第3話 縁日の夕べ
お祭りの会場へと続く狭い道を抜けた先には、大きな河川敷公園が広がっていて、近くを走る車道も閉鎖されて、歩行者天国になっていた。
公園の遊歩道に沿って、カラフルな暖簾や旗を靡かせた露店が、たくさんある。
空中に流れる提灯の列が路面を照らしつつあって、だんだんと暮れなずんでいく空の代わりに、お祭りの会場を明るくする。
「わあ、広いなあ! ね、あっちいってみよ?」
人波を抜けてほっとしたのか、穂綿さんが嬉々とした声を上げる。
「あの、穂綿さん……」
「ん?」
「えっと、手、もう大丈夫なんじゃ……?」
「うわわっ!?」
人波の中で逸れないようにと、穂綿さんが腕を組んできていたんだった。
人はばらけているので、もういいかなって思ったんだけど。
「ご、ごめんね! 暑苦しいよね、こんなの!? あはは!」
ぱっと手を離して、照れたように笑う穂綿さん。
暑くもないし、嫌じゃない。
けど、まだ友達ですらない穂綿さんと、ずっとそうしてるのもどうかなって。
それにこのまんまだと、俺の心臓が、いつか爆発しそうなんだ。
彼女の顔と名前は憶えていたんだ、ずっと前から。
坂の上高等学校での入学式が終ってから、穂綿さんは一年二組の中で、すぐに人気者になった。
少し青くて軽く巻いた髪はよく似あっていて、窓から差し込む光を浴びてキラキラと輝いていた。
ぱっちりと見開かれた緋色の瞳の上には長い睫毛が乗っかっていて、白い素肌の上では、整った目鼻とほんのりと赤い唇が、彼女の綺麗な造詣を形作っていた。
他の女の子たちよりも脚が長いせいか、制服のスカートが短く見えた。
屈託のない笑い顔を誰にでも振りまいて、気軽に話し掛けていた。
いわゆるトップカースト、そんな言葉が似あう世界の中で、彼女はその真ん中になった。
西の方の片田舎からこの街へ出て来たばかりの俺は全然クラスにも馴染めなくて、そんな穂綿さんを遠くからじっと眺めていた。
ただそれだけだった。
仲良くなりたいなと思っても、何を話し掛けたらいいのか分からなかった。
いつもだれかと一緒にいて、近寄ることさえできなかった。
その彼女が、今は赤い帯をまとった紺色の浴衣姿で、俺のすぐ横にいるんだ。
髪の毛を丸めた姿は今まで見たことがなくて、ほっそりとした首筋が露わで、いつもよりも大人っぽい。
足元は俺が即席で選んだ安ものの白いサンダルなのでアンバランスだけど、彼女は気にした風もない。
「花火までまだ時間があるから、縁日を見ていこうか?」
「う、うん。そだね」
いったいいくつあるんだろうと思うほどに、露店や屋台がずっと先まで並んでいる。
田舎の地蔵盆とかお祭りには悪友たちと一緒に繰り出していたけれど、こんなに大きくて、しかも女の子と二人きりっていうのは初めてだ。
今まで知らなかった世界に入っていっているように思えて、心が踊ってくる。
「お腹とか空いてない? サンダルのお礼に、私がご馳走するよ?」
「いいの? ありがとう。そうだね、そういえばちょっと空いたかな。なにがいいかな」
遠くから、音楽イベントの吹奏楽の音が流れてくる。
浴衣を着てライダーのお面を被った男の子が、お母さんの制止を気に留めないで、すぐ横をとてとてと駆け抜けて行った。
華やぐお祭りの空気の中で、みんなの顔は明るい。
「ねえなにがいい? 桐谷君のリクエストはある?」
そうだなあ、目移りしてしまうんだけど。
フランクフルトに唐揚げにたこ焼き。
イカ焼きやトウモロコシも美味そうだ。
和牛ステーキやどて焼きは……お酒に合いそうな、ちょっと大人のメニューかな。
目の前で作っている様子や耳に流れてくる調理音や、威勢のいい掛け声が、食慾を掻き立ててくる。
「うん、やっぱりたこ焼きかな」
「はい、かしこまり!」
長い行列ができているたこ焼き屋があったので、そこに並んだ。
「あ、ごめん。ちょっと連絡が入ったから、スマホいじるね?」
「どうぞ。俺のことは気にしないで」
穂綿さんはこっちに赤い帯を向けて、スマホの操作をしている。
もしかして、元々誰かと約束してたんじゃないかな?
そことやり取りをしているのかもしれないな。
その様子はしばらく続いて、待っていると、屋台へと続く列の先頭になった。
「ソースマヨ、12個入りで。穂綿さん、飲み物は?」
「あ、私はウーロン茶で」
「じゃあそれと、ウーロン茶とコーラで」
「はい、毎度お!!」
鉄板の前で汗だくで千枚通しを振るいながら、たこ焼きをひっくり返すお兄さんに、注文を入れた。
プラスチックの舟にぎゅっとつまったたこ焼きがお目見えして、ふわりと湯気が立っている。
それを受け取ると、穂綿さんがお金を払ってくれた。
「あっちで食べよっか? 広いし」
広場になっている場所があって、そこで中腰になって、二人で一つの舟をつまようじでつつき合う。
「うわっ、熱っつう! でも美味しい!」
たこ焼きを頬張ってはふはふしながら、ペットボトルを口に運ぶ穂綿さんが、なんだか可愛い。
「……なに?」
「いや、別に……」
じっと見てしまって、突っ込まれてしまった。
こっちも大振りのたこ焼きを口に入れると、甘辛のソースが舌に絡んできて、大粒のタコの歯ごたえが気持ちいい。
穂綿さんの楽しそうな顔を眺めていると、たこ焼きの味が、いつもよりも甘く感じる。
ちらちらと見とれているのがばれないように、空中に視線を泳がせて、コーラのボトルを口に含んだ。
たこ焼きを食べ終えても、まだお腹には余裕があるし、日暮れには時間がある。
夏の盛りを過ぎたとはいえ、まだ日の入りは遅いんだ。
「ねえ、ヨーヨー釣りやってみない?」
「あ、いいね、やろう」
白いケースの中に水が満たされていて、その中にいろんな色のヨーヨーが浮かんでいる。
「はい、二人分ね」
今度は俺がお金を払って、店のおじさんから、釣り針のような金具がくっついた紙のこよりを二つ受け取った。
「え~と、どれにしようかな。まじ悩むじゃん」
穂綿さんはすぐ横でしゃがんで、水面に目を落とす。
俺は、どうしようかな。
水に浮かぶヨーヨーはどれも綺麗に輝いて見えて、悩んでしまう。
そんな中で一つを見つけて、そのすぐ近くでこよりを水に浸けた。
「ああ~、だめだったなあ」
隣から、穂綿さんのがっかりした声が聞こえてくる。
集中して、ヨーヨーの紐に照準を合わせて、こよりの金具を近付けて――
ぐっと引き上げると手ごたえがあって、狙ったヨーヨーが宙に舞った。
「お。お兄さん、おめでとう!」
店のおじさんが顎髭をさすりながら、お祝いの言葉をくれた。
「わあ、すごい! 桐谷君上手なんだね!」
ずっと昔にやったことはあったけれど、本当に久しぶりだった。
手にしたヨーヨーは冷たくて、中でチャプチャプと水が揺れている。
「はい、あげる」
「えっ、いいの?」
「うん、もちろん」
取ったばかりのヨーヨーを渡すと、穂綿さんは子供のような無邪気な笑顔を浮かべた。
ゴム紐の先っぽのわっかに指を通して、丸いゴムの球体をぽんぽんと叩く。
「綺麗だね。ねえ、なんでこの色のやつにしたの? 取りやすかったから?」
「えっと、特には。でも何となく似てたからさ。穂綿さんの浴衣の色にさ」
「……え?」
そのヨーヨーは紺色で、赤や黄色の星印があしらわれていた。
穂綿さんの今の装いに、合うかなって思ったんだ。
「あの……ありがとう。なんか嬉しいな」
照れたような仕草で、俯き加減の穂綿さん。
気にいってくれたのならよかったな。
こっちも照れながら、ぼさぼさで整っていない頭を掻いた。
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