効いてるかなって思ったから。3四歩の後に3三歩成で2二の飛車を攻めれば、どこかに逃げるじゃない? そしたら飛車の横効きの守りが無くなって王様を攻めやすくなるか、それかこっちの飛車が動きやすくなるかなって」


 思ったことを咄嗟に口にすると、その女の子はふっと口角を上げた。


「私が相手の立場だったら、それと同じ手を指したわ。あれだけの短い時間で、よく思いついたわね」


 ―― お? これってもしかして、褒められてる?

 不安が消えて、ふうっと心が軽くなる。


「そうかな、ありがとう。ぱっと思いついただけなんだけどね」


 頭を掻きながら応えると、凍ったような彼女の表情が、柔らかくなっていく。


「ねえ、良かったら、一局指していかない? 早指しでいいから」


 一局……か。

 それも悪くはないな。

 東京の高校に入るための受験勉強とこっちに来てからの時間は、人と指したことはない。

 たまに息抜きに、将棋アプリのAIを相手に対局をして、勝ったり負けたりだった。

 昔住んでいた田舎には娯楽があまりなくて、大人たちがよく集って、朝から晩まで将棋を指していた。

 お菓子を食べてお酒を飲んで、陽気に笑い合いながら。

 小さい頃から俺もそれに混ぜてもらって指している内に、いつしか大人に負けないようになっていった。


「ねえ、桐谷君……」


 どうしようかと迷っていると、すぐ横でポツンと立っている穂綿さんが小声を上げた。


 そうだ、彼女は多分、将棋のことは何も知らない。

 ずっと一人で、おいてけぼりだった。


「あ、ごめんね、穂綿さん。つい夢中になっちゃった」


「ううん、それはいいよ。まだ花火までには時間があるし。それより、何か買ってこよっか?」


 えっと、お腹はもう大丈夫かな。

 色々とつまみ食いをしながら歩いたし。

 それよりも……


「あの、綺瀬崎さん、ですよね? せっかくのお申し出は光栄なんですけど、今は友達と一緒に来てるんで、これで失礼したいです」


 縁日での将棋対局も楽しそうだけど、今はここに誘ってくれた穂綿さんとの時間を大事にしたい、そう思ったんだ。


 綺瀬崎さんは残念そうに眉尻を下げながら、


「そう、それは残念ね。あなたたち、高校生?」


「そうです、坂の上高校の一年生です!」


 俺が応えるよりも先に、穂綿さんが元気な声を上げた。

 まるで何かをアピールするかのように、自分の腕を俺の腕に絡ませながら。


 うわわ、それ、当たってるって……

 体がぴたりと寄ってくると、柔らかくてふんわりした……いわゆるおっぱいが肘に当たってきて、心臓が爆発しそうになるんだけど!


「そう。じゃあまた会うことになりそうね。じゃあね」


 口の端を上げて流し目を送ってくれてから、綺瀬崎さんは休息所の奥へと消えていった。

 ……また会う? 一体、どういうことだろ……?


「ねえ桐谷君、あの人知り合いなの?」


「いや、そんなの恐れ多いよ。あの人は綺瀬崎瑠美きせざきるみさんっていって、女流棋士だよ。ちょっと前に、二つ目のタイトルを取った凄い人だよ」


 そうだ、たった今思い出した。


「……ええっ!?」


 綺瀬崎女流二段はまだ高校生のはずだけど、清龍せいりゅう倉敷萌花くらしきほうかの二つのタイトル保持者で、『二冠』と呼ばれている。

 涼やかな美貌と、時に歯に衣を着せないもの言いが評判で、しかも実力も伴っているとあって、棋界のアイドルとして人気が高い。

 NHTで日曜日に放映されている将棋番組でゲスト出演をしたりとか、雑誌のグラビアで大人っぽい表情を披露したりとか、活躍の幅も広い。


 今日はきっと、ゲストかなにかで、ここに呼ばれていたんだろうな。


「ねえ、行こ? 桐谷君」


 せかすように、穂綿さんは俺の半袖シャツの袖を引っ張った。

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